私たちの宿題/our assignment



 昨日の愛らしい雲をアップしながら綴った私の文章のつづきである。…科学は真実を知るための人間の知恵だが、いつしか、誰かが、それを別の意味で利用するようになった。人間の徳は、もはや、長く続いたと思われる中世期やルネサンスの時代のレベルを越えて、今、問われると感じる。
 その問いのひとつの行き先として(いや、言いがかりとしてと言っても良い)は、何世紀も前に世界に金融というシステムを築いた"者たち/グループ"があげられるが、私はそれが何かを、ここで書くつもりはなく、寧ろ控えたい。考えてみれば最近、飛行中に行方をくらまされるはめになった多くの人たちの暗闇からの声が、あの心臓の形の雲を刺しているかもしれない。彼等は何処へ消えたのか。そういう謎は前世期から、旅客機というものが世界を当たり前に行き来するようになってから80件以上もあるという事実を知ると眉をひそめたくなる。この80件以上という数字は、何らかの理由で解決していない消滅、或は、抹殺の記録だという。比較的新しい事柄として、私たち日本人は1983年の大韓航空機撃墜(これについてはwikiなどでどのような事実があったかお調べになるとお解りだろう)、また当然、21世紀の今、日本人は、あの1985年の日航機墜落事件が起った事についての真実に、当時よりもより認識があるだろう。だが、それどころではなく、世界中、あちこちで、"何か"が決められようとしている時期に、世界の中に生きる、"誰か"の搭乗した航空機が堕ちる事実があったらしい。自動車事故よりも確率が低いなどという言い方は、前時代的であり、そのトバッチリを受けたら不幸が我らに舞い降りる。確率の問題以前の疑惑が生じているのだから、人たちは運を任せているという言い方が等しい。
 それは少なく見積もってみても、用心しなければ、私たちは気づかぬうちに、いつも戦争に関与されて生きていると考えて差し障りは無いくらいの確率なのである。
 そのような訳で、多分に、今は、いい機会だ。
 私たちは本音を語り、事実を更に知り、姿勢を掲げることができるのだろう?
 例えば、全く尊敬できない者が国の代表であり、そのような世が存在し、継続していることがデモクラシーだと、誰が思えるだろう? その国は8%という数字に揺れ、M9.0という現実に揺れた。
 忘れやすい人たちには明日を夢見るなどと言いながら、何度も言い続けた明日という言葉の中に、水浴びをし、溶けて行くこともできるだろう。宿題を忘れてしまう輩だ。
 だが、忘れづらい体質を持つ人たちにとっては、常に、明日とは、"勝負"の日なのだと思う。

 
 つれづれなるままに、私は日本人などは、もっと個人が、"不適な笑み"というものを持って世界に臨んでみてもいいのではないかと思う。余所に見習う必要はない。自らの文明が持つ遺伝子が育んできた上等の質があると信じれば、こちらの正しさがあり、それを他と、他の世界と共有する術を画策すればいいだけのことである。
 何故、向かいたくない方向に、人々が行く必要があるだろう?
 権利という言葉を私たちはどこにぶつけているのか。
 "マグナカルタ/Magna Carta"の意味を日本の首相に訊いてみろ。
 奴はいつだったか、言ってたな、ああ、それは確か昨年の事だった。私は夏にフランスで日本の首相の記事を読んだ記憶がある。
 "マグナカルタ"か、彼はよく言ったものである。彼の学識ではスムースに解説されるとは思えないが、この国は米国によって奨励された主権国民である以上、私たちの制限について私たちが申し述べる事ができて当然なのが、デモクラシーである。デモをしていることがデモクラシーでは、ない。


 私は乞食王女である。
 想像的にある労働者と名乗りたい事、やまやまではあるが、もはや、そのような"立場"など、今の私には、銀河系の外の話である。
 草を枕にして眠れと言われれば、それでいいと、感じるではないか。


 指示された宿題をこなせない事は、教育途中にある者にとっては罰当たりな事かもしれない。そうさ、人間はいつだって、教育途中だからな。
 だが、器用に、誰か望む解答をもってして、宿題を上手くこなした人があったとして、その人に、どのような未来があるだろう。
 教養とは、広い心と定義する私である。
 宿題とは、それは、その"時"における、点である。
 最大級に努力したとして、それらたくさんの点が必ず100%をもらったところで、それは更に続く。
 しかし、そのような100%が在るはずが無いのが、人の世であり、これは数字や統計では計り/図りきれない、人間の持つ心の動機によって動かされる。
 世とは、そういうものであり、だからこそ、私たちは…


 "transcended wisdom"…


 やりこめられはするが、真実を見ようとしながらも、ただ、私は私個人の"宿題"に向かうために、佳く生きようと心がけたい。




  




 Risa Sakurai / 桜井李早