- 10月22日、何事も、いみじく-
わたしの前は家人、その前はお年を重ねた小さな女性だった。10月22日午後3時頃、台風の接近で雨がよく降りわたしには寒かったのでダウンを着ながらでかけた投票場だった。そこで人びとが順番待ちをする光景がこの地域にも確実にあることが、余暇った(よかった)。
因に、<×印>を付けることが求められる用紙に、わたしがひときわ大きな<×>を付けさせていただいた人がひとり、あった。
写真にあるトマトジュースはいただいたものだが、この季節に出る地トマトジュースなのだそうで、その土地でしか販売されないものらしい。
いみじく、美味しい。
そうして、わたしはいよいよ、自分の思う間々に、我が儘に、言葉を自ら造ろうと思ったりした。
これも、いみじく、ふむ。
桜井李早の枕草子 ©
- 独り言はいいね、例えば中秋の名月に「わが情 ゆたにたゆたに 浮ぬなは 辺にも奥にも よりかつましじ」/ 万葉集 -
近頃移動の多いわたしは所用で軽井沢に。それが午前中に終わり、道行き上、昼食は万平ダイニングへ。
こんな近況を綴れば「贅沢な」とどこかで揶揄されることも十分承知だが、ここに来ると昔からわたしの気持ちは自由になるのだから仕方が無い。
食事は何でもよいのだが道行き上、昼のメニューとなった。
ここに来る度に感じるそれは他とは異なる薄い味付けがわたしに「これね」と実感させる。
一口入れて、「美味い」などと、恐らく昨今の味覚通の人が実感されるかどうかわたしには解らないし、その料理を味わってコストパフォーマンスなど期待する人たちからは必ずしも満足されるかどうか知れない。
だがわたしにはここの味が馴染んでいて、食事の後、決して喉が渇いたりしないところが良いのだろう、それは特に、ここのスープに言える。
以前、新緑の頃、それは晩餐のメニューであったが、ジュンサイ入りのコンソメスープをいただいたことがあった。それは食した後、その味を忘れてしまう程あっさりしたものであったが、ジュンサイの滑らかな舌触りが何だか人の道を邪魔しないように仕立て上げられているようで感心したことがあった。
わたしが子供の頃から知っている軽井沢という土地であるが、今日、変化を重ね、緑の中、新たな料理を提供するレストランも増えているらしい。
それでもわたしにとって、軽井沢を訪れる時の万平は、言葉に尽くせない居心地の良さを感じさせてくれる場所のひとつである。
ずうずうしくパンをお代わりしたり、ワインを、と言いながら直ぐ後でやっぱりビールを先に、とか言ったり、何か独り言を言うようにしながらそこに居るのである。
老舗ホテルであるのだが、ここは予め快適に金をかけてつくられた現代型のホテルよりずっと心地よい。
オーナーが変わったようだが、それでも施設の佇まいは相変わらずであり、飯の味も代々変わらないシェフの志向、というのが一応、21世紀の頭を和らげてはくれる。
その日の昼のスープは「カボチャのポタージュ」、器にくっ付いたスープの残りをパンに擦り付けて残らずしっかりいただいたそれは、やさしい母のような恋しい味だった。
日本人には味噌汁の味、それは母の味だろう。
どこの国に在っても、人間が考え、こしらえるものは、試行/志向/思考…施行…が異なりはしても、同じことなのである。
何故ならわたしたち、皆、同じ、地球に生きるものであり、そのものたちの求めるもの、必要なもの、存続したいものとは、わたしたちの思い計る行為の原点らしきものから発生し、ではその道行きを照らすものとして、あたかも月のごとく、この地上に生きるものたちの心を明るくするものとは…ああ、それはこの地球に在るものたちが生き、豊かに在るために続いていく糧…噛めないならばスープを、寒いならスープを…と、生を守るために生きてきた女の仕事が欠かせなかっただろう。
軽井沢に向かう朝、わたしは実家にて母の味噌汁をいただいた。
そうしてそれは母を伴っての軽井沢道中ともなった。
こんなことを綴っても、皆さんに今のわたしの心持ちが伝わるとは思ってはおりません。
が、そういうことで、いいのです。
これは独り言のようなものなのですから。
しかし…
独り言の多い人はもう一人の自分と付き合うのが巧い人。
義務や権力から解き放たれた小世界を持つことが出来る人。
今宵、中秋の名月、そこに月が見えたなら、例えばそれに向かって独り言のように話してみるとこちらが芝居をしているようで小気味よいものよ。
秋の万平
信州サーモンとキノコのマリネ
カボチャのポタージュ
仔牛のカツレツ
鰆のポワレ
ダイニングテーブルからの中庭
デザートの頃には心地よくあり、確かヨーグルト風味のババロアであったようですが、ワインの味が残っており撮影など、厄介、やっかい。
近況を著すにあたり写真が必ずしも役立つとは思えない今日この頃、その行為の負担ゆえ、わたしの近況は日々、乏しくなっております。
ええ、こういう優美な(画像はガラケイでの撮影でありますが)写真を時々上げてみることも、21世紀風ということで、ひとつ、のりながら、月を写すのは難しいように、自らを映すのもはばかりまする、今日この頃。
桜井李早の枕草子 ©
- 『クオキイラミの飛礫 ワタシヲスクエ!』2017, 野戦之月 -
2017年秋、『野戦之月』公演(9月14日~18日)、井の頭公園西園にてスタートしております。
今回もわたしはテーマ曲を歌で協力させていただいております。
18日、月曜日は千秋楽、開場は18時30分、開演は19時です。
皆さん、是非、ご覧になってみてくださいね。
詳細: http://yasennotsuki.wixsite.com/yasennotsuki
桜井李早
- "Many a slip 'twixt the cup and the lip" -
漱石の文粋は多々あるが例えば『猫』において、"月並み"という言葉に「馬琴の胴へメジョー(Major)・ペンデニスの首をつけて一、二年欧州の空気で包んでおくんですね」と迷亭氏に語らせるあたり、明治人に解り難かろうがそれ、現代もジョークを解せない人には見逃され伝わらないひとつかな。
"月並み"とは、正岡子規が、毎月、一定の日に句会を開催する旧派の集いを評して<月並み俳句>と呼んだことからこれがありふれていいるという意味として世間一般に広まっていったことが発端で、その言葉が日本語として広められたという意味では、子規の持つ個性的皮肉の表現が新しい日本、つまり明治に咲いた日本語の気質ある意気込みとして気のきいた言葉の例のひとつでもある。
わたしたちは今や、"月並み"という言葉に慣れている、人類も月に行ったとされる20世紀を経ているのだからして、そこで、はて、そう考えると、"月"と"並"とは、そう、遠くないのかもしれない。
秋らしくなってきた今日この頃、その近くて遠そうな月を、並な角度から眺めるのが愉しみとなる宵。
ここにあげた写真は、かつて宅で"ロンドン"と名付けた猫のものである。
あまりに庭先でニャーニャーと鳴いているので気になってみると、それは以前飼っていた猫によく似た者だった。
あまりに空腹そうなので、パンを差し出したが、匂いだけかいで食べようとしない。
ハムを千切り差し出したら、「ウムフムニュム〜」と勢いづいて食べ始めた。
…贅沢な奴… と思いながらも翌日から生活を共にした。
それは短い年月だった。
"Many a slip 'twixt the cup and the lip" という言葉を以前、わたしの漱石はわたしに教えてくれた。
それは、人間、何時死ぬやらわからない、という意味らしいが、一見英文でありながら、それは古、ギリシャ人の下男がその主人に向けて予言的に発した言葉がもととなっているのだとか。
このごろ、それは今、21世紀なのだが、相も変わらず、どこの国が、とか、どこの民族が、とか甚だしく差別的混乱があちこちで起っては人びとが争ってやまないが、" Many a slip "twixt the cup and lip"を"近くて遠い杯と唇の間に多く過ちがある"と解釈し、それが世界と考えると、わたしたちの意思の疎通とは、はなはだ難しく、遥かギリシャの時代、いやはや、幾千年万年の昔から、人類とは平気のへいさで我が儘を通し、それが通らなくば癇癪を起こすか、首つりでもするようにできている、甚だケッタイな存在なのかもしれない。
だって、猫は自ら、首つりはしない。
だからといって、猫生が豊かかといって、それも不確かなのであろう。
同じ猫同士であっても強きもの弱きものあり、そこへ厄介な人間という種類が関わってきたりしたら、猫族本来の力というものも変化、或いは弱体化してしまう。
居心地の良さそうな環境は甘いだけに、毒もある。
愛した彼の猫-ロンドンは、或る日突然、野生の命じるまま男らしく冒険の旅に出かけ、傷つき、病魔におかされ、一度戻り、再び行方をくらませ、闇にあり、ひと鳴き、弱き声を五月の真夜中にこちらに伝えたが最後、その行く末を告げぬまま、わたくしのもとを、永遠に去った。
恐らく、命が絶える寸前まで、姿をわたくしに現さないまま、それでも、彼はわたくしを見ていただろう。
月がわたしを見ている、それは並んでいること、と解釈してもいい。
何も、遠く、高い所とこちら、地にへばる者との境界などものともせず、天も地も同様。
天国も地獄もなく。
ここに生きているのだから、それでいいじゃない、と。
尽きたらはい、そこまでよ…それは愉しかった。
と、どの季節を選ぶでもなし、並にあり、月がそこにあると感じられたらその時、幸いだろう。
冒険するのは生物の性かもしれない。
しかし、そこに杯が待っているとは限らない。
教訓として、人間は奢りたかぶるときこそ、危機なり。
このことは、猫生とは、異なる。
わたしが感じるに、人間以外の動物には、奢りなど、ない。
確かに強きもの、弱きものはある。
だが、正義などという精神は、人間以外の動物には無用だろう。
彼らはそもそも、そんなことを考えずとも、自然の中で生きていける。
わたしはそれこそが、生命の力なのだと最近感じる。
"Many a slip 'twixt the cup and the lip"
その有様は、あまりにも人間的な見地でもの申すわけである。
故に、漱石の『猫』が、わたしには愛くるしく、愛くるしく、だけでなく、漱石の胃痛まで一緒に背負って(それは常ではないが)、昭和、平成の異端者と、これを半世紀過ごし願わくば更に乗り切りる覚悟の<おちこち>、現在37~8キロの動物が、どうやらわたしである。
このような<おちこち>類は、わたしの身近にもあるだろう。
詰まらないおはなしを、失礼。
このごろは、寝言だけでなく、歌なども、歌いながら過ごしました。
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- 座る -
わたしにとって、今年の夏は大事な、大事な夏であった。ゆえに、個人的に在り、あまり余所の事にかかわらないまま、暮らした。
来年の夏も大事だろう、再来年も、そうだろう。
この秋も、大事な秋という事のできる秋であり、その次の季節も同様だろう。
先日はお墓参りをした。わたしの実家は禅宗である。父方の祖先も母方の祖先も同じお寺に埋まっている。子供の頃から、お寺に行く時はいつも天気が良く、それはお盆やお彼岸と限らずであった。
だからわたしはお寺が好きであり、お墓が好きだ。今、わたしが暮らす土地にも禅寺があり、そこの敷地にある地蔵堂は国宝とされている。わたしはその禅寺を季節きせつ、散歩を兼ねて訪れるのだが、わたしの知る人がそこに眠っているわけでなくともわざわざ墓地にも足を運んだりする。決していたずらに墓地を歩くのではない。そこに行くと、生きる人たちのたゆたう心とは別の沈黙の心が植え付けられているような気がして、落ち着くのである。
死びとに迷いなどないと考えられる。
ただ生きている者のみ、迷いが与えられ、そこに完璧も見当たらなくても宜しい、と言われるような––これはわたしの生き方の甘さが捩れ、そのような救いを求めているからかもしれないが––それでも、そのように生きる事への疑問がやや正される、というか、わたしのような者でも生きて暮らしていいのだと許されているような心持ちになることができるからだろうか… 駄目だね、こんな事では。
わたしなど、どうせ極楽にはゆけない者である。
これ幸いと、竿の先にとまる赤とんぼのように、里に産まれたら、そこを去り、色を変えて再びやってくる。
ヤゴだった頃を、憶えてはいるくらいの僅かな進歩はあるだろうが、それくらいなものである。
その赤とんぼを柔らかく迎えてくれた家族があった。
皆で鰻を食べた。
夕立がくる夕べに出かけ、食事の後は、湿った残暑の空気が立ちこめていた。
鰻は流れを縫い、焼かれたる我が身の証を曝ける如く。
それは白く、一筋ひとすじを、「これがわたしです、わすれないように」と言わんがばかりにその命の道筋を声なき声として、香ばしい姿となり、重箱の中に治められる。
一口齧ったときには、あら、薄味かな、と思いきや、ふりかけた山椒とともに噛み締めていくうちに、これでいい、これがいい、と感じさせてくれる見事な案配だった。
鰻屋は老夫婦の商いで、その日の分がなくなったら、店を閉める、もはや常連客だけで商いをしていれば、ふたり、十分なのだそうだ。
満願、という言葉が浮かんだ。
生憎その夕、席に列する事ができなかった家人が残念がっていたので、次がありますから、と笑顔した。
鰻を食べた後、わたしはすぐに眠くなる。その晩、わたしは22時頃には床についていた。
今宵は虫の音など聴きながら、こうして座り、とりとめのないことをぶつぶつ吐いているが、それは、秋の呼びかけなのか、或いは夢の中で鵺の声など聴いたのか。
何事もわすれず、心たゆたう事あっても、わたしの姿勢を保ちたい。
暫く前から坐骨神経痛に悩まされつづけている日々、だから、上手に座禅とつき合うことは、わたしの理想の姿である。
"さむらい"という酒
先日、"さむらい"というアルコール46度の琥珀色の日本酒を飲んだ。越後のお酒のようだが、それはシェリーのような口当たりで、グラス一杯をまず大胆に三口そこいらで飲み干してみるとさあ、この後どうしようかな、という気にさせる酒であった。その晩は、おかげで生温い夜を気にせず眠ることができた。
ところで先程、その中に水をいれると美味しい水ができるといわれていただき長く使ってきた壷を、庭先で割った漢があった。その漢、普段は佳いおとこなのだが、時々ムキになる。それでは何故、壷を割っていたかというと、漢は連合いに「あなたはいつもその壷の水ばかり使う。美味しい水は他の容器にもできているのだから、他の水も使い回してください」と言われたことに腹をたて、「この壷がなければそんな問題は起こらない」と言いながら、暗い夜の中、静謐を破るようにしてその美味しい水ができる壷を割ってみせた。そればかりか、漢は壷の破片で自分の足に小さな傷までおったらしい。連合いは漢が付けた血液の染みをセスキでせっせと擦り洗った。ここに46度の日本酒があれば、連合いはそれをサッと口に含み、漢の傷に吐きかけることもできただろう。壷を割ったら漢は眠ってしまった。あと少しすれば目覚めるだろうが、その頃、連合いは眠ってしまっているだろう。
侍、か。
それを稼業とするのは、おとこでもおんなでもよいわね。
地獄へ行く覚悟があれば。
ええ、この"さむらい"という酒、とても良い香りがした。
日本酒を飲むと翌朝に残ることがあるわたしであるが、この酒に限ってはそのようなことがなかった。
わたしがこの酒について、気をつけながら嗜んでいたのかもしれないが、侍なら、隙があってはならないだろうしな。
変わった香りの麦茶ですよ、と幼稚な悪戯で誰かを騙したくなるような日本酒、美味しい水ができるという茶色い壷に入れていみたら、果たして、どんな味になっていたことだろう。
桜井李早の枕草子 ©
それを見ているのはではない、とあえて言うわ、本当に見ているのはですもの
写真は先月、美しい緑の影に覆われた軽井沢の庭に立って。
表と裏が棲み付いて当然でいられるような世界にすがりついていてはいけないわ。
それは打擲の世。
よし、貴方が神を信じているとして、では、そのような世界を許す神を、貴方は想像して愉しいだろうか。
想像が創造となるとは限らない。
命を軽んじるようなことを、人々が神と名付けたものがまさか作りそうにないと望むとか何とか考える以前に生身の人間は身を持っているからして更に、それ、つまり生命の安寧を正直に望むのみだろう。
その望みは観念ではなく野生だ。
私たちは神に造られたのではなく雄と雌のもとに産まれたということが真実で、その命が永遠ではないことを産まれた時から知っている、動物だからさ。
いつかは死ぬと知っている以上、私たちはそこに至までの時を勤しみ、楽しみたい。
夢さえ見たい。
ありふれた言葉ではあるが、夢のような一生であると思いながら目を閉じたいだろう、皆。
それを邪魔されたくないのだ、それはわたしの利己主義或いは個人主義かもしれないが、そうなのだ。
産まれたものならどのような生き物でも、<残酷な、過酷な生>や、この頃で言われる<格差>などという言葉とは当然無縁でありたいはずなのに、何故それを問題にするのだろう、人は。
その当たり前が通らない世の中なら、わたしは、御免だ。
御免などと言うものは、真っ先に打擲されて然りかもしれないが、もう少し、あの十字架の下にある白い花の輪のように、枯れるまで、枯れるまで。
*
そして以下の言葉、何処かの国の権力者たちにこの21世紀、改めてお伝えしたい所。
「元来をいうなら、義務の附着しておらない権力というものが世の中にあろうはずがないのです。…金力についても同じ事であります。責任を解しない金力家は、世の中にあってはならないのです。
…かい摘んで見ると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。
これを外の言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍言い換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他の妨害をする、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです」
~ 夏目漱石の言葉
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