-フランシーヌの場合、或いは、わたしの場合 -



 "フランシーヌの場合はあまりにもお馬鹿さん、フランシーヌの場合はあまりにも悲しい、3月30日の日曜日、晴れた朝に燃えた命ひとつ…" ~『フランシーヌの場合』


 1969年の3月30日、反戦活動をしていたフランシーヌ・ルコントはパリで焼身自殺した。
 その頃少女だった私は燃える西日に包まれた部屋の中で『フランダースの犬』を読んでいた。


 それは私がもうすぐ小学校に入学する頃だった。









 その3月が終わり、そうして、また、残酷な4月がやってくる。
 4月は残酷な月…と、この時期、私がひとり言を言うのは、T.S.エリオットの『荒地』からの詩による。



 
   - 死者をほうむる -


  四月は残酷きわまる月で、
  死んだ土地からライラックをそだて、
  記憶と欲望をまぜあわせ、
  鈍重な根を春雨で刺激する。

  
                   訳: 上田保, 鍵谷幸信




 この詩を最初に読んだのは大学に入った頃だった。


 4月は残酷な月…このように感じるのは、"わたしの場合"、にすぎないが。




 李早