八月がくるたびに



 さて、今夜は少し少女に戻ってみようか。小学校は半ばの頃、夏休み、私は大きな向日葵が胸にプリントされている白いシャツをよく着ていた。白い帽子をかぶり、濃いピンク色のショートパンツをはき、ショートパンツはピアノを弾く格好にそぐわないからと言い訳をしてレッスンをサボっては、うつぶせになって行儀の悪い姿で読書をしたり、庭で蚊に刺されることも気にせずピクニック気分で絵を描いたり。


 夏の午後の過ごし方、それは計画的であるべき日常から顔を背けるからこそ素敵なのだ。
 そんな或る少女期の8月、私が読んだ一冊の本があった。『八月がくるたびに』。その時代、日本の高度成長は当然の日常として在り、戦争を知らない子供たちには、戦後という言葉さえもはや過去の響きと感じられた。しかし必ずやってくる8月6日と8月9日、そして8月15日という日は、子供の小さな心にさえ戦争の悲惨を実感させる。


 この本を読んだ私は、母に戦時中の事を尋ねたものである。1940年生まれの母は幼い日々の記憶を辿るようにして私に思い出を語ってくれた。防空壕の事、日に日に貧しくなっていった食生活の事、米国の飛行機が真上を旋回している最中に病気になり、横たわっている母を、母の祖母が抱きしめていてくれた事…私は母が体験した事を聞くだけでも十分その日々の困難を知る事ができた。しかし、父の話はもっとシリアスなものだった。父はあの戦争について憤りに近い意見を少女の私に語った。私はそれら父の話す歴史を苦く感じ、祖父の背中に遺った銃の傷を想った。その祖父は大叔父としか戦中の話をしなかった。たまたまそこに無垢な状況で居合わせていた私は遊んでいるふりをしながら祖父と大叔父の交わす言葉にしばしば耳を傾けていたことがあった事を記憶している…。


 くどい私は更に私の祖母にもよく戦争中の記憶を尋ねた。祖母のものは母の記憶と同様の話もあったが、祖母がその時代に母親であっただけに、彼女の思い出話は母の少女時代の思い出よりも現実的に私の心を突いた。日本はその時代、国民全体で貧しさを知ったのである。かつて豊かな文化や柔軟な思考を持った日本という国は、貧困と焼けただれた土地に映されるばかりの無惨な国と化した。この年の夏の読書は、私に原爆は勿論、様々な課題を与えた。


 が、どうだろう。その焼け野原には新たな建物が建てられるだけでなく、樹々は育ち、作物たちも動物たちも人々も共存しながら壊された世界を改めて作り上げようと進んだ。経済だけでなく、或る意味、より良く立て直された世界が確かに戦後の日本にあったことは認めたい。甘いと言われようと、それは私が生まれた国であり、私はこの国を愛しているから言うのである。


『八月がくるたびに』。本は誰をも傷つけようとして綴られたものではない。それは当時の私と同じような少女が体験した原爆の記憶である。しかし私の心は傷ついた。
 では、本と作者が私を傷つけたのではないとしたら、何が私の心を傷つけたか。それは人間によって犯された罪である。私に真夏の火照るような日常に起こった大量虐殺という、残忍で野蛮な行いが私の知らない時代に有り、そのような世の中を、人々がそれを運命であり試練であるかのように受け止めて生きたという歴史の恐怖である。


 私は野蛮と書いたが、この野蛮とは、例えば、幾つもの問題を抱えた場合、何かひとつを選択しなければならなかったとして、その時に問題の数と解決策の行方に縛られ、最短、或は、極端に他をしのいでいるようにその時点で予感できる事のみを選択しようとする思考のことを意味している。


 また私は残忍と書いた。それは欲望や利益のために他者の生活や命を奪う行為である。生きるために奪うのではなく、欲得を期待する事が理由で他を滅ぼす行為を残忍と私は言う。人間のエゴが、当たり前の方向を向いていればまだ救いがあるが、外れた方向へ突入する際には人間性を失った行為が引き起こされ、そこに至るには如何ばかりかの幻想と偶像崇拝も見つけられるだろう。ひとつにあげられる事として、有ったかもしれない日本人の天皇崇拝さえ、恐怖の世界を作った理由として諸外国に取り上げられても致し方ないのが現実である。厭、21世紀の今となれば、それは利用されたと言ってもいいかもしれない。


 ここ、西洋で過ごす今日、私は西洋に生まれ育った人たちとよく政治や戦争について話をする機会があるが、所謂外国の人々の持つ差別への意識は日本人のそれなど及ばないくらい、重く激しく深い歴史を私に知らしめる時がある。また、侵略という事について考えるなら、日本がかつて戦後に体験する占領の意識などを遥かに越えた侵略された国々があり、今も尚、それがどこかで続いているということをしっかり意識する必要がある。侵略された国、植民地になるという事がどれだけの自由を奪われる事なのか私たち日本人は幸い未だ感じ得ない。全てを奪われる事が掟であり、そこに自由など存在しなくなる。世界中の人々が自由を叫び、叫ぶことは自由であるが、その叫びさえ抑圧されるのが侵略の掟。僅かに見出すことができた侵略のほころびを見つけ出せた者だけは、外の空気を経験するために、その人の国家を侵略した国へ出かけて行って何か見出す事もできるだろう。私は今ここでそれがどこの国のどのような状況とかいう事柄をいちいち取り沙汰することは差し控える。


 考えてみれば自由とは、人が産まれた時からその人の手の中にある。何か特別な行為に走らない限り得られないもののように思われるなら、それは虚である。自由はここにあり、それは保たれるべき尊厳であると同時に、本来、誰もが知っているはずの極めて日常的で単純な事なのである。


 残念ながら、21世紀の今日でも侵略の企みは継続され、憎しみや差別が隠されたりあらわになったりしながら世界にある。


 誰がそれを作り出し、誰がそれを起こすのか。


 疑問のように、呪文のように思えるそれらの問であるが、それは耕された大地のように、これから私たちの知る事となり、私たちひとりひとりがひとつの世界を大切に守ろうとすればするほど、疑惑の種を葬り去る事に結びつくのだろう。




 だれが…どうして?
 だれが…どうして?
 こどもがおとなになり
 またそのこどもがおとなになり
 ……けれどこどもたちは
 おとなたちにたずねるでしょう。
 だれが…どうして?




 by 『八月がくるたびに』/ 作: おおえ ひで  絵: 篠原勝之 


 篠原勝之氏とは、和服姿でTVに登場していた芸術家、愛称"クマさん"である。




 …今宵はこの辺で。




 pic1: 『八月がくるたびに』表紙 
 pic2: Crsetの街で戯び、首に下げた銀の灰皿にささやかな幸福を感じながら車窓から見た向日葵畑 













 Risa :*)