"let it be me"/"Franny and Zooey"

 R.I.P...J.D.Salinger......

 そして、恋をしていると感じている全ての隣人へ。


 私は今、ひとりで食卓に向かい、新鮮な数種のハーブとオリーヴ・オイルでさっと和えたパスタを白ワインとともにいただきながら綴っている。
 聖域ともいいたい金曜の夕刻。今日は少し、解放されたい気分である。
 私がその著作の全てを愛した作家のひとりであるJ.D.Salingerが今日、亡くなった。老衰だと記事に書かれていたが、老衰とは、理想的な死に方だ、私にとって。何故なら、それは大変、植物的、動物的な最期であるから・・・。

 "Franny and Zooey"......

 この小説を私が初めて読んだのは10代が始まった頃のこと、'70年代の後期。きっかけは・・・ああ、きっかけは、とても単純なことよ。そう、当時私はDavid Bowieに夢中だった。彼の息子の名前が"Zooey"だと知り、それはSalingerの"Franny and Zooey"からその名前を選んだというような記事を読んだからだった。
 私は早速、書店でその本を見つけ、読んだわ。
 実に私は少女にもかかわらず、書店でいつでも好きな本が買える状況だった。というのも、私の家は毎月何かしらの書籍を購入するので、月末にその一切を書店が集金に来るシステムになっていて、私の父は私にその馴染みの書店から自由に本を買ってもよいと言ってくれていたのだ。父は私に本の不自由をさせないように考えていたのだろうが、それにしても、彼が所有している世界文学全集が書斎の棚にぎっしり並んでいるにもかかわらず、私にも新たにそれらを買い与えた。その中に、Salingerの"Nine Stories"もあったが、私はそれより先に"Franny and Zooey"を読みたかった。ついでに言えば、"The Catcher in the Rye"よりも、この"Franny and Zooey"に影響された。
 影響と言えば、思春期とは、自分が認め、好きになったものには全て感化される。そして当然、その季節は反抗期でもあるだろう。私はSalingerに"spoil"されたわ・・・。Rock'n RollとBeatnik・・・そしてSalinger・・・。ちょっと生意気で(いいえRisaは産まれた時から痩せっぽっちの生意気だった)、はみ出していたっけ・・・。
 そんな私に父はこんなことを言った。

 'レジスタンスを持つのはいいことだ。が、君はそれを君の外の世界に持つのではなく、むしろ自分自身の中に持つべきだ。それができて、初めて君は外の世界に対して対等になれるだろう'

 私は今でもこのパッパの素敵な助言が忘れられない。
 そうして今でもRisaは青き少女みたいな性質を抱えている。

 さて、話を"Franny and Zooey"に戻しましょう。
 そうよ、この室内劇は、とても特殊な性格の人々によって描かれる。NYのスクエアな家庭とも感じられる要素がありながら、どこか閉鎖的であり社会的ではない。彼らは才能があるが、世間に馴染もうとしない。コンプレックスを感じているようにさえ見える。それで・・・。
 それでね、私がとても、とても、とてもこの小説に感じる"もどかしさ"がひとつ、あるの。
 それは、この'Franny'と'Zooey'が兄妹ではなく、恋人同士だったら、更にステキだ! という、我が儘な理由、いいえ、願い・・・。
 それを願いたくなったシーンは、まず、物語が"Franny"からZooey"に移行し、お風呂上がりの'Zooey'が'Franny'の近くにやって来る部分。少し、引用させてくださいね、Mr.Salinger・・・


 ...Zooey abruptly went over to it. he moved an ashtray, a silver cigarette box, and a copy of Harper's Bazaar out of the way, then directly sat down in the narrow space on the cold marble surface, facing - almost hovering over - Franny's head and shoulders. he looked briefly at the clenched hand on the blue afghan, then, quite gently, with his cigar in his hand, took hold of Franny's shoulder. 'Franny,' he said. 'Frances, let's go, buddy. let's not fritter away the best part of the day here....let's go, buddy.'
 Franny awakened with a start - a jolt, really, as though the couch had just gone over a bad bump. she raised up on arm, and said, 'whew.' she squinted at the morning sunlight. ‘why's it so sunny?' she only partly took in Zooey's presence. 'why's it so sunny?' she repeated.
 Zooey observed her rather narrowly. 'i bring the sun wherever i go, buddy,' he said.
 Franny, still squinting stared at him.'why'd you wake me up?'


 思春期の私は、自分が重い夢から目覚めた時、こんな科白を投げかけてくれる男性がいたら、すぐに恋をするだろう、と思った。
 ・・・自分の行く場所には、どこにでも太陽を持っていく・・・。
 彼女はその太陽によって暗い夢から目覚める・・・。

 私にはこの兄妹があまりに近親相姦的に読めてしまい、あの頃、私はもう勝手にこの二人を恋人たちに仕立て上げた。仕立て上げたが、私がそのように読んだところで、物語の中の二人は、あくまで兄妹なのである。そこが、Salingerの優しい視線なのだ。
 そしてこの作家がBeatnikの作家たちと異なる解釈として私が個人的に感じることは、それは、Salingerは常に社会的弱者に目を向けて描いたということだろうか。子供、女性、差別されている人々、繊細な神経を持つ人々・・・要するに社会的不適応な存在を抱擁していたのよ。おそらく、彼自身がそのような心で生きていて、例え彼が第二次大戦中にパリでヘミングウェイと会ったことがあっても、彼はヘミングウェイのような男性的な表現をしなかった。それに、この"Franny and Zooey"が、映画監督のエリア・カザンによって映画化されるという提案が持ち上がった時も、作家はそれを断ったと言われている。
 また、彼はひとつの物語の中で、エズメという少女にこのような言葉を言わせる。'私のために物語を書いて。とても惨めなお話を'。"Nine Stories"に含まれる一話の愛らしいシーンである。彼女エズメは、兵士である主人公に彼女の父親の持っていた大きな腕時計を贈る。が、その時計が彼の部屋に届いた時、時計は無惨に割れていた。なぜ惨め、或いは、哀れなお話でなければ成り立たないのか? それが、Salingerと、彼の時代が抱えていた問題だったのだ。
 第二次大戦に勝った国も、負けた国も、それぞれ問題を背負うことになったが、それは今、こうして振り返ってみると、正反対どころか、お互い案外似たような問題ではないだろうか? 何れにせよ、戦争が与える影響というものは、勝敗に限らず、辛辣な記憶と道である。21世紀になった今も、その痣は消えない。人間とは、それが愚かなことと知っていてもくり返す。そして、私たち個人とは悉く無縁な場所で、そのようなくり返しを好む族がいつの時代にも存在し、壊してしまう。愁い/憂いは、引き継がれる・・・いけないことよ。だからといって、権利だけを主張するつもりはないわ。でも、悲しみは絶えない・・・ああ、こんなお話は、今宵だけは止めていたい・・・。

 だが、彼、Salingerの小説世界には、アメリカン・ロマンスとも言える美しい魅力が散りばめられているわ。ハック・フィンや、トム・ソーヤに始まるあの少年の無垢の世界・・・ああ!

 あら、いつの間にか、また話題が"Franny and Zooey"から逸れてしまって・・・戻しましょう。
 で、少女だった頃の私は、この物語を恋人たちの物語として、自分で描けばいいと考えたことがあったというわけ。それはこんな私というひとりの少女の空想だった・・・。

 そう、二人は、’Franny'と'Zooey'の兄妹は、'50年代の或る日、飛行機に乗るの。理由は何でもいいわ、"バナナフィッシュ"のための旅でもいいし、俳優になった'Franny'が兄と一緒にどこかへ公演旅行に行くという筋書きでも、いいわ。とにかく、彼らは空を飛んでいるのだけれど、悲しいことに、その飛行機は墜落して、二人は死んでしまう。
 ところが、彼らは新たに生まれ変わり、現代、再び出逢う。
 出逢う彼らは、今度は兄妹ではなく、男と女、恋人たちとして新しい生命を受け、生きる・・・。
 そんなお話を想い描いた10代のRisaだった。


 さて、パスタも食べ終わり、ワインもちょっとだけ効いてきた頃かしら?
 気分は全くの恋人-'Franny'となった今。
 お皿とグラスを洗う前に夜空を眺めましょう。

 and...

 'see more glass?...'
 

 その'Risa-Franny'はひとりぼっちの夜、こんな曲を口ずさみながらそっと想うの・・・。


 '私の'Zooey'は、今、どこで何をしているの?'


 '...let it be me......'


 


 "永遠"とは、美しい言葉よ。

 そして、それを今、感じる心は、もっと・・・いいえ、最も美しいはずだわ。


 PEACE & LOVE


 ..* Risa *¨