一期一会



  




 遺言を書いておこうと思った今日この頃である。
 ところで、生まれが生まれなので、ちょっと鼻にはつくのは仕方ないのだが、私が感じる或る、いい女の書いた本を先程から読んでいたのだが、その著者は或る男たちと対等に渡る為に中年期になってから、血を吐いてまでお酒を呑んだという。21世紀から見れば古い話かもしれないが、そういうやけっぱちになろうとする女の意地は面白い。


 私は呑んで吐いた事は何度かあるが、血を吐いたことはない。彼女は40代まで呑めなかったから血を吐いたのだが、では、私が血を吐くまですることとは、何ぞや。
 呑んで血を吐いたその女は、88歳まで美しく佳く生きた。
 その女の夫という人も、かなり破天荒で正直で、やはり、生まれが生まれなので、ちょっと鼻につく野郎だったが、歯切れよく、賢く、駆けるように鮮やかに人生を生きた男だった。


 クールな、と言うと、ありがちな言い方になってしまうが、やはり、クールは、いい。
 そのクールとは、決断力の事だ。
 我慢が好きな日本人らしいが、私はそういう意味で、時々、我慢が嫌いだ。
 "決断力"こそが唯一、"方向"に結びつくという事は言うまでもない。
 そして、それが遅い者は、進む事に困難する。
 血を吐いてみろ、と、自分に言いたくなったが、ただそれだけでは今の私にとっては愚か者の証である。


「一期一会」とは、佳き言葉だが、それは、日本の茶道に反映された言葉でもあるが、ゆとりの中に潜むのではなく、明日の命があれば、というような局面に曝された時にこそ、魂を揺さぶる心意気を示した言葉なのだろうと、思う。
 かつて、武家の覚悟は、戦乱の時代にあって、その言葉を重んじようとしたことが伺える。


 実は今日、午後、道を歩いていて、しばらく吐き気がしたのだ。ここでうずくまってしまったらいけないと思い、歩き続けた。
 そのうちに、眠りながら歩いているような気がしてきて、それもいけないと思い、前を見た。
 帰宅したのは、19時が過ぎた頃だったが、料理をし、こうして今、少し赤いお酒を飲んでみた。
 血は吐かない。
 が、何かは、吐いたかもしれない今宵である。
 時には人というもの、吐いてみるのも、よいのだろう。


 それは剥き出しの仕事ではあった。
 が、今日もよく、働く事ができた。

 


 Risa :*)