乙女の純情...或は...Black swan...*



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 母の読み聞かせ、父のラジオドラマのような昔話、いつまでも眠らず大人を困らせた幼児期の私である。
 人は、私という、案外な"ベランメエ"を知らない人は、私がかつて少女漫画の世界に遊んだと信じる人も少なくはなかった。が、私は『ガラスの城』というかつて雑誌「マーガレット」に連載されていた作品に描かれていた怖いお話の記憶こそあるが、それでさえ一時のこと、それは私の家を訪ねてくれた或る御夫人が、「女の子なら少女漫画が好きでしょう」、と言いながら手渡してくれたからだったが、自分でそれらを書店に求めに行くことは一度もなかった。当時6歳かそこいらだった私は、いただいたその唯一の少女雑誌を何度も開いたが、決まって『ガラスの城』だけを読んでいた。なぜその恐怖にワクワクするのか、幼き少女時代に考えてみる必要など感じもしなかったが、私の興味は明るい学園生活より、得体の知れない物への関心、そして、そこに描かれている絵の世界である。美しい洋館に蠢く影と不信、それがひとりの少女に襲いかかる。そう、同じ頃、父の知り合いのご家庭の娘さんが読んでいた楳図かずお氏の作品もお邪魔するたびにこっそり眺めていた。彼女の部屋でのみ、それを満喫するために。
 私はただ、自分の家の中では少年少女世界文学全集を片っ端から読んでいくのである。これらの本には絵はない。申し訳程度に挿絵こそ含まれることこそあっても、私は文字を追いながら当然、本の中の世界を思い描く。私はここでは、怪奇に襲われる少女でもなければ、死体にも出逢わない。動物に出逢い、時に空を飛ぶ子馬に乗り、または農家のおかみさん、憧れは、"森番の女房"ってな感じである。お姫様より、パンを焼きスープをこしらえる素朴な老婆になるか、箒に乗る魔女...だから私は今もカラスが好きである...或は日本のお伽噺と同様の"おじいさんとおばあさん"と共に暮らす子供、としての自分、である。『ブッコラのしっぽの毛』というアイスランドの昔話は今でもよく憶えていて、私は失ったものを取り戻すための旅物語が特に好きだったのかもしれない。たった一頭のかけがえのない牛が消えたことで、子供はそれを探しに出かけ、そこで悪魔に出会うが、ブッコラという牛が少年を救い、彼は牛とともに家に戻るという話だが、現実生活の中にそのような事件が起るはずのない私の日常において夢をみるのは、そのような遥々とした光景だったのである。


 7歳から8歳になると、シャーロック・ホームズとアルセーヌ・リュパンが私を待っていた。私は父や叔父が吸っている煙草が何分で消えるかじっと見詰め、暗号文を勝手に作り(暗号文などそこいらに転がっていないのだから自分で考えるしかなかったのである)、時に若い伊達男になったつもりで歩くのである。『奇岩城/うつろの針/L'aiguille Creuse』を読んでも、私は賢い少年イジドール・ボートルレ君よりリュパンを慕い、ホームズたるHerlock Sholmesを振るのである。


 そんな私であるはずが、同じ頃、眠る前、ベッドの中でしていることは、漫画を描くことだったのである...可笑しなもので、それは欲望でもあったのかどうなのか、私はノートにササッとコマを作り、そこにひたすら素早く少女の顔を描き始め、どこにでもあるような物語をパラパラと作るのである。眠るまでの殴り描きのような代物だが、翌朝学校に行く前、そのノートを枕の下か、ベッドの下に隠すことを忘れない。が、やがてそれは母の目にとまってしまった...「あなた、漫画を描いていたのね」と、不思議な表情で私に母が語ったとき、私は死にたくなったものである。どうして母親とは、黙っていられないのだろう...これが、森番のおばあさんだったら、きっと何も言うまいに...。そうして私の漫画熱は突然、死んだのである。


 私は習っていたバレエに没頭した。当然ピアノは好きであったが、私は身体を動かすことを信じ始めたのである。幼い頃から父によって鍛えられたスキーがやっと身に付き始め、踊る私を助けていたこともある。『みにくいアヒルの子/The Ugly Duckling』は白鳥を夢見た。10歳になった頃、トーシューズを履いて踊ることを許された私は、それから1年も経たないうちに『白鳥の湖/Swan Lake』の有名な黒鳥の32回転(32 turn fouetté)を難無くこなした。バレエはああ、音楽とダンスという大好きな事を私の裡で完全に一体化することができる! しかもそこに物語が存在し、私は誰にでもなれる! 爪先で立ち、ジャンプし、回転し、微笑み、嘆き、苦悩し、人生の全てがこれに在る...私は日曜の午後に靴を履き、家にあるレコードに合わせて自ら振り付けをし、踊った。チャイコフスキーだけではない、踊れると思える音楽のレコードに片っ端から針を落とし、時に針が飛ぶことも無視し、床が傷つくこともかまわず踊った。汗をかく...そういう熱い夢を、まだ知らぬセックスに似た快感を求めるように、そこで踊った。


 しかし反省せずにいられない思い出がある。それは、階上の自分の部屋で私が踊っていた時、まだ幼かった弟が私の部屋のドアを突然開け、「何してるの?」と、無邪気な顔を覗かせた晩のことである。私はまるで悪魔のように「何しに来たの?!」と彼に言い放ち、その瞬間、弟の胸を強く押した。ドアは開かれたままで、弟はそのまま廊下に押し出され、14段の階段を真っ逆さまに落ちて行ったのである...。大きな音に驚いた両親は落下した弟を抱きかかえ、何があったのかと問うように私を見上げた。階上に立つ私は呆然としながらも、自分の中に悪魔のような物があったことを認めた。弟は大きく泣いたがすぐに泣き止んだ。幸い彼はどこも負傷しなかったのだが、私はその夜、彼の夢を見た...弟の腕が引きちぎられる夢である...今度は冷たい汗をたくさん、かいた。夢に目覚めながら私は、弟がひどく辛い気持ちになり、それでも、自分が姉の部屋を覗いたことを、悪い事をしたように感じている幼い彼の心を痛感した。父も母もきつく私を責めなかったのである...そう...彼らは家族だから私を気遣ったのだ...私もその家族の一員であるのに、なぜ、私は皆を理解しようとしないのだろう...? ごめんね、直ちゃん...もっと優しくならないといけないね...私は白鳥ではなく、黒鳥なんだね...。


 その頃、私の暮らす街のひとりの少女が自殺をした。彼女は中学生で、まだ小学校の高学年の私には、その知らせは私の心を動かした。彼女が自ら命を絶った場所は丘の上の墓地で、それは或るキリスト教系の新派の人々の魂が眠る場所だった。彼女はその宗派とは全く関係はなかったが、私にはなぜ彼女がそこを自分の死に場所にしたのか、何となく理解できるような気がした。その墓地は美しく、緑の芝生と樹々に囲まれていて、雑木林の中の急な坂道を登りきると突然現れる楽園に似た様子があった。時々、大人たちは子供たちに、「あそこにひとりで行ってはいけない」と言うような場所...映画『Melody/小さな恋のメロディ』の中の一場面でトレーシー・ハイドが演じる少女メロディがマーク・レスターが演じるダニエルを知った後、「お墓で男に会った」と母親と祖母に言うと、「お墓になど行ってはいけない」と彼らがメロディに言うシーンよろしく...皆で行けば怖くないが、ひとりで行くと"行きはよいよい、帰りは怖い..."という場所である。勿論、街の中心部にはカソリックの教会があり、そこの墓地は教会の門が閉まれば中には入れない。が、その丘の上の墓地は当時、公園のようであり、入ろうと思えば誰でも入ることができたのである。少女は夜更けにそこに出かけた。そしてその後、誰かに発見されるまで、家には戻らなかった。街の人々の中には、亡くなった彼女のことについてこのように言う人たちもいた...「少女漫画の読み過ぎ...だった...」。10歳そこそこの私はその安易でゴシップじみた発言を忌み嫌った。センチメンタルで若干13,4歳の娘が命を絶つものか、それは確かに未熟かもしれないが、死を選ぶということは、狂気かさもなければ絶望という病に蝕まれなければ行えない...私は暗い夜に少女がひとり墓地で支度をする姿を想像してふるえた。死への願望について考えるには、私はあまりにもこの世に生きる、いや、単に明日というものへの希望が多すぎた。
 それからしばらく経って、私が初めてLittle Featのアルバム"Sailin' Shoes"のジャケットを見た時、私はあの丘の上の墓地の光景を思い出した...。


 このつづきはまた後で...


 しかし、少女というのは、何だろう...いつも欠けている、そして、駆けようとする。 
 少女とは、もうひとりの自分を感じながら、白い夜着を纏って闇に挑む。
 乙女の純情は、満月になるのを待つように、時に黒い憂鬱を纏って夜光虫のように光る。
 彼女たちは巻き込み、巻き込まれる必要があるのだ...彼女たちの"美しき魂の関心事"に。
 そこに後悔はなく、それは昔の人たちが、「森へ近づくな」、とか、「墓に近づくな」と言ったように。
 または、全ての母親たちが佳き選択を行おうと心を込めて努めていても、何処かで、過ちや危険を犯して/冒してしまうように。




 Risa :*)