月の見えない晩に
日が落ちてからショパンを弾いていた、プレリュード、そんな晩だ。
ショパンを弾くのはとても久しぶりだ、大学入学時(これはレッスンの課題だったからだが)と、卒業してあれは今の家に越す前、よくショパンを弾いていた。
私にとってのショパンとは変化の時期に現われる。常に弾きたいとは思わないのがその理由なのだろう。
1997年の今頃、私はロンドンを歩いていた。それはダイアナ妃が亡くなる前の事だった。
15世紀、ダイアナの生家、スペンサー家は羊飼いだったというが、どうなのだろう、その後爵位を得るが当時英国では、薔薇戦争がおこっていた。
赤い薔薇を紋章とするランカスター家と、白い薔薇を紋章とするヨーク家の王位継承権をめぐっての争いである。
ランカスター家はそもそもフランスはプランタジネット家の系列、ヨークとて同様。
欧州は混血の道を辿っているのだからして。
島国日本も島国英国も変わりはないのだから安心せよ。
民族間の話で割れていたところで、縮こまるだけだろう。
白い薔薇が勝利した結果となったこの薔薇戦争であるが、その後、だいぶかいつまんでしまうと、英国は、絶対王政の時代に突入する。
エリザベスの時代がやってくる。
やがて、この絶対主義が破壊される時がくる。
ピューリタン革命、資本国家への道のり…。
話をダイアナ妃の実家に戻せば、後にスペンサー家は軍人を次々送り出す。
20世紀の英国首相ウィンストン・チャーチルはこのスペンサー家の出である。
叫ばれるのは、いつの世も、革命という言葉であったが…
「革命とか、改革という精神を呼び寄せるのは、必ず、保守である」
と、このようなこと、かつて、『1984』を書いた、ジョージ・オーウェルが述べていたらしい。
李早