卵、満月、麗子さん・・・

 今日もお茶をよく飲んだ。
 少し、ストイック、何もかも、多過ぎず。

 それでいて、こんな時刻、ゆで卵など、ペロリといただいてしまった。
 小さな卵である、サラっとお塩を何度か振りかけながら、あっという間に消えてしまう。
 が、それは、小さいが、命なのである。
 命が全部殻の中に詰まっていて、人間の私は、それを11分程茹で、冷水に浸し、まだホクホクしているその塊を、ものの一分もかけず、胃袋の中に入れてしまう。

 今、ふたつの命を持っている気分になる。
 卵は、全世界・・・。
 例えば、お肉をいただいたとしても、それは、一部である。
 それなのに、この小さな卵を食べるということは、全てを食べてしまうということ。
 これではストイックではない、と、書いたそばから思う。
 思うが、命を与え合いながら共存しているのが地球であり、それは、ベジタブルを主義としても同様の成り立ちである・・・動物か、植物か・・・その異なり。


「接吻はいともすみやかに忘れられる」

 という言葉を読んだ午後だった。

 その接吻と同じ様に、目の前の白い卵も、忘れられてしまう。
 その卵には、名前すら、ない。
 再び別の卵を口にすることはあっても、同じものではないわ・・・。
 これは、「忘れる」こととは違う。
 違うけれど、何だろう・・・。
 また、同じものを求めるくせに、味わったらその場で消えていく感覚・・・。
 利益とは言い難い味である。

 
 それは、果てしなく恋人のようなふりをする友人が、最もシンプルなメニューの中から選び出し、指差すようなありふれた姿勢だが・・・。

 癖になる。

 癖になると、しばし、くり返したくなる。

 が、明日、私はまた深夜にゆで卵を食べはしないだろう。


 満月である。
 装い美しく、月が太り、朗らかに微笑する。
 それを予定していたかのような魅力に、乗せられ、白いゆで卵など、食しただけである。
 奇妙な連鎖が作り出され、それによって、何となく動かされるハメになっているような操られ方も、小気味いいと感じてみましょう。


 或る映画の中で、カトリーヌ・ドヌーヴが卵のてっぺんに穴を開け、中身を吸い込む様に飲むシーンがあったっけ。
 確か、彼女は街を徘徊し、ちょっとした出来事に出会った後、恋人と暮らすアパルトマンに帰ってきたとき、そんな行動をするのね・・・違ったかしら?
 彼女はブーツを履いている。彼女は彼女を理解するひとりの男に偶然出会い、興味を持つ。
 そして、不思議なトリックで妄想を与え、芸術家を異様に偏愛する気違いの裕福な老人と恋人たちの中にあり、試される。
 女とふたりの男たちは老人の館に招かれる。
 彼女に与えられたのはチェス、チェックするのは、誰?
 赤い誘惑と死の気配が漂う不可解な世界で、真相は見え始めるわ・・・頽廃した夢の世界。
 そこで、彼女と彼は、目醒め、壁に描かれたひとつの扉の向こうへ戻っていく。 


 満月。

 これからは少しずつ欠ける。

 欠けて、再び、満たされる。

 その常套手段を、私はこれからも、飽きることなく、くり返す。


 大原麗子さんが、亡くなったという。
 小学生の頃から、私が最も好きだった女優さんである。
 どこか儚い様子がありながら、凛とした表情には憧れを感じ、また、魅力的な声の人だった。
 もう2週間も前にこの世を去っていたとも聞いたが、今宵の月の引力も手伝ってか、複雑な気持ちになった。

 ...R.I.P...


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