Crestの路地にて



 写真はCrestの街。犬の糞に遭遇したり、やや黄土色がかった水が雨上がりにはチョロチョロ流れる横町である。ジメジメしていて臭いがこういう路地を歩くのは悪くない。
 幾つもの路地がある中で、この路地はマシな方で、脇を覗けばここはかつて牢獄か…と苦笑いしたくなるような檻に似た小さな門を見る事もできる路地もある。
 ある日、歩いていて、清掃の人が派手に水を撒いて通路を掃除している現場にあったが、歩行者を優遇してくれたものの、その水が勢いとともに足元に飛んできたことがあった。
 犬の糞の欠片も混じっていようが、いるまいが、それが通りというものであり、そこを通るということは、何かが自分に飛んでくる。
 糞であろうが、ネズミの残した足跡であろうが、これらの路地は、通るものを選ばない。
 この通りにとって、ずっと昔から、犬の糞もネズミも人間も、平等なのだ。


 そういえば、10歳前後の学童たちにおいて、この、平等という漢字を正しく読めない子供たちが増えていると聞いたことがあるが、理由は恐らく、平等の観念というものが尊ばれなくなって久しいからなのだろう。
 誰も教えなければ、子供は知る由もなく、平等とは、今後、世界において、説明に窮する言葉として、消え去る日が来てもおかしくはないのかもしれないなどと極端に想像してみると、些か寂しいが。


 そういう社会をつくるのも、人間であり、私も人間である以上、誰の事も責められない。
 そうしてそれらの路地をつくったのも人間で、破壊されない限り、人間はつぎつぎ、何時の世も、この路地を通りながら用を済ます。

 
 余談だが、20代の頃、或るクリスチャンの友人と平等について話していたところ、その人が言ったのは、


「神の目からは、どんな人間も平等なのだ。仮に或る人は不幸であっても、仮に或る人は貧しくあっても、仮に或る人は裕福であっても、それらは単に人間の目による違いであり、神の目からはあくまで平等なのだ」


 では、私はこの薄暗い路地に、神というものを感じたということだろうか。






 Crest2 photo 130711_Crest2_zps6aa5a0e3.jpg






 Risa :*)