- 6/14のためのnote #X / 或は世界の果ての泉 -



 わたくしの二つの胸は、とても小さい。
 そこで、わたくしは両の胸に、二匹のドラゴンを飼おうと思った。
 最初、それらが卵だったことは言うまでもない。
 妖しい気な市場の片隅に佇む、全く人が寄りつかない小さな女がくれた、それは卵だった。
 わたくしはそれを持ち帰り、両の掌に置き、あの女がわたくしに言った通り、不自然なほどに耽美な音楽に似た言葉を唱えた。


 すると卵たちは掌から消え、わたくしに宿った。
 わたくしの両胸に居座った卵たちは痛がゆいような音を立てて割れ、生まれたドラゴンたちは、それぞれの殻をカリカリと食べつくし、育ち始めた。
 やがてわたくしは少しふくよかになった自分の胸を優しく撫でた。
 しかし、それがどうにも大きくなり過ぎ、重くなったと感じたら、わたくしは二匹を躯から引きずり出す、えぐり出す。


 わたくしは二匹を二つの網の中にそれぞれ入れ、太陽に晒し、三日、浄化させる。
 すると、二匹はまた稚魚ほどの大きさに戻るのだ。
 彼らが目を閉じ、静かな眠りに落ちた頃を見計らい、わたくしはそれらを再び二つの胸にそれぞれ納め込む。
 時々、あの白いこわばった懐紙と同様、彼らがわたくしの汚れを、わたくしの懐の中で拭うのをわたくしは黙って放任する。
 わたくしを拭った汚れで、彼らは成長し、生きるのだ。


 それに飽いた彼らが、わたくしの懐で蠢き、自由を求めていると感じたら、わたくしは、「出ていらっしゃい」と、空(くう)に書く。
 彼らは自由になり、立ちどころにわたくしから、「出る」。
 彼らは風の中を泳ぎながらも、迷い子のような顔をしてみせては、嬉々と世界を飛び回る。
 だが、いざ、彼らが外で暴れ出したら、わたくしは、「入りなさい」と、空(くう)に書く。
 彼らはわたくしに、戻らなければならない。

 
 乱暴な時代を過ぎ、彼らが一通り内と外を知った頃、わたくしは漸く見守ることができるだろう。
 彼らが本当に麗しい水の化身として、生け贄のように泉の中に飛び込む姿を。
 ひとまず、二匹のドラゴンの役割は終わり、彼ら、兜をはずし、しばしの休息をとる。
 それらはあたかも、折り紙で作られた小さな神の如く、再び彼らは、わたくしの小さな胸の中に戻り、眠りに堕ちる。


 わたくしの正体は、泉の精。
 確かに昔、わたくしはひとりの女として生まれたのだが、「手に負えない娘」と呼ばれ、国を追放された。
 全く信心深くないわたくしは、汗をかき、踊り惚けながら歩いていて、或る日、迂闊に足を滑らせ、この泉に吸い込まれた。
 わたくしは昼間は人の姿で世を歩くことができる。
 が、黒いインクを流したような夜が来ると、この泉の奥深くに留まっていなければならない。


 慈悲は要らない。
 わたくしを訪れる者は、永遠の命を受けると噂されているようだが、ここへ辿り着くために、どれだけの者が、命を失ったことだろう。
 人々は愛の衝動や、時計仕掛けの絶望をくつがえそうと、躍起になって絶対というものに恋いこがれ、この泉に足を踏み入ろうとした。


 それが何だか、あなたがたは知るのだろうか?
 あなたがたは、それを夢の冒険と定義してきたのだろう?
 だがそれは、死骸を墓の外へ連れ出すよりも愚かな悲劇なのだ。
 何故ならそれは、人間の欲望が造り上げた誤った伝説だったからだ。

 
 しかし、あなたは見るだろう。
 この、世界の果ての泉に、再び創られる新たな伝説を。
 ほら、もう、わたくしの手には、澄んだ目をした新しい卵が、あるわ。
 一度追放されたわたくしは、二度とは追放されない。
 故に、わたくしは、この泉をわたくし自身の接吻を添えて、守り継ぐ権利を授かった。




 Risa Sakurai / 桜井李早©



  


 pic: "The Well at the World's End" ~by William Morris




 追記: モリスのこの作品は私の好みとしてアップしたのみです。私のnoteとは特に関連してはおりません。