非人情と「3」

 ハプニングは起こらなかった、5月3日。散文小説が流れ出すまでの時間を試すように、平和だ。
 昨夕、私がクロック・ド・マダムを食べたとチェリーに言ったら、今朝、彼はそれが食べたいという。私にとっては二番煎じになるが、朝食のメニューはそのようになる。朝だとお腹いっぱいである、晩の食事としてはもの足りないが、クロック・ド・マダム。


 私は、非人情になる。
 非人情とは、以前も書いた(?かもしれないが)、不人情とは全く違う。漱石の『草枕』を読んだことのあるかたならお解りかもしれないが、あの有名な書き出しの文章に凡て表してあるように、窮屈な俗世間から離れた世界に居る(入る)ことである。
 とはいえ、普通に暮らしていればそれは難しく、例えばこちらが気にしているのに、相手にはどこ吹く風・・・であったり、あまりに有り難い言葉にこちらが戸惑ってみたり・・・要するに、好くも悪くも世間に生きることは人との関わりが根本なのであり、そこで非人情とは、その人情という世界から自分を隔離し、目に映る全てをありのままに感じる姿勢なのだろう。

 しかしながら、そこには、寛大な世の中への思慮が必要。
 思慮することは、世間の捕虜となることに似ていて、私は捕虜になりやすい気質も手伝うことがあり、もっと、身勝手になりたくもあった 。
 リリーは言った・・・「何百万も惚れて、何百万も振られたい」。
 が、私はリリーとは完全に異なっている。
 それは、私はリリーが言うところの、「心から惚れた男」という存在を今、見失うことがないことだろうか。
 その麗しき余裕を背負っての、非人情の世界なのである。ある意味、満たされながらのこと・・・だからこそ、日常からキツく離れることに愚かなくらいの力量を使おうとする。
 そしてこれを愉しまずして、結果はない。

 この黄金週をどこかに出かけるわけでもなく、或いは、世間とは相反して休日というものを自分で作る生活をしている方があるなら、一日の中でほんの少し、『草枕』を鑑賞されてみることも味わいかもしれないわ(注釈が多く、難しい言葉もあるので、読みやすい文章に慣れた人には少々辛いかもしれないが)。
 実は私、この本を読んでいると、数ページ過ぎるごとに、眠くなるのである。プルーストを読んでいる時も同じ睡魔に襲われるが、これは決して面白くないなどということではなく、私は美文を読むと、眠くなる癖があるのである。それはうっとりの連続で、うっとりしながら、作家の描く光景を想像し、夢の中に通じるトンネルを越えるみたいに、睡魔に襲われる21世紀のアリスとなり・・・そう、私は一瞬ごとに溶け、そこから這い出し、また再び溶ける・・・。
 終わらないでほしいような魅力ゆえ、眠ることで、時間を止めるとみえる。
 私は、好物を真っ先に食べず、最後に残すタイプかもしれないわ・・・解らないけど。

 私は近頃、漸く、その非人情の世界に自由に入り込めるようになった。

 だがひとつ条件があり、この非人情の世界に入り込むためには、作家の筆に妖気がなければいけない。
 世俗でない以上、あっと言わせるような物語性など要らないのだ。
 何事も、道をただ歩いているような凡庸な事情によって引き出される出来事が色をして描かれ、その出来事は無意識が招く景色であるだけで、十分、人を怪しくさせるもの。
 ハプニングではない。

 先程、色、と書いた。
 これは作家の想像力の色気でもあるが、色=異性が登場することも必要である。が、そこに、恋愛と決めてかからなければならないような野暮な模様はいけない。それは、恋かもしれないが、何しろ、ここは非人情の世界なのである。よって、「惚れてもいいとさえ思える女/男」、と共に、暗く煙る風呂場で、こちらと向こうで、朧げなにらめっこをし、さあ、お立ち会い、どちらが勝つか負けるかな駆け引きをし、結果、裸体を晒して先に立ち上がる女の勝利・・・しかも、その時女は、狂ったオフィーリアのごとく奇矯な笑い声を立ててあっぱれな退場の仕方をしながら浴室を出るのである・・・という一コマがパンチ・ラインとなる・・・。
 私は女なので、そこのところは、つまり「惚れてもいいとさえ思える『男』」の描写については、アリスの世界の気違いの帽子屋とも言いたいが、それでは流石にただの道先案内人、違う違う、ここはひとつ、存分に器用な美男にしようか、などと目論むが、どうかしら? ・・・アテがいないことも、ないわ・・・それくらい、奇矯でチャーミングで掴み所を持たず、孤独な一面を持ちながらも泣きを見せず、人生を悠々と耐えて生き、だから私が射程距離から外せず、また、そちらも私を射程距離から外さないようなアテの人物・・・。


 そろそろ「羽根枕」に埋まりたくなった・・・長々しき夜を・・・sorry・・・


 チーズとハムと卵というタンパク質の三位一体が重なるクロック・ド・ムッシュであるが、この「3」という数字をラッキー・ナンバーとしている私である。
 同じような気持ちを「3」に感じる方があったなら、この数字にまつわる不思議を・・・

 魔法と直観力
 創造の表現力、融通性と喜び
 過去で、現在で、将来の
 神、宇宙と人類
 完全性、完全性と統一
 天、精神的な領域

 この数字は、新しい冒険と、未来へのゴールへの行く手を操作し、応援する暗示があるとか。

 5月3日。
 ミレイのオフィーリアのモデル、リジーではないが、浴槽の中で、想った記録である。

 Robin good fellow, 北緯50度~60度に生まれた放浪の人。
 i am stepping through new worlds...
 な、あなたに、yes・・・


 親愛なるコリンナ


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 『YES』桜井李早:著/MARU書房

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 当日 / \2500
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