12月8日、「対談〜レノンの魂を引き継いで〜饗宴」/ Risa Sakurai(音楽家、文筆家)×Painter kuro(美術家)



 


 それは素晴らしい日曜だった。車で、5人、日立へ向かった。運転は真っ赤なコートを着た愛ちゃん(画家)、可愛らしい笑顔に似合わず、ハードボイルドな運転をする。ビュンビュンと走り、これはちょいとしたロードムーヴィーのようだと思いながらも車中の談話は途切れず、日立が近づくにつれ、穏やかになる冬の空気。
 そして、トンネルを越えると、海があった。
 その海は濃い青で、水平線はこんもりとふくれあがったように空に線を引き、それによって私たちは地球が丸いことを確かめたような気がしたが、私はこのようにふくれあがって見える海、水平線を今日まで知らなかった。

 
 会場の詩穂音に到着すれば、そこは"牧神の午後"といいたくなるような甘やかな空気と柔らかい光に満ちている。
 その光の奥に、画家Painter Kuro氏の描いた、私、Risa/李早との共有の絵たちが散りばめられている。多くのピンの痕がその詩穂音の壁にあるのだが、この壁に最も多くの<ピンを刺した>画家は、Kuro氏なのではないかと思った私である。


 おっとりとした、この日は"マスター"としてのお勤めをされている画家、小峰氏にご挨拶した後、私は壁にしばし、へばりつき、絵たちを見た。
 絵描きの血と言おうか…そういう、生臭さを私はいかばかりか感じたりしたが、Kuro氏の描いたどの作品も、私が想像していた以上に柔和で、そうして彼の感性のとおりの詩的な表現に漲っていた。
 彼はそれらをベッドサイドに設置するイメージで展示したとお話していたが、確かに、この詩穂音の壁に沿って白いシーツが何でもないようにかけられたシンプルなベッドが置かれていたら、誰もがそこで、シエスタ、或は、それこそ、<牧神の午後>のような"術"をかけられた安らぎに入るだろう…美-術、である。音楽は音を楽しむと書くが、美術は、美の術と書くのである。それは、美のための特別な策略とも技とも解釈できる。それだけに、多様性もある。
 作家もその時々で、自分の身裡にある世界を多様に操る術がある。
 で、今回のKuro氏の企みは、ベッドサイドに在る絵たち…彼にしては、やや、浪漫なイメージを作り上げたのは、氏が私の著書からの部分部分を鑑賞なさってくださりながら、更にご自身のスタイルで構築された結果と思う。
 が、それは、当たっていた。


 それはかつて、レノンがロンドンのギャラリーに入っていった時、天井に向けられた梯子を登って望遠鏡で見つけた"YES"という小さな文字を見た時の安堵に似ているかもしれない。
 それはかつて、私が最初に履いたトーシューズをいつまでもベッドの脇の壁にピンで留めている表れに似ているかもしれない。
 この、Kuro氏と私の、<共有>というものは、それほど互いに語らずとも、あえて、お任せのようにして平気な顔で為されてきた興味深い成り立ちであり、それは、
「姉さん、その姉さんの詩で絵を描いたから、ここに留めとくよ」
 と言わんばかりの自然な、取り立てて騒ぐようなことのない、朝飯前的な作業であり、それであって、絵を描くことが、ひとつの"術"だとして、Kuro氏の作品群は、彼の手による"術"の味わいを存分に露にしていたと感じた。


 対談は新幹線が走り出すときのように、知らぬ間にスーと始まり、途中下車などしながら、一貫してのびのびと(笑)、しかし、新幹線のように時を急がず、鈍行列車の旅のごとく、流れていった。
 集ってくださった方々の微笑みとともに、それは、極めて平和な午後であり、何故そう、私が感じることができたかというに、集ってくださった方々もまた、それぞれの分野でのクリエイターという立場にある人々であったためだろう。
 自分のためにだけあるのではなく、人の力にもなりながら、人々の和を広げようとする人々…私は、そのように生きる人々に今日、囲まれながら過ごせたことを、心から感謝している。


 12月8日という日にしては、もっとレノンの話をすべきだったのかもしれないが、今を生きる人間にとっての語らいと考えると…そうだな…人間が自分が死んだ後にも魂をかかえながら、命日という日、世界を"Santa Claus"のように飛ぶようなことでもあれば、彼が日立の海の果てからヒュウ〜と飛んできて、
「ははは、ここでも俺のことを言う奴らがいる」と、ウィンクし、
「だけど俺は、『ジョン レ ノンセンス』なんて子供の頃に書いた話を本にしたよ」
 と言いながら、次の会場へと冷やかしに行ったかもしれない。


 冬至までのこの季節は、最も夜が来るのがはやい。
 詩穂音を経つ頃には、もう、辺りは暗く。


 今日は、本当に、ありがとうございました。
 詩穂音の小峰さん、おつかれさまでした。
 社長さんともお話でき、楽しかった…マキさんのファンであられるご様子、そして、キャップを被ってらっしゃるお姿はどこか、ミュートの小玉和文氏を思わせるような方。
 ドライヴをご一緒した、和泉さん、夏さん、そしてKuroさん、楽しい道中でしたね、子供のように浮かれながら、食べながら、煙草の煙りが流れる不良車中…。


 ちょっと、マジカルな、ミステリー・ツアー…。




 あの日、あなたは、何をしていた? 1980年暮れ...レノンの新譜に胸ときめかせながらも、当時午前0時が過ぎるまで歌とピアノを練習する日々...あの日もいつものスケジュールと決め込みながらも道草しながら学校から戻れば、母がすぐと...「ジョンが死んだのよ!」
 ...失って知る、その貴さ...ですので私は、人は今日を一杯に生きるよう努めるべきと思いながらも、あまりに日々を一杯で生きると限界がきてしまうのではないかともったいぶるような、未熟な私の<それから>を生きてきた。
 しかしそれは、大好きな食べ物を最後に食べようとしていたら、突然誰かの手が、ぬっと脇から現れて、私の好物を盗み、平らげてしまうような恐れのような愚かな生き方だった。
 そうして、気がつけば、そんな時間への恐れも余裕もない、私の人生が今、ここにある。
 さっさと食べよう、残しておいても、冷めるだけなのである。
 私も、鉄になろうか...熱いうちに打て、と、潔く...




 今日のトークの模様はいずれ、動画としてアップされるかとも思います。
 そして、すでに、来年に向けて、新たな企画も準備されつつあります。
 次回のお仕事は、新幹線がスーッと知らぬ間に走り出すのではなく、飛行機が飛び立つ時のように、滑走路を十分旋回した後、ゴーッという音を立てながら、飛び立つかもしれません。
 来年に向けてという意味でも、佳い兆しを感じた12月8日。

 
 今日という日の、"歓びの情景"に、感謝をこめて
 また、詩穂音にて、私の著書『YES』をご購入してくださった方々に、感謝をこめて




 ありがとうございました。

 


 Peace & Love




 Risa Sakurai / 桜井李早 :*)