母の日、賛美歌、ピアノ、薔薇
『YES』出版記念パーティー&ライヴ / "Going a-Maying"のお知らせです。
5月23日(Sat.)
出演ミュージシャンは、青山陽一、sakana、桜井李早+桜井芳樹
スペシャルゲスト / あがた森魚
開場 / 18:00
開演 / 19:00
前売 / ¥2000 (ご予約は月曜日を除き、18:00以降、直接、お店の方に電話でお問い合わせください)
当日 / ¥2500
場所 / MARU(東京都東村山市野口町1-11-3 tel 042-395-4430)
そして著書『YES』の通販のお知らせです。
お値段は1500円+送料手数料200円です。
御注文はこちらまで。
御注文くださった方のプライバシーは、当然、厳守させていただきます。
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昨日、薔薇が咲いた。
薔薇が咲いたと思ったら、母の日。
今日、夕刻、まず、『アヴェ・マリア』を弾いた。
他にもたくさん弾いた。愛おしくて、たまらない。時折ビールを飲みながらも、あっという間に時間が過ぎ、21時半を過ぎていた。
私の手は、このピアノという楽器に何十年、触れてきただだろう?
40年は経っている。
その40年の時間を与えてくれたのは、40年前以上前のママンだった。
まだ寒い春の日のことだったわ・・・ピアノを習い始めたその日のことは、忘れられない・・・或る日曜日の午後、先生は家に来てくれて、私は胸をときめかせて椅子に座り、実験するように慎重に指を動かした。
先生は、男性、先生のご家族と私の家族はご縁があり、彼は当時、G大生だった。
私がまだ上手く弾けない頃、祖母が賛美歌を弾き・・・それはたいてい夕刻で、黄昏時の空と部屋の翳りと、音楽が見事に三位一体となった。
賛美歌に合わせて祖母が歌った・・・私は少し、もの悲しくなるのだが、その静かな調べは心地よく、どこか別の世界にいるような気がした。
それは、確かに、別の世界だったの・・・遠い昔かもしれないし、いつか出会う場所かもしれないし、とにかく、日常という私を取り巻いているものから離れた世界で、私は未だ見ぬ光景を、祖母の向こう側に見ていた。
そして、祖母が賛美歌を弾く時は、確かに何か、普段と違っていたのである。
彼女は孫の私を傍らにしているのだが、その時祖母は、祖父とも、父とも母とも、家族の誰とも離れた、別のものを見ているように思えたのだ。
私はその祖母の姿を見て、人とは、自分以外の他の誰をも招き入れることをしない部屋、もしくは、世界というものを持っているのだ・・・と、幼心にぼんやり感じた。
あの時、祖母は、賛美歌を弾きながら、何を見ていたのだろう?
私という小さな孫と一緒に過ごす時間の向こう側に、何を見ていたのだろう?
私はほんの子供であったが、祖母は自分の娘時代のことなど想い出しながらピアノを弾いていたのではないかと、想像したものだった。
弾き終わると、祖母はいつもの顔になり、「もう、お終い」と、私に言う。
私の方に身体を向けてはいても、私には、彼女が彼女自身に言っているように見えた。
ママンが『オールド・ブラック・ジョー』を弾いていたこともあった。これもやはり、夕刻であることが多く、彼女の横顔を、私はよく憶えている。
だが、彼女が娘時代に習っていたのは、琴だった。
'40年生まれの私の母であるが、終戦後の或る日、祖父が彼女のために、琴を背負って家に帰ってきたらしい。物の無い時代であり、洋の東西を問わず、この国にある楽器を手に入れることなど難しかった時代、祖父が手に入れてきた琴を、少女の母は習い始めた。山田流である。私が幼い頃、母はよく弾いていたが、その後はお正月にちょっと弾く程度となり、私も真似事のようにして、子供ながら、琴の譜を自己流で読み、触っていたこともあった。
ピアノはいつまでも木の香りをさせて、皆に愛され、皆が弾いた。
私はその後、そのK.KAWAIのピアノ(俗に"仏壇"とも呼ばれた形である)と共に寝起きし、やがて音楽大学に入るのだが、音楽大学に入ったら、YAMAHAのグランドが現れた。当時"C5"と言われたがグランドである。私が今宵弾いていたのは、このピアノである。
自然に受け入れてきたピアノという楽器だが、私はこのピアノという楽器無くして、生きていられるとは、思えない。
これを失うようなことがあったら、死ぬだろう。
決して、よい演奏者、管理者などではない私であるが、これを奪われたら、ひとつ、大事な世界を失った人生となる。
それほどの喪失感というものがあることを、私にピアノという楽器を通して教えてくれた家族に感謝したい。
喪失とは、その状況にならずとも、十分想像できる事柄なのである。
確かに、手放し、失っても仕方ないものはあるが、失ったら自分の人生の、いや、人生を肉体に置き換えれば、大切な器官を取り除いて生きるに相応しい辛さがある。
母の日とはいえ、親不孝者の私には、このようなことを想い出しながら、昔々、祖母や母が私に寄り添ってくれたように、ピアノという黒い恋人と戯れるだけである。
だが、そのピアノのおかげで、私はこうして音楽と肩を寄せ合って暮らすことができるのである。
ピアノは、私の家族の象徴でもあった。
家の中にいつも音楽があり、家族皆が音楽家になる。
それは、私の人生を導き、今現在の私の暮らしの中にある。
私の今日であり、過去であり、恐らく、未来だろう。
この家の屋根の下、毎日、音楽が流れ、誰かが奏でている・・・といっても、二人の人間だが。
さて、薔薇が咲いたのだ。
散文航海への支度をしよう。
始まりの舞台は決まりつつある。
それは美しき黄昏時だ・・・今日のような、まったりとした夕べがいいだろう、人々が午後を牛のように過ごしたくなる一日の夕刻に、始まる、というような。
しかし、女の目は、しっかりと、開眼されている・・・。
here is completely clear and blue.
i find the beautiful moon this evening...
"the sun is up, the sky is blue, the wind is low, the birds will sing...and i am part of everything...yes, i open up my eyes..."
LOVE & LIGHT