『硝子戸の外』のイヴ



 X'mas sheet music


 クリスマス・イヴというのは、12月24日のことではあるが、しかし、この「イヴ」とは、厳密には24日の日没後のことをさす・・・つまり、「evening」。だから昼間は「イヴ」ではないのである。

 さて、その24日の日没の頃、確かに「イヴ」になる時刻、私は白い息を吐きながら打ち合わせ場所へ。
 チェリーはこの日の午後は、アダム・ギター=長見順さんとのリハーサルである。
 お互いに帰りが遅くなっても家で晩餐をしようということになっていたので、私は昼下がりにお夕食の仕込みをしておいた。
 闇くなった道を歩いていれば、ピザ屋さんの前からパッと飛び出してくる親子連れ。スーパーの袋一杯に食品を入れた女性の姿。家々の前からは、香ばしい香りが漂ってくる。

 時刻も時刻なので、何ともお腹も空いてきそうになるが、私はまず、瓶ビールを注文した。お通しは、豆のトマト煮・・・私の作る味と似ている・・・なんて思いながら、ゆっくりグラスを傾けていた。打ち合わせの雰囲気は緩やかであるにもかかわらず、この暮れが押し迫る時期、遣るべき事はやや急ピッチにならざるをえない。先方の方は、この世界でずっと活躍されてきた方である。氏は良い作品を作りたいとおっしゃってくださっている。ほっと、嬉しくなる。

 やがて、今日はこんなところで、と、話も終わり、私は再びビールをお代わりしていたのだが、そこは酒場・・・隣のお客さんたちといつのまにか会話が始まっていた。50代半ばくらいであろうか・・・男性と、そのお連れの女性である。恐らく、老眼の話題がきっかけで話はじめたのだったと思うが、この男性は映像作家であり、N大の芸術学部で教鞭をとられている方であるという。老眼の次には環境の話、それから'60年代安保と'70年代安保のこと。
 おまけに、私とその方のお連れの女生は、気がつくと意気投合してしまっていた。というのも、彼女は「私は生まれ変わったらフランス人です」とおっしゃり、また、あのミレイのオフィーリアの絵が大変お好きらしく・・・当然、冷たい水を溜めた浴槽のモデルの逸話は了解済み、で・・・そうよ、あのオフィーリアの周りの花には、ひとつひとつメッセージが込められているのよね・・・例えばデイジーは・・・そうそうそこにパンジーがあったなら・・・で、ケシはね・・・なんて・・・とてもとても初対面とは思えないムードであれこれおしゃべりしていたのである。N大の先生はその様子を優しいお顔で見聞きなさりながら、お酒を追加されていた。
 するとチェリーから電話がある、20時過ぎだろうか? 今、西荻にいるが、21時頃にはそっちに向かえそうだ、と話している。なので、私は彼がここに到着するのを待っていた。隣の席のおふたりも、チェリーが来るのを待っているとおっしゃっている。

 そのうち、話題が或るドイツ人の英語教師のことになったと思ったら、お店のドアが開き、そのドイツ人が現れた。「メリー・クリスマス」と言いながら、生ビールを注文する彼は、Benという名である。またひとりお客が増え、賑やかになる。
 Benはもう十年以上も日本に暮らしているのだが、日本語はほとんど話せない。話せないが、言葉の意味は少し理解できるという。
 外国語を教える時に大切なのは、相手の国の言葉を出来るだけ使わないで教えることが必要なのは、私も知っている。そう、私が日本語教師をしていた時も、外国人に英語などをあまり使わず教えた。日本語を外国の言葉に置き換えて教えるのとは違うのである。それではただの翻訳であり、これは語学とは別であり、求められるのは実用なのである。
 そんなBenと私はドイツのことを話した。以前、私がドイツを旅した時に訪れた街のこと、ベルリン、ハンブルグ、ハイデルベルグ・・・バッハについてやベートーヴェン、それからビートルズのこととか。Benは私とほぼ同世代なのである。クリスマスということもあり、彼が感じる日本人のクリスマスについても語ってくれたわ・・・ですから私は私の知る、クリスマスの伝統について彼に話してみた。遠くドルイドの冬の祭りとしてやってきたクリスマス・・・大きなツリーを飾り、賑やかに集まって祝うクリスマスは、あれは、アメリカで始められたことではないかしら? 西洋の昔のクリスマスはドアに木の枝を飾り、家族で静かに祝うものだったと本で読んだことがあったけど・・・そんなこと、話ていた私だった。それについてBenが話してくれたのは、彼のアイルランド人に対する印象だった・・・彼らには独特の信仰や習慣が今も残っている・・・彼らは腕には大きなリストバンドをしていて、それにはそれぞれ模様が描かれている・・・とても濃い髭をはやし、首から肩にかけて頑丈で、髪は長いし・・・そう、赤毛だったりする・・・ドイツ人とは違う・・・・・・。
 同じ西洋人同士でも、お互い、随分違いを意識しているものなのね、やっぱり。そしてBenは穏やかな声で話すが、会話が進むうちに徐々にその語調は熱が入ってくる。

 チェリーはまだ来ない。先生のお連れだった女性は、チェリーに会って帰りたかったと言いながら、22時頃にお店を出た。
 先生とBenと私だけになった。先生の作品のことなどをうかがいながらも、更にチェリーを待つことに。あなたの作品はノスタルジックか、それともロマンティックか?と、Benが先生に尋ねる。先生は、少し苦笑していた。
 再びチェリーから電話がある。今、国分寺です、遅くなったので、このまま家に戻ります。
 あら、まっ!
 私も漸くお店を後にする。
「メリー・クリスマス!」と、挨拶しながら。

 もう23時を過ぎていた。風はさして無い晩だが、とても寒い・・・寒いのは、私はこの夜、たいして食べていないからなのである。
 携帯が再び鳴る。また、チェリーである。

「今、どこ?」と、彼。

「道を歩いているわ」

「あのさ、俺、家の鍵を持たないで出かけちゃったらしいんだよね」

 ・・・あ〜あ。

「どこにいるの?」

「家の前」

 私は、「道」を早足で歩き出した。

 我が家の前には、黒い影。コート姿のチェリーである。
 ふたりで家に入り、昼間に整えておいた料理をさっさと食卓に上げる。
 ハンバーグをジューッと焼く。
 もはや、日付は12月25日になっていた。

 
 遅い遅い晩餐、お風呂に浸かりながら、こんなことをヒョイと、思う。


 ・・・何の用事もない一日だったなら、私は家の中で、漱石の『硝子戸の中』のごとく過ごした「イヴ」の晩だったかもしれない・・・な。


 が、『硝子戸の外』も、面白い。
 偶然、行き会わせた初対面の人たちと、笑い合いながらクリスマス・イヴというものを過ごすのも、オツである。


 幸いなのは、帰る家、あっての、こと・・・か。

 
 隣家に植えられた柊に負けず、その脇から咲く、寒椿の牡丹色が眩しい、25日の記録である。

 我が家のオリーヴは、季節を知らぬ顔で通り過ぎようとしているらしい。
 歌うように、そこに、一年を通して在り、どんな風をも、臨機応変に受け入れ、高く伸びるのみ。

  
 
 PEACE & LOVE