モーリス・ドニ/Maurice Denisの園に遊んで



 山梨県立美術館にてモーリス・ドニ/Maurice Denis、「モーリス・ドニ−いのちの輝き、子どものいる風景」を鑑賞。昨年春に催される予定が震災のため延期されたとのことですが、2011年秋には東京でもこの特別展を見る事ができたようですね。私はその頃フランスにありましたが、この週末にちょっとドライヴして足を運ぶことができました。
 山梨県立美術館に行くのは2度目で、こちらの美術館には、バルビゾン派の画家ジャン-フランソワ・ミレー/Jean-François Milletの作品を展示した「ミレー美術館」もあり、『種をまく人』をはじめ、コレクションはかなり充実しております。私は『種をまく人』をかつてこちらで観た時、涙が溢れた記憶があります。


 そう、私がかつてここを訪れたのは両親と一緒の夏の事で、その晩私たちは石和温泉に宿をとり、のんびりした一日を過ごした記憶があります。うだるような夏の盆地の甲州にて、ふっと入り込んだこの美術館は、何とも心地よく、それから今日にあるまで、機会があれば甲州の山々の景色を眺めながら車を走らせ、度々訪れてみたいと私に感じさせた美術館です。
 ナビ派と称されるフランスのグループで若き日々活躍したドニの作品は、柔らかな線と独特のあまやかな色遣いが特徴です、今回の特別展では、ドニの子供たちと妻(彼は最初の妻と死別した後、新しい妻と子供を持ちました)を描いた作品が主であり、家族の肖像をたっぷりと味わうことができました。
 彼の描く子供の表情は可憐ではあっても、フラ・アンジェリコ/Fra' Angelicoに見るような大人じみた印象があります。それは彼の信仰精神と伝統主義的な現れと見ますが、それだけではなく、家族を描くことをしながら、画家が日記の如く、存在に触れる、という意識を絶えず持ち続けようとした努力の念に近いものを私は感じました。
 愛することは触れることであり、触れることによって育まれる心の交流があり、しかし、そこには個々の生が存在する以上、一体であって、一体ではない。だからこそ、記録していたい...そのような、生に対する強い欲望をも観て取ったような気持ちになりました。


 ですが、彼がおそらく、仕事として描いた作品群には、またそれらの家族の肖像とは異なる力作がたくさんあり、"夢のような園"、と言いたくなるような美しい世界をあたかもご褒美のように描き出しているのです。


 表現は、全て記録...だがしかし、私たちはそれらを自分の墓場には持ち込むことなど出来ない。
 ただ、生きている時だけが、それらを感じさせ、もたらせ、喜びの瞬間として記し、やがては遠いものとなり、それでも可能であればどこかで生き続ける。


 私の中の喜びは、いつも時間と共に去るが、私が消えたら、それらも消える。
 すがりつくのではなく、飛び去ってしまう情景をここに、連れてくることが、いいのでしょう。


 今日の私の文章は優しい...きっと、それは、ドニのおかげです。


 Maurice Denis-Maria#


 Risa :*)