その男の心は私そのもの

 その男の心は、私そのものなのだ。
 心というか、精神と言おうか・・・。


 男の筆は迷うように、蔦のように進み、男の言葉は、愛撫のようにうっとりと私に滲み込む。
 それは繊細で、しかも抜け目なく、誘導尋問のようでありながらも、どこかに怯えがあり、だが・・・恍惚と溜息、そして、失神したくなるような魅力がある。
 女のようにきめ細かで甘やかな意識を持つ男であるが、彼の真実は優しく、ただ、ひたすらに愛を求めている。
 その愛は、究極とも言える思想で組み立てられていて、しかも、危険な発想・・・それは、死をも超越する考え方であり、勿論、彼は死を望んでいるわけではないが、その、死の恐怖と極限の愛を同等に想像しているのだ。



 ・・・男は雨の中を彷徨い、渓流の流れる谷に来ていた・・・その陰気な湿った空気の中で、彼は裸になり、薮や木立の間を歩く・・・枝葉は彼の肉体を苛めるが、彼はそれらと触れ合っていたいと感じている・・・花々がそこに咲き乱れていて、彼はその上に倒れる・・・桜草の中に埋もれるように寝そべり、その花弁と戯れる・・・だが今の彼には花弁は柔らかすぎ、彼は更に自分を痛めつける自然の中に身を溺れさせる。
 彼は当然、世間の中に生きているが、自我と、呼べば応える自然と繋がっていさえすれば、人間の社会はもはや自己の外部と認識している・・・彼は自分の所属する場所を知りえたなら、それでいいのだ・・・それこそ、婚姻の場所・・・例え人が彼を狂人と呼んだとしても、古い論理の上に立つことなど、まっぴら・・・彼は新しい世界で自由になろうとしている・・・が・・・。


 彼は言わば、一般の言うところによる"人間性"、"道徳"や、"感情"とは治外法権の場所を目指しているのだ。
 そこには行動の基準は無く、人は、根源的な欲望に素直に従って生きるという目的のみで、既知のものは、何ひとつ存在しないという思考・・・いいえ、理想・・・。


 彼は或る女を愛している。男は確かに愛しているのだ。それは"信頼"で成り立つ愛であり、目に見える美しさだけではない。何故なら、彼はもう、目に見える美しい女を見飽きるほど見てきた。そして彼がそこで最も感じたいのは、むしろ、見えない美・・・これは、自己を完全に放棄した女の姿であり、お互いがふたつの星のように均衡を保ちながら結合するという釣り合い方なのだ。
 そして、その女も彼を確かに愛している。この女は"wille zur Macht(権力的意志)"を嫌悪しており、彼女は弱い者苛めを好まない。彼女は"古きアダム"を軽視している。
 だから彼は彼女に言うわ・・・二匹の猫の行動を観察しながら・・・
「あの雄猫はあの雌猫を純粋に平衡状態に、つまり超絶的永続的な"rapport"に引き入れてやることを望んでいる。彼がいなければ、あの雌猫は単なる野良猫でフワフワした切れ端に過ぎない。それを思えば、権力的意志は能力への意志だ。アダムはイヴを楽園の中に入れておくことができた理由は、彼がイヴを自分とだけ暮らさせておいた間だけのことだった」
 男は子供をつくるために女とベッドを共にしたいなどと考えていない。
 男は女に言う。
「もしも君が西に向かって歩いていたとすると、他の三方を捨てることになる。もしも君がひとつの結合を望むなら、それによって混沌の可能性を一切捨てることになる。これは創造の法則だ。人間とは自己をコミットしているものだ。確かに人間は他者との結合に身を委ねる必要がある・・・永遠に・・・。しかしそれは自己を捨てることではない。神秘の平衡と完全な姿で自己を保持することであり、星が他の星と均衡を保っていることと同じことだ」
 すると女は打って出る。
「あなたはご自身を信用していない。あなたは真にその結合とやらを望んではいないように見える。あなたはそれを手に入れるべきだわ」
「どうやって?」
「ひたすら愛することで」


 ここに見る女は大変阿呆らしいことを発言しているが、どうしてどうして、男はむっとしてしまう。女にこのようなことを言われると、男は一瞬、うだつが上がらなくなるだろう。
 だが、出る釘を打たれた彼は反論する。
「僕は奉仕する愛というものに憎しみを感じている」
 ・・・ああ、これは男にとって些か苦しい言い分となるが、彼はエゴイズムを憎悪しているのだから、黙って聴こうじゃないか・・・。
 立て続けに女は言う。
「愛は誇りへの道程だわ・・・私はそれを持ちたい・・・私の愛がどんなものか・・・」


 沼地で彼は彼女に言う。
「この匂いがわかる? 暗黒の匂いが。我々は命を銀色の川と称し、それは天国へ流れると想像することができるが、一方では暗い崩壊へ向かう別の川がある。その川から生まれたのは、アフロディテであり、この白い花々もそうだ」
 女は訊ねる。
アフロディテは死と結びついているの?」
 男は応える。
「そう、アフロディテは死の過程の神秘を示している。それを創造する流れが滞ると、逆の過程が、破壊的創造と化してしまう。アフロディテは崩壊の痙攣から生まれる。この水辺の花々や草木も、そして人間も生まれる。破壊的創造の過程から」
「私たちは崩壊の花なの・・・"fleurs du mal"だと言うの?」女は疑問を訴える。
「我々の全てがそうだとは思わない。が、或る種の人々は僕の認識にある腐敗の花・・・百合そのものだ。が、暖かい炎のような薔薇であってもいいじゃないか。ヘラクレイトスは言った・・・『乾いた魂が最上のものだ』と。僕はその意味がとてもよく解る」
 「人間が全て崩壊の花だったとしても、それのどこが悪いの? どんな違いがあるの?」女が再び訊ねた。
「崩壊は生産とは相反するものだが、どちらも進む時は同じように進む。進化の過程だ。行き着くところは宇宙の果てであり、世界の終わりかもしれない。が、世界の終わりも始めも同じようなもじゃないか?」
 女は否定する、が男は続ける・・・・・・


「いや、絶対にそうなんだ。世界の終わりは、その次にやってくる新しい創造の新たな周期を意味している。もしも今が終われば、我々は終わりの人間ということになり、"悪の花"だろう。"悪の花"なら、僕たちは"幸福の薔薇"ではないということになる」
「・・・私は自分を"幸福の薔薇"だと思っているわ」女は言う、すると男は、
「造花の?」と訊く。
「いいえ、本物よ」女も続ける「あなたは悪魔よ」
「それは違う。僕はただありのままを知らせたいだけだ」
「死を?」
「そのとおり」



 ・・・ゲームが過ぎる・・・男の無頼とは、引っ込みがつかなくなるので、我慢しよう。



 ところで・・・


 終焉と始まりの境目において、どうやら、この男は永遠を知りたいと思っているのだ。
 ギリギリに生き、あらゆる無駄を省き、削ぎ落とし、暗闇の中に光を見つける。
 あたかも、猫の目のように、闇の中でも光る瞳。


 それは、平凡に幸福を信じる者にとっては、悪魔かもしれない。

 が、神というものがあったとして・・・

 その存在も、暗闇を照らした者だったはずだ。

 そして、私は奉仕とは、今でもどうやら芸術の持つ役割の一つだと考えている・・・太宰治のごとく。
 配るもの、広げるもの、どんな人間にも分け隔てなく、与えるもの。




恋する女たち』の心を敏感に感じとりながら、人間の究極の愛を描こうとしたその男の名を、D.H.ロレンスと思ってください。


 そう、この男は、Risaそのもの、なの。


 それでも・・・


 私は、"just like a woman"・・・だわ!


 百合か、薔薇か・・・?




 ..* Risa *¨