鳥と打ち合わせとパブロたちと音楽と・・・



 昨晩から雨、朝は、冷え込みが激しい。
 珈琲を入れていると、何やら窓の外の庭先が騒がしい。そこでは冷たい雨の中を小さな可愛い鳥たちが、まるで鬼ごっこをしているように飛び回っているのね。
 シジュウカラヤマガラだろう・・・人間の拳くらいの大きさの彼らのお腹はふっくらと。止まっては飛び、また止まり、キョロキョロしたかと思えば、再び舞い上がり。
 我が家の庭にはオリーヴが二本植えてあるのだが、それらはここ数年で随分成長し、大きな枝にいっぱいの緑色の葉を繁らせている。このオリーヴたち、少し剪定しないといけないと思いながらも伸ばし伸ばしになっているのだが、その枝の間を縫うように上手に敏捷に飛び回る鳥たちである。実は、このカラ類たち、ここに現れては、時々、オリーヴの枝にキツツキのようにコンコンと嘴を当てていることがある。その尖った小さな嘴の先が響かせる音は、とても心地よく、リズムは軽快。
 見事な遊戯と言いたい鳥たちの行動に、私の躯も暖められる。

 珈琲も入った。
 編集の作業など始める。
 お昼頃、ターンテーブルに乗ったのは、Hound Dog Taylor。"Let's Get Funky"は懐かしく、久しぶりに聴いてかなりシビレる! この人、左指、6本であるからして・・・。


 午後は所用で家を出る。
 降り続ける雨に少々辟易するが、しかし、このような冬の雨の中を歩くことも悪くはない。勿論、車で出かけてもよいのだが、あえて、傘をさして出かける。


 ・・・先方が私の原稿を読んでいる間、私は瓶ビールを手酌しながら珍味肴をお箸で遣りながら待つ。
 店内に流れているのはジャズである。
 ジャズ喫茶に通った高校時代の夕暮れなど想い出す。

 あの頃は、ビールではなく、珈琲で過ごしたものだった。
 そして、何故か、心を傷つけてみたくなるような気持ちにもなった・・・不思議と、ね。
 何の不安もなくティーン・エイジを生きたつもりはないが、重い苦悩など、はっきり言って無い年頃だろう・・・今、振り返れば。
 明日も学校か・・・かったるいわ・・・でも、サボれば悪く思われる・・・遣りたいことだけ遣れる人生がそのうち待っているわ、私には・・・だから今は、ちょっと辛抱か・・・大学に入れば少し満足な毎日になるだろう・・・何しろ音楽は好きなのだから、そして、数字や方程式からも解放されるだろう・・・まあ、少しの我慢・・・。
 そんな程度の浅い深刻に、つまらぬポーズを作りながら、ジャズを聴く。
 しかし、家に帰ればベートーヴェンを弾き、歌曲を歌い、深夜にはロック・ミュージックのレコードに針を落とす。
 英国のロックを聴きながら、クラシカルを学ぶという愉しみが、当時の私の忙しい学園生活を学園天国にしようとしていた時期である・・・屋上でトランジスター・ラジオを聴くことさえしなかったが、家に戻り、自室で流していたFEN
 深夜に何か綴るのも、その頃からの癖となったのだろう、恐らく。

 原稿を読み終えた先方の方に、思わずそんな私の青春の風景を語っていた私であった。
「不良でしたね」と、ニヤリとなさる、氏である。
「そういうことでしょうか?」と、苦笑せざるをえない私である。
「あなたの文章を読んで僕が似たような印象を受けた女性がいますが・・・彼女がこれを書いた頃は還暦にさしかかる頃でした、外車を粋に乗り回すような人ですが、こういう人です」と、先方が言いながらその女性の書物を私に手渡した。
 ・・・ほう・・・
 ・・・私は、1940年代生まれの女性とさして変わらない部分を還暦あたりの男性に感じていただけるような文章を綴っているのか・・・しらん・・・? ・・・私って、幾つ?
 
 ビールをもうひとつオーダーしながら、意見交換しながら、何やら2時間半程の時間が過ぎる。
 遊んでいるような気分になる。
 そういえば、学ぶことも、仕事も、個人生活も、どれもさして変わらないような暮らしを続けてきたではないか、私というモノは・・・。

 
 それではまた後ほど。
 と、ご挨拶をし、お店を出る。ジャズ喫茶では、ない。よい、飲み場である。


 闇い雨の大通りを歩きながら、すれ違うのは、人間と車ばかり。
 どこを観ても、シジュウカラヤマガラも、いない。
 
 ここは、人間だらけである・・・。

 家に帰り、遅い夕食をとる。

 床にコロンとしながら、手に届く位置に収まっている一冊の本を書棚から抜き出す。

 1876年にカタロニアに生まれ、スペインの歴史的史実であるフランコ体制の崩壊する少し前の1973年に没した世界的チェリストパブロ・カザルスの手記である。もうひとりのパブロ・・・つまり、パブロ・ピカソも同じ年に亡くなっている。
 この書籍は、カザルスが93歳の時の手記である。
 その手記の最初の方に、このようなことが綴られている・・・

「過去八十年間、私は、一日を全く同じやり方で始めてきた。それは無意識な惰性ではなく、私の日常生活に不可欠なものだ。ピアノに向かい、バッハの『前奏曲とフーガ』を二曲弾く。ほかのことをすることなど、思いも寄らぬ。それは我が家を清めるBenediction(祈祷)なのだ・・・・・・人間であるという信じ難い驚きとともに、人生の驚異を知らされて胸がいっぱいになる・・・・・・・」


 朝の鳥たちと、還暦の女性の過去と、パブロたちと・・・


 そうして、今、午前4時になる頃、エルモアを聴きながら、眠りにつこうとしている私である。


 青春に、乾杯。


 LOVE & LIGHT