ガラスの破片



 





 25年前にガラスの破片に遭った話を蒸し返せば、それは日本がバブル期に入る頃で私は大学を卒業し、そこで学んだ事とは異なる職業にチャレンジしながら社会人として生きていた。音楽が専門なのに何故か日本語教師とか図書館勤務とか、それどころか実際、もっと縁もゆかりも無い仕事もしてみた私である。そのような道筋が本意とも思えなかった当時だったが、仕事というものは何でもやってみるといいのだ。事実、それらの脱線職業は私の今日の役に立っている。幾つかの仕事を20代に試み、中には糞と思える日々もあったのが確かだが、そういう環境においてもそれら全て、私の肥だった。自立して暮らすためには、つまり、それは親の厄介にならず暮らすとは、不本意とも仲良くつき合う必要が在あり、それは普通、誰でもやっている事、気取って生きてなどいられない。気取って生きていたいなら人に面倒を見てもらう下品なヒモになる覚悟がいるだろう、だが私は女なので姫にはなれても、ヒモにはなれない。その頃出会う人の中には「あなたは何をやっている人ですか?」と私に問う人が時々あった。それは、私が音楽をやる人間の中にあったからである。専門の音楽を食いぶちにしていなかったその頃の私は、よく、「私は仕事が嫌いなんです」と、笑ってかわした。すると問い手はそれを本気にする。私はその様子を面白く受け止めた。で、あっさり話題は変わる。話題はそこに集う人たちの目指す理想の音楽の話である。言ってみれば業界話的だ、時はバブル、調子はいいのだろうと、私はかしこまってそこの場に居続けるわけだが、それでもそれは一部の群れによって行われる話なのである。集う人たちは熱いが、私は特に愉しくもなかった。それらの話について行けないわけではないが、時代の流れで、聞いていて私は、自分の明日を思った…私は明日も6時起きなんだけど、皆、いいのね、そんな事は…。
 私は村社会は嫌いだ…どちらかというと、私は狩猟的民族かもしれない…所有するものもそれほど多くなくてよい…幼い頃からねだった事も少ない…人はそう思ってくれはしない事も知っている…が、私は罰当たりだが、割と、欲はない。
 そんな暮らしの中でのガラスが飛び散る道路であった。私は確かその夕刻、まだ陽も堕ちていず、仕事をして買い物をして夕ご飯をつくるべく自転車を荻窪の駅から走らせていた。家路に向かうために短縮できる住宅街を通りながら…するとガラス瓶が道の中央に。車両が踏んだら飛び散るわね、と思っていたら、ほんとうに車両が背後から来た。小型のトラックは見事に瓶を踏みつけ、破片は追い越された左斜め背後の私に見事に飛んできた。目をつぶった。大きな破片が瞳に触った。私は自転車を一瞬止めたが、トラックは走り去り、近視の私はナンバーを見る隙もなかった。しばし立ち止まり、右目が開くか確かめた。開いた。傷が、あったのかどうか、知らないが、そのまま、家に向けて再び自転車を走らせた。涙が少し出たが、それは家に戻る頃には消えていた。きっと、私の右目は大丈夫だろう。確かに感じた破片だったが、その破片は私の目に、やさしく飛んできたのだ。
 私はその時疑問に思った…人生とは少なくとも、私程度で、佳く生きようと思っているものに、それほどの罰はあたえないのだろうか…。
 私には当時から大事な漢がいて、それは愛していると思い大事にしている漢である。
 私は思うのだが、私の目が閉ざされないのは、その漢への優しさが理由なのではないかと思う。
 ひとつのものへの優しさが、人の道を導き、その優しさを更に拡げていくのだろうか。
 私は残酷な女だと、思われているのは承知だが、それは私の綴る文章への情がそうさせて止まない。
 が、ここに居る私は猫のように生活範囲が限られ、料理をし、思索し、時々噴火している程度である。




 Risa Sakurai / 桜井李早