ハート
朝、目覚め、寝室のカーテンを開けると、窓ガラスが曇っている季節。
スーッとその窓から冷気が私の胸に滲みよってきて、ひと時、ブルッとする季節。
出窓に飾ってあるドライフラワーに指で触れた後、窓ガラスに描きたい・・・ハート。
ベランダにて洗濯物を干していれば、今朝はあのテニス少女ではなく、少年たちの声が。
どうやら、大きい坊やが小さい坊やに自転車の乗り方を教えているらしい。
樹木の陰に隠れていて私からは見えない可愛らしい仲良しさんたちに・・・ハート。
夕刻、そういえば、と、思い出し、観葉植物にお水をあげる。
その中のひとつ、ポトスはこの家に越してきた'96年の秋からずっと一緒。
時にほったらかしてしまって少し元気を失っていても、植え替えさえしなくても、このポトスは枯れない。居間の出窓で、可憐に緑の葉を広げ、病気にもならず、結露にも負けず、クニュっとしながら・・・何を観ているのやら、何を考えているのやら・・・。
昼間につくっておいた私用の小さなお弁当。朝の残り物とジャーの中に中途半端に残ってしまったご飯でこしらえたお弁当。
このお弁当箱はピンク色のカバの形のプラスティックのものなのだが、実はこのカバさん、私が高校時代愛用していたお弁当箱のひとつでもある。半開きの目がマヌケな可愛い奴。
・・・ん・・・お夕食にしては少々もの足りないが、ビールのお友達くらいにはなりそうなカバさん弁当。足りなければ、(新しい)冷蔵庫を開けて何でも食べちゃうだろう。
そんなカバさん弁当を突つきながらビールを飲む。
夜の黒に覆われた窓辺を見れば、先程お水をあげたポトスは、ヌッと姿勢よく、そして、班のある葉を生き生きと広げているわ・・・ハート型の葉・・・に・・・ハート。
つい、気持ちよくなり、2階に駆け上がり、ピアノの前にポンと座る。
弾き始めたのは、エリック・サティ・・・『グノシェンヌ』。
・・・ポ・ポーン・・・パリパ・・・ラパララーン・・・ラ・パラリラパ・リパラーン・・・タポーン・・・リン・タ・パ・リタリランパリー・・・・・・・・
グノシェンヌは、止まらなくなる。
途絶えない旋律。
時がね・・・連続して・・・だからその時を忘れてしまいそうになる仕組み。
でもね・・・呼吸が、フワッと止まるような瞬間があると、想像しながら弾かなければいけないわ・・・私はそう、感じる。
音符は連なる。
だからこそ、どこかに一瞬の休息を与えてあげなければいけない。
それは、厳しいことに、一瞬の呼吸の休息でなければいけない・・・だって・・・止まったら、死んでしまうでしょ?
生かすための、僅かな停止・・・その息のタイミングを計ることを工夫しながら、延々と、愉しく弾きたい『グノシェンヌ』。
それは奏者の・・・ハートのセンスで描けばいいこと。
サティの音楽には、この、今日の冬景色のような、水彩の鈍いパステルと記号めいた謎がある。
あたかも人の人生の陰に隠れた自我を、繊細な筆でこっそり落書きした風を装う呪文のごとく。
それは、どこか、幸福の裡に潜む影にも、似ている。
だから、
ハァーッと・・・ハート・・・