「桜の園を取り返す術なきや...」或は"Cloudbusting..."



 




 こんな雲を見る事ができたら幸せだと想うだろう。しかし、"こんな雲"、とは、作られた雲なのだ。暖かかった先週に、人々は今年の春は早いと感じ、満開になった桜を愛でた。私もそのひとりである。
 日が射している今朝…と思えば、突然空は曇りはじめ、雨が落ちてくる。人を惑わす、思い通りにならない気象というものがある。
 そうして思い通りにならないのが気象だけでないということも、知っている。
 最近、8%に揺れた国が、ある。
 その国は、更に以前には、マグニチュード9.0に揺れた国である。
 だが、この後、更に揺れることがあっても、私は雲には隠れない。
 私の身体には幾つかの傷跡がある。
 足には縫った痕。
 顔には切った痕。
 右手小指の関節の筋が破損した痕。
 その他、子供の頃に転んだ時から消えない膝っ小僧の瘡蓋の痕とか、或は、肉体の中に刻まれた傷跡とか。
 そうして、それらの傷に思うのは、それらが私の生きた証拠として愛すべき記憶の一部として、私が生きている以上、ここに在るという事実である。
 私が消えればこれらの傷跡も消える。
 人々が空を眺められなくなる時代が到来したら、"こんな雲"も必要とはされない。
 いや、"こんな雲"を造り出したい人情は美しい。
 が、それにあまり、望みをかけ過ぎても、この先は、危険である。




桜の園を取り返へす術なきや…」 ~太宰治




 そうして今、ボードレールを読みながら、彼の言葉の端々に見られる純情に感心した夜。
 彼の『パリの憂鬱』よりも、いつしか、年をとった私なのかもしれないと感じた今宵。

 


 おやすみなさい...全ての生物に美しい夢というのもが訪れるここは今、静かな夜です。


 https://www.youtube.com/watch?v=K69hEnLpSY8 


 朝が来たら、私は動植物と同じように感じ、気持ちを整えます。




 Risa Sakurai / 桜井李早