21世紀旗手/或いは薔薇の如く

 例えば、第2の月ともいえる"まほろば"、或いは、第3の太陽とも言える花々。
 いつの時代でも、私たちが最善と思う事ができるものだけが、真実。
 そして、想像的労働者であるために、私たちは或る時には、前進的な退化の道を無意識に歩いている事もあるかもしれない。
 時には、サメのように素早く獲物を捕らえ、時にはカメのように万年の命を持つかのように遅く・・・。

 その愚かな夢想家が、解放されたがり、開眼しようとする時、想い描くのは、あのA.ブルトンが夢見たかつてのオルトバのような光景かもしれないわ・・・。

 解らない、だから想像する、この21世紀に。
 そこには、自然界の全ての調和があり、光りが差す道をオルフェウスが悠々と歩いて行くのだとか・・・。
 奇妙で美しい植物、それらの中には毒のあるものもある・・・蛇、蜥蜴、鳥たちは高く飛び、頭上に噴火したばかりの火山灰のような模様を描く。
 その勇敢なオルフェウスは、その場合、何を思うだろう?

 恐らく、彼は何も恐れず、何もかも愛し、そうして、何もかもに関心を抱くだろう。

 そこで、一笑されるかもしれないし、または、何を気障なことを、と、鼻であしらわれるかも知れないが、再び言わせてくれ・・・


 "人間というものが、いつも、'同じ顔'、で居ることは、むしろ、危険なのだ"


 私たちの世界が、精神が、たゆまず常に変化している、ということを受け入れられないならば、それは、取り残される人となるだろう。
 そして瞬間というものは、二度と戻らず、だからこそ愛おしく、おっとりして、うっかりしていれば、逃してしまう短い時間なんだよ、あなた。
 例えば、あなたが、そういう存在と歩こうと思うなら、覚悟するべきなのだ。


 私は、"女という生き物が完全な子宮である"、という意識を拒みたくなる。


 女が、ただ、"生命のバスタブである"、ということを認めたくない。


 そのために、今宵の私は、このような者になれたら素敵だと思う、例えば、


 "21世紀旗手"


 そしてそのような私は、"Deus ex Machina"には、ならないだろう・・・。


 そして私は力弱き者を打とうとする古のアダムを好まない。



 


 
 ...no matter where I roam


 私の"存在証明"は、今、この私の身体だけなのである。


 それしか、私には無いのだ、他には、何も、無い。

 
 しかし、薔薇の如く、ありたいとは思っている。


 これは・・・実に、 "優しさ"なんだよ。





 ..* Risa *¨