福岡史朗&フリルと過ごすクリスマス



 




 12月24日、福岡史朗&フリル、ゲストに桜井芳樹氏を迎えてのライヴに出かけた。
 吉祥寺ハバナムーンは、小さなアビーロード・スタジオ(Abbey Road Studios)になったような感じだ。あたかも史朗さんが彼のスタジオで録音している光景を彷彿させる。


 私は、歌を歌う音楽家が、どのような詩を描くかということを、少女の頃から注目しながら音楽を聴く者である。
 私が感じたいのは、<そこに在る日常>、誰にでも在る日常の中に浮かび上がる歓びや悲しみ、疑問や苦々しさ…そのような小さな個人の世界に在る景色が、大きな世界へと結びつくと納得することができる"詩"である。
 英雄になったり、活動家になったような<個人>の言葉が聴きたいわけではない。すでにそれは、一部の、例えばキング牧師/Martin Luther Kingマザー・テレサ/Mother Teresa、ガンジー/Mohandas Karamchand Gandhiの残した素晴らしい思想、或はダライ・ラマ/Dalai Lama…等で納得できるのである。が、常に人間の世界は同じ疑問と不条理、暗黒や不平等といった事柄を抱えて進み、それを歴史として何ページにも記録し、飽き足らないという不十分を作ることにより成り立とうとしてきた/いる。当然ながら、未完こそが、人類の歴史であると思ってはならないのだが、未来を視るためには、人は日々、小さな覚悟を背負って生きているのが当たり前なのだと知っていて…しかしながら、そこには人間のエゴがあり、厳しく言えば、人間以外の動物には決して無いエゴが、あなたにも私にも、あると考えてみてください。そういう意識が、人間というものにはあるのだと思いながら私たちは暮らし、周囲を見、自分自身をも確かめつつ生きる必要がある存在なのだと。が、私は<個人>のエゴを否定はしない。というのも、人の生において、時にはエゴイストになろうと思わなければ出来ない場合もあるからである。それは<優しさ>や<寛大>に対する個人的な葛藤で、それが時にその<個人>の心を乱したり、苦悶させるが、その<個>が立ち、生きるためには、欠かせない場合があることを私は理解できる。


 あからさまに"Protest Song"を意識して歌を書き、歌う、歌い手もいる。直球で言葉を書く歌い手のことをさしているつもりだが、必ずしもそれを例えばディランやレノンと同様にしてはいけない。彼らとて、時に怒りを言葉にして表し、人々の心にそれは侵入し、人々の心を打ち、人々は共感した。しかし、彼らは音楽家であり、運動家ではなかった/ない。


 私は詩人が好きなのだ。
 そして、その人が伝えたい事を…それは言葉のみならず、或は音楽とともに、或は紙に、壁に描くことによって表現するものをさすのだが…また、それはあえて彼/彼女が詩人と名乗らずともよいのであるが…それを伝達するために、その<個人>がどれだけ生活を懸けているかを感じた時、そうして、それが素晴らしく私の心に届けられた時、私はその詩人/Artistに、頭を垂れる。
 そして私がそうしたくなるアーティストの方々とは、必ず、謙虚/Humbleな方たちなのである。

 
 2013年、それは私にとって平和なクリスマス・イヴであり、歌が、音楽が、バンドというものの魅力が、震災以降、今の日本の人々の持つ恐れや憤り、悲しみや苦悩、濁った日本の政治への反発や抗議といったやりきれない不満を吹き飛ばし…いや、一瞬でも、そのような忌まわしい事を忘れさせるような時間を与えられたことに感謝したい。


 史朗さん、フリルの皆さん、ゲストとして参加された桜井氏、ありがとう。
 そして、ハバナムーンのオーナーである木下氏にも、感謝。


 この晩は、とても、はしゃいだかもしれない。
 初めてお会いできた人たちもあり、会話は楽しく。
 しかし、やはり史朗さんの音楽を聴きながら泣いた場面のあった私である…。
 言うまでもなく、新作『Let's Frog』は素晴らしいアルバムだ。
 以下のリンクはこの度の史朗さんのソロ・アルバム、『Let's Frog』からの作品ではないのだが、今宵は私にとっての最高の曲、「サン・タイガー / Sun Tiger」…を…


 http://www.youtube.com/watch?v=hMFTBcAczFY




 pic: 福岡史朗氏 / Shiro Fukuoka




 Risa Sakurai / 桜井李早