夢見るような笑顔

 その老婆は、耳がほとんど聴こえないのである。
 しかし、夢見るような笑顔を持っている。
 名も知らぬ人だが、私は勝手に「お絹さん」と呼ぶことにした。


 晴れた日の昼下がり、私は買い物を兼ねて近所の遊歩道を散歩することがある。我が家の界隈には、"せせらぎの道"と名付けられている歩行者用の道があるのだが、私はその道をのんびり歩くことが好きだ。家を出て、まず、南南東にほんの少し歩く、やがて、道は左右に分かれ、その地点が"せせらぎの道"と交差しているのだが、右に行くか左に行くかは、買い物の目的にもよる。

 左に曲がれば、そこはちょっとした木立と住宅の立ち並ぶ小径・・・その先は、見晴し台であり、思わず立ち止まり、この辺りで最も高い場所から世界を眺める気分になる。
 私の視線の真っすぐ先には遊園地の観覧車(この時点で距離の違いこそあれ我が家の玄関と同じ方向を向いていることになる)、やや左にパーンすれば、公園の湖を囲む堤防があり、そこを歩く人たち、特に犬の散歩をする人たちが、一センチくらいで動いている様子がうかがえる。
 あくまで空は広く、心は解放されるが、時に悲しくなることさえある。
 
 見晴し台を下れば、お隣の町内ということにもなるが、その先には桜並木があり、春は満開、葉桜、そして夏を過ぎたこの秋には、紅色の落葉が小石の隙間さえ侵略する勢いで足許に散らばっている。
 買い物をするお肉屋、お魚屋などがあるのはこの"せせらぎの道"の向こう側ということである。

 10月になったばかりの或る日、私はそのお肉屋さんで買い物をした後、紅葉の桜並木を越え、見晴し台へと向かった。当然、そこで一息入れて、空を眺めるつもりである。
 すると、手摺にちょこんと両手を乗せ、佇んでいる白髪の女性の姿に出会った。
 老婆はおもむろに私の方に首を回した。
 その顔が見せた笑顔は、どうしようもないくらい夢見るような微笑みであった。
 私もにっこりご挨拶した、「こんにちは、ごきげんよう」。
 しかし、彼女は笑い顔さえそのままであるが、言葉を発しない。ただただ、こちらがうっとりするような笑顔を向けているだけなのだ。
 小さな見晴し台である。並んで立つのはどうかしら・・・と思いながらも、私は少し彼女の隣にいることにした。

 ふたりはしばらく黙って何処かを見ていた。私が視ていたのは、何処だろう? 行儀の悪いRisaは、右足を手摺の下の段に乗せ、バレエ・ダンサーのように構えていただろう。
 私は「お絹さん」が耳が遠いことを感じたので、語りかけることをはばかっていた。が、どうも私はこういう場合、黙っておれない質なのかもしれない・・・。

「お散歩ですか?」と、私はお馬鹿なことをお絹さんに尋ねていた。
 すると彼女はこちらを向いて、微笑む、夢のような笑顔である。
 間近で更によくお絹さんを拝見すれば、もともと色白の人であろうが、白粉をきちんとつけ、うっすらと唇に紅を塗り、やはり真に品のよい老人だ、それこそ、絹のような。
 ああ、おそらく、この人はとても愛されてこれまでの人生を過ごしてきたのだろう・・・少女時代は、大変モテただろう、結婚後も、夫に大切にされただろう、戦争も体験し、それでもこの人の人生は、豊かなものだったはずだ・・・が、この人は今、誰と暮らしているのだろう?・・・ご主人は健在なのかしら・・・お子さんたちと一緒に暮らしているように、どうしても思えない雰囲気だが・・・それでも、こうして、この見晴し台に独りでやってくるのは、この人もこの場所が気に入っているからなのだろう。

 ここでしばしの時間差の後、お絹さんは私に言葉をかけてくれる。
「お住まいは、御近所なのですか?」
「ええ」
 彼女が手摺にちょこんと乗せた右手を見れば、そこには白いハンカチーフが握られている。それは、昔、懐かしい、レースの白いハンカチーフである。今では、このような白いハンカチーフを日常の暮らしの中で手に握っているような人は少ないだろう。
 私はこのような白いハンカチーフを恋しく思う。何故なら、私の祖母を想い出すからであり、そういう私も、実は、このような白い古風なハンカチーフを何枚か箪笥の抽き出しの中に仕舞ってあるからなのである。
 仕舞ってある理由は・・・私はこれらの白いハンカチーフを、もっとずっと歳をとってから、持ち歩こう・・・と、若い頃から決めていたからなのである。

「いい眺めですね」私は再び彼女に声をかけてみた。
 しかし、お絹さんは遠い空を眺めたまま、私の方を向かない。
 聴こえないのだ。
 耳の遠い人は、長生きする、と、よく言われる。それが、真実なら、いい、と、思った。

 やがて私は「お先に」と言葉をかけ、お絹さんと別れた。
 彼女は私の声ではなく、動きにそれを感じたらしく、あの夢見るような笑顔とともに、頭を下げてくれた。
 一度、私は振り返り、彼女をもう一度、見た。
 まだ、お絹さんは、見晴し台にいる。
 その瞬間、彼女の後ろ姿を見て、私はほんの僅か、寂しくなったのだ。
 というのも、綺麗に白粉をたたき、薄い紅をさし、白いハンカチーフを握りしめていたお絹さん・・・紫と藍の入り混じったブラウスを着て、ベージュのスラックス姿の上品な彼女の後ろ姿の或る一部分だけが、乱れていたのである・・・。

 それは、ああ、言い難いことなのだが、ブラウスの下に身につけているだろうシャツが、左の腰のあたりにはみ出していたのだ。

 突然、私は、老い、というものを見せつけられたような気がして、思わずお絹さんを背にしてさっさと歩き出した。

 ・・・素敵だ、素敵だ、素敵なのだ・・・老婆とは、未熟な少女のように、無垢なのだ・・・だから、はみ出すのだ・・・それの、どこが悪い? ・・・素敵だ、素敵だ、素敵じゃないか!

 買ったばかりのお肉の包みを持ちながら、私は木立を通り過ぎ、日の射す道に出ていた。


 それからまた一週間ばかりした昼下がりの同じような時刻のことである。あの日と同様、私は買い物を済ませ、見晴し台に立とうとしていた。
 すると、数メートル先の木立の中に、人影を感じた。
 お絹さんである。

 私は一瞥こそしたが、そっと手摺にもたれた。
 お絹さんは、亡霊のように視えた。
 彼女、どうするだろう?
 私は背中を敏感にしていた。
 気がつくと、お絹さんは、私の隣に現れた。
 それまで数十秒か、一分か・・・彼女は足音ひとつ私に聴かせず、私の横に来た。

 無言の彼女は、あの時と同じに、白いハンカチーフを握っている。
 そして、夢見るような笑顔を私に向けた後、遠くをじっと見据えたまま、立っている。
 もはや、言葉は要らない。笑顔を交わすだけで、十分である。

 が、私はこの老婆に、何か、妖艶な香りを観察せずにいられないのである。
 魔物のような。

 この日も、私が先に見晴し台を後にした。

 これから先も、この同じような昼下がりの時刻に、お絹さんとこの場所で出会うことがあるのだろう・・・。

 会う・・・。

 いや、お絹さんは、たぶん、たった独りでこの見晴し台に立っていたいのではないだろうか?
 そう、私だって、独りで立っていたいじゃないか、本当は。
 この眺めを、独占したような、そして、ここに独りで立っていることが、何か特別であり・・・。

 あたかも、世界を胸に包み込んでいるような気持ちになりたいのだ。

 そうして、聴こえない、ということも、或る意味、幸福なことかもしれない。


 世の中には、雑音も、多い。


 遠いものに想いを馳せようとするなら、それは、必ずしも、聴くことだけではないだろう。
 心の沈黙が、静かに訴えることも、ある。


 それが、人によって、過去でも、未来でも。
 または、現在でも。


 さて、私は、この先を、どう、生きるのか。



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