- 聞き込み調査 / プロの仕事 -



 個人的に昨年からずっと愉しみとしていたドラマ『刑事フォイル/Foyle's War』が終ってしまい、つまらない日曜である。
 ところで夕刻、仕事をしていたらチャイムが鳴り、インターフォンで応対したら「警察のものです」と声がした。「何ですと!」と内心ソワソワしながら玄関のドアを開けると門の前にスーツ姿の人が立っている。
「どんな御用でしょう?」と尋ねれば、この界隈で事件がありそのための聞き込み調査だった。
 最近のニュースでも中学生の少女が監禁されていた事件があったが、誘拐監禁ではないがそれに似た事件が宅の界隈で何度もあったらしい。警官はお巡りさんではなく、泣く子も黙ると言われている部署からの人だった。
 警察手帳も見せられ、話し方や体格、表情からして警官は本物らしいと私も認めた。犯人と思われる男性の似顔絵を見せられ、このような人を見かけませんでしたか? と問われても応えようがない。似顔絵は少女の発言をもとに描かれていて20~40歳とされている。
「何分、子供の目ですから」と警官も当然、困り顔である。似顔絵は私には若い人に見えるが、少女は「おじさん」と語ったということだ。
 よくよく警官に話を訊くと、その事件は我が家のすぐ近くでほんの数日前に起ったのだという。だが地域では少し前から多発していてそれらはどうも同一人物の犯行と看做されているらしい。しかも町の交番の巡査ではない警官が調べにくるとは用心が必要だと思いながらも、私はつい、その警官と長く話し込んでしまった…「私も夜、車に付け回されたことがあるんです」。
 それはもう十年以上前のことだが、遅い時刻に駅から歩いて帰宅する途中、私の横をゆっくり一台の車が沿って走っていた。私が角を曲がった瞬間、運転者は私の脇にピタリと車を停め、「どこかへ行きませんか」と言った。傘を持っていた私はそれを翳し走り去ったが流石に恐かった。
 この話をしたら警官は、こう教えてくれた。
「携帯電話をお持ちなら、夜、危ないなと感じた時は"110"を押して歩いてください、発信ボタンは押さず、でも何かあったらすぐに発信できますからね。もしも何もなかったのに発信してしまったなら、"間違えました"、とでも言ってください。それでいいのです。ですがくれぐれも無言で電話を切らないように。無言で電話を切られてしまうと、こちらもどこから発信されたか調べる必要があります。無事なら、それでいいのですから」警官はそう言って微笑んだ。
 佳い警官だと思った。
 私と話している間にも警官が腰に下げている無線機には様々な音声が入ってくる。
 だが彼は私との会話を中断しはしない。
 それも聞き込み調査の術なのだ。
 要するに話をしながら相手(ここでは私)が何らかの手がかりになるような事を言いはしないか、思い出しはしないか、ということを常に念頭に置いているのだろう。
 情報とは、それほど細かく追わなければ辿れないものなのだ。
 私は自分の家族構成や私たちの職業についても簡潔に警官に話しておいた。だが、私が「家には子供がおりませんが、心配ですね」と、まず最初に話したにも関わらず、警官は後に「お子さんはいらっしゃいますか?」と私に尋ねた。
 その時、私は何となく、これは直感だが、この警官の「お子さん」という響きに「息子さん」というニュアンスを感じた。
 それは、この警官が私の年齢を想定し、私に成人した息子、もしくはその年齢に近い子供があってもおかしくはないと考えたかもしれない、と咄嗟に私は思ったのだ。そこで、私が仮に"嘘をついていた"としたら–––つまり、息子があることを隠し、息子を庇っていたとしたら–––女=私は「家には子供はおりません」と言いはしたが、改めて質問された時、別の返事をするかもしれない、と、まあ、これは私の勝手な想像だが、そんなことをふと察したのだ。
 相手はプロだ。いかにもしぜんを装い、気さくにしていようとも、その目と耳が真実を探ろうとしているのだから、何を話したかこちらもその内容を細かく記憶しておく必要がある、別に疑われることなどしていなくても、だ。
「子供はおりません」と私は笑って再び彼に言った。そして「これから道を歩く時は気をつけてみますね、はやく犯人が見つかるといいですね」と言った。
 すると警官は、「ご近所を歩く時には人に会ったら挨拶をしてください。こちらがしても相手がしない場合、気をつけてください、というのも犯罪者は顔を見られることが一番困るわけですから」。
 そして警官は、「お話をうかがった方のお名前と電話番号を控える必要がありますのでお教え願えますか」と私に言ったので私はそれに応じた。
 その後すかさず私の方も、「ところで、ごめんなさい、本当に警察の方ですよね」と問うた。彼は私がよく見えるように警察バッチをこちらに向けながらそれが偽物ではない説明をしてくれた。
「そういう質問はよく受けます。こちらも疑うことが仕事なわけですが、近頃は皆さんも慎重ですからね」と、笑いながら、何だか昔の人のように頭に手を乗せた。
「ごくろうさまでした」と、私は挨拶をしてドアを閉めた。
 それから少し経って夕食の買い物に近所のお肉屋へ向かったところ、道の途中で今度は別の警官に出会った。緑色の腕章をして立っていた。
「警察の方ですよね」と私は声をかけた。「はい」とその警官は応えた。
「さっき、家に○○さんっていう警察の方がいらしたんですが」と私が尋ねたら、「はい、今、事件のことで一軒一軒うかがっているところです」とおっしゃった。私は、ああ、あの人は確かに警察官だったんだ…と、あれだけ話しても相手を100%信じていなかった自分を恥じた。
 日曜日、お肉屋さんは混んでいた。近くに桜の美しい場所があるせいか、お花見の家族連れが揚げ物や焼き鳥を買っていた。
 お肉屋から帰る時もさっきの警官は同じ場所に立っていた。
 が、横にもうひとり別の警官の姿もあった。少なくともこの一画を3人がかりで調査と警備に当っているということは、その件はこの辺りで問題となっているのだろう。
 気づかぬうちに犯罪は身近でも起る。だから社会の目は大事だ。
 我が家を訪問した警官のおっしゃたことには、人々が挨拶をすることで或る地域の犯罪が減ったらしい。
 挨拶、人々が声をかけ合うことは平和な生活と環境を守るために最も容易いことながら、気持ちのよい方法。









 追記として『刑事フォイル/Foyle's War』で少々…


 ––– 舞台は第二次大戦中の英国はヘイスティングスにおける数々の事件、フォイル警視正の"もうひとつの戦争"という視点での良いドラマだった。
 このドラマは日本語吹き替えだったが俳優の唇の動きを見れば英語表現がよく解るこれは(私にとって、だが)英国ドラマの素敵なところだ。
 唇の動きとは大事なのだ、それは歌うことにも同様に言える。唇の動きとは人間の目が信号/暗号を察知する行為に等しいからね。




 李早