代官山の夜
1月21日、"晴れたら空に豆まいて"、通称"空まめ"にて行われたlonesomestringsとSignalsのライヴは、凡そ日本人とは思えない音と空気感だった。
前者が良質な景色を次々に表現していく絵画だとしたら、後者は澄んだレンズから表された研ぎすまされた写真、と、形容したくなった。
どちらも、どこかにあるようで、どこにもない世界である。
その場に集った人たち、それぞれが、思い思いの光景を想像すればいいのよ。
夢であるように感じれば、眠ればいいし、記憶の中のヴィジョンと抱き合うような気持ちになれば、抱き合えばいい。
Lonesomeはやや温和なモードのパフォーマンスだっただろうか?
何れにせよ、いつも同じ顔ではないわけだが、マンダラ2でワンマンの時よりも少しだけ大人し目だったかもしれない。
Signalsは、私は初めて鑑賞させていただいたのだが、感動した。
トランス、であるし、非常に幾何学的な物語性を秘めている。素晴しい。
と、ここまで神妙に綴ったが、実に、私はSignalsのドラマーの椎野恭一氏にゾッコンであった。
nmmm......この夜、私は氏を、"世界一好き"、と、言いたい(あ、いや、言ったか?)ほどだった。
何とも繊細、かつ、洗練されていて、細部に行き届き、pからクレシェンドしていく様の魔術的な魅惑。
毒、であった。
媚薬を飲むとは、このような気分のことで、それは、少々苦みもあり、含めて、芳醇である。
ブッキングがステキだと、集まる人たちもまた、味わいのある人々が多く、突然の出逢いもあるわ・・・。
一部ロンサムが終了した時、私に近寄ってきて、話しかけてくれた青年がいた。彼、曰く・・・
「メチャメチャ、いいじゃないですか、ロンサム。初めて聴いたんですが、色んな景色が浮かんで、泣きそうになりましたよ」
で、Risa応えて曰く・・・
「泣いたらいいじゃないですか。男が泣くの、私、好きです」
などなどお話ししていたのね。
で、つい、私ったら"女寅次郎"="寅子"になってしまい・・・ああぁ〜・・・Risa本を彼の青年にご紹介などしてしまったというわけ。
「女心を知りたい? だったら、これを読んで」と、爽やかに(?)お薦めしていたのである。
まあ、そんな無駄話はともかくとして、初めて観て、聴いた音楽に、あれほど感じ入ってくださり、そうして、その気持ちを私などに素直に語ってくださった彼は、とてもピュアな心を持った男性のように私には見えたのね・・・彼は柔軟な心の持ち主で、きっと・・・そうね・・・大変大切にされて育った印象のあるnice guyだった。私は邪気のない育ちの好さに、弱い。そういう人を見ると、仮に二度とお会いできないとしても、その時間、その瞬間の触れ合いを大事にしたいと思う。
結局、物を創り出す作業とは、営業抜きで、人間と向かい合うことなのだ。
確かに、私は寅子のようになって、彼に私の本など紹介してしまったが、それでも、関心を持つまでもないと考える方は正直に手にすることもなく、去るだろう。
が、しかし、こういう叩き売りの真似事など、ちょいと余計なインフォメーションとして差し出したとして、評価、或いは、シンパシーを感じてくださる人もあるのね・・・厚かましくも、嬉しい。
引っ込めておいても仕方がない私のささやかな表現なのだから、著した以上、触れてほしいのが、本音である。
nice guyといえば、友人のSuemarr氏にも会場でお会い出来、久しぶりに顔と顔をつき合わせておしゃべりが出来た。
運転があるので呑めなかった私であり、それがちょっぴり残念ではあったが、愛嬌で失礼する(笑)。
代官山を後にした23時過ぎ、我が車内はフリー・ジャズが鳴っていた。
こんな音楽を聴きながら、ひと仕事した(演奏を終えた)者が帰宅するか? と呆れるほどの、"Free"である。
帰るというより、どこかへ向かうために足掻きたくなるような・・・
穏やかな"hush-a-bye"とは、方向が違うような・・・ね。
バンマスは、恐らく、更にバンドの音楽を広がりを持ったものにしたいと感じているのだろう。
Risaには、そのように、思えた。
だから、あなたに一言、そっと言わせて・・・
創作者は、自分にだけ、猛烈に贅沢に、我が儘になること。
しかし、あなたを取り囲む世界に対しては、底抜けに寛大になること。
そして、全ての人間は、全て異なる思考と感覚のもとに生きているということを忘れずに・・・。
それは、私流に言えば、人とは、どんなに身近で親密と感じている存在であっても、絶対に、絶対的ではありません、そう、絶対に、他者の心を完璧に理解しうることは、ない・・・ということ。
悲しい物言いだが、これは、仕方がない。
実際、私は今、他者に多くを望んでいない。
それは、冷たいのでは、ない。
それは、むしろ、人への思いやりと感謝である。
私は、無理に、無闇に、選択もなく、人を招くことをしたくないだけ・・・今はね。
同じ景色がどこにも無いことと同様、同じ心は得られない。
だからこそ、誰かの心の泉に石を投げ込みたくなるのであって、その些細な行為こそ、交友への一歩であり、"輪"、或いは、"和"へ通じている。
佳く生きていれば、それは黙っていても、伝わる者には、伝わり、時に出しゃばったとしても、愛されるだろう。
それこそ、平和と愛・・・では、ないかしら?
pic1 : Suemarr氏&Risa
pic2 : 椎野氏&Risa
pic3 : 三位一体!;*)
PEACE & LOVE
..* Risa *¨