"接吻とはいともたやすくなされる"

「接吻はいともたやすく忘れられる」が、昨日だったが、今日の私には、「接吻はいともたやすくなされる」というルフランが私の頭の中の愛する小径を通っていくのを聞き、褐色のハイウェイを蒼い車で走る自分の人生行路にしばしのヴァカンスを与えてやりたいと感じていた。

「あたしによく接吻するひとはわれを忘れるのがうまい」と、彼女は言うが、それを<楽園のゲーム>と描く彼は、そこで告白しているわ・・・そう、自らこそが、「われを忘れるのがうまい」接吻者であることを。

 楽園のゲームというのは、実に、限られた者しか、愉しめないかもしれない。
 目に見える範疇のもの以外は捉えないこと・・・それは現実であり、事実であり、情報であるうえで、確かさにおいて、信憑性はある。しかし、人の心の中に潜むものは、過去の事実や現在ばかりではなく、未来、或いは、現実の暮らしの外に広がる世界もあるだろう。
 想像であり、理想であり、それを笑うことは容易い。それこそ、あの本文の中に著者が書いた、「あたりに投げかえしていた旗が家々の窓にとどまっているあいだ、あらゆる無頓着さをすこしずつすてさってゆき」、という言葉のとおり、目に、耳に届くこの世の事以外の土地に足を踏み込むこと・・・夜露をぴちゃぴちゃすすっている獣・・・私は猫と解釈したくなるが・・・の姿に見られる孤独ではあるが、完全に周囲に無頓着になる姿勢。

 それは、時にひもじさを自覚し、そこから逃れるための素直な手段である。
 いや、ひもじさを感じないならば、渇きを感じないならば、そのような楽園のゲームに興じる必要など、ないだろう。
 でもね、この楽園のゲームをするには、自分と同じような境地にいる相手がいなければいけない。
 ひとりでは、叶わないゲーム。
 そうして、その境地とは、楽園なのだ。
 ・・・われを忘れるのがうまい・・・者同士、ゲームをする、チェックを急ぐことはなく、期を待つ。
 それがいつか、なんてことは、解らなくてもいい、恵まれれば、それは、驚きの口を開けて、彼/彼女を飲み込むわ・・・廃墟の庭で出会うグロッタのように・・・。


「接吻はいともたやすくなされる」

 このルフランは、明日もつづくかもしれない。

 曇り空のヴァカンス、私は今日もお茶を飲む。

 この夏、よいテキストを作ることができればいいのだけれど。


 kiss...


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