- 大塚家具におもう -








 私は白州次郎氏が好きである。如何にも氏は粋に生きたように見えるが自らの役割を覚悟し時代を睨んでいたという意味でやり手である。紳士のようで荒っぽい言葉も使った。この人は"wild side"を歩いたと感じる。そういう所が我が夫に少し似ているが、夫は次郎氏のような車気違いではない。


 私が白州次郎に感じた愛すべき行動とは、先の戦争が危ぶまれる頃、氏が頗る敏捷に察知し、住まいを都下に移した事など、その判断の速さだ。だが、我家において判断の潔いのは実は私の方かもしれない。「余計なものは捨てていけ」我が父の言うように、私はそれをする。


 失うものがある反面、得るものもあり、得るものは大抵、失うものより貴い。


 私は古いものが好きだ。家具はこの家にもう必要はないが、値のかからない骨董茶碗や美しい職人の仕事など拝見するとこの手に入れたいと思う。特に私は茶碗とスプーンについてはフェチかもしれない…すくって、入れ、口に運ぶという有り難い行為の源だからだろうか…私が痩せているからだろうか…


 それを行う術に必要な道具の"形"に幼い頃から興味があり、それを玩具のように愛でるのであるが、そういう質は、白州正子氏にもあったのではないだろうかと、ふと、思った、今日この頃。


 女って不動のものが好き。
 だけど余計なものは要らない。
 そして賢い男は女と同様、勘がはたらくはずだ。


 ロボットには、そう簡単に誰もがなれるわけじゃない。
 例え電脳がそれに拍車をかけてもね。


 そう、私の大好きだった鉄腕アトム
 人間にはなれないアトム…
 苦悩するアトム…
 最後/最期には、皆のために太陽に向かっていったアトム…


 あの最終回は、たまらなかった…私がそれを観た当時、1960年代、ほんの子供ではあったが。
 そういう英雄像に、私は、心底、泣いたのだ。

 


 とはいえ、大塚家具の行方は如何に。

 


 李早