as time is continuance



 ladybehindnumberone


 納まらない私であった。
 私は、継続なのである。
 だから年末、人並みに2008年という一年を振り返ることもできなかった。
 それでもここ数日のことを綴っておこうかと思う。
 


 12月29日、母の元気な話を聞く。どうやら彼女、少し前から短歌を始めたらしく(俳句はもう長い間遣ってきたママンである)、彼女の歌が某かの紙面に二度連続して掲載されたという。
 気をよくしている彼女であるが、近頃、肩が痛むらしく、年末の大掃除をすることさえままならないと明るくボヤく。
 恐らく、短歌など作って心を遊ばせている方が大掃除より愉しい・・・というのが本音なのだろう。娘は母親の気持ちを解ってしまうのだ。



 12月30日、午後から急遽打ち合わせ。
 この12月になって何やら慌ただしい理由は、私の発表する本のことで動きがあったからなのであるが、この日もそのことであれこれと。
 『YES』というタイトルの私の作品にかかわってくださるのは、以前チラッとこちらのpageにもアップしたジャケット・デザインをしてくださった友人N島女史に加え、出版業界で活躍されてきたM島氏(氏は高田渡氏の本を手がけた方である!)、そして総合的なレイアウトにマ◯ジ◯ハウスで長年デザインをされてきたM沢氏が協力してくださることとなったのである。表紙裏表紙、本文頁、前付、奥付などの細部のデザインをM沢氏がザッと決めてくださったおかげで事は速度に乗っている。最終的な校正をしていただくまでの私の作業のリミットは後二週間ほどである。
 色々なアイデアをうかがっているうちに、ふたりのM氏の力を実感する。それは私の文章あっての本ではあるが、その私を寛大に認めてくださったことに感謝する。


 その後、吉祥寺マンダラ2へ。ロンサムストリングスのライヴである。
 こちらもこの1月に新譜が発表される。もう、白盤は上がっている。前作とはまた異なった魅力・・・期待は裏切らないだろう。
 ライヴは新旧の曲を交えながら進められたが、やはり時の流れがあるのだろう。同じ曲を何度も聴いて知っているつもりであっても、変化している。
 文章というのは、その時記録したものが永遠に残るが、音楽は再現されることで常に変化することができる。それを演奏するのが、ひとつのバンドのメンバーに限っていても、まず、内容が同じであることは無い。
 彼らの表現も、年月の中で自由に変貌しているのである。
 新譜がリリースされる前の、この晩の演奏は、或る意味、感慨深いものがあった。
 余談として、「命あっての、お餅」という玄一さんのMCが、何か・・・光った・・・。
 更に余談として、終演後、お店が閉まる間近頃、血液型はB型3者、O型2者という席で飛び交わされた会話が可笑しかった・・・B型人ふたりの男子曰く・・・「B型は、小さいのである。半径50センチくらいのところに凡てがある・・・」とか、何とか。O型人の女Risaはチェリーにこのようなことを言われているのであるが・・・「あなたは森を見て、木を見ていないだろう」・・・距離なのか面積なのか・・・そのチェリー(AB型)はその時、席をはずしていたが・・・私はそう、遠くを見ていて、近くに気づかないことも多いかもしれない・・・わ。
 深夜、ラーメンなど食べて帰宅。運転は私。帰宅後、ビールを呑んだら堕ちる。



 12月31日、前日の食事2食が外食だったせいか、少し塩分過多。躯にキレがない。
 チェリーは午後から権藤氏との録音。

 私は午後、掃除をし、2階のベランダから庭のオリーヴの木の枝を少し刈る。刈った枝は、しめ飾りとして、玄関のドアに飾った。お正月飾りをどこかで購入してもよいが、せっかく我が家の小さな庭には、よく繁るオリーヴが植えられているのである。しかもオリーヴとは生命の象徴とされる樹木である。このお正月飾り、我が家流である・・・そして更に我が家(私)流なのは、本来、しめ飾りというのは、12月30日までに飾るのがよいと言われているが、それをも無視して31日でも平気で飾ること・・・。この31日に飾ることがよくないとされているのは、『一夜飾り』と呼ばれ、「神様をお迎えしようというのに、その飾りを年末の一日において飾るというのは信仰心に欠ける」という言い伝えが存在することが理由らしいが、私は、神様とはそんなに心が狭いとは思えないのである。

 夜、いったん帰宅したチェリーである。彼はその後、カウントダウンの演奏で新宿へ向かう。私は22時頃、駅まで彼を車で送る。
 落ち着く暇もなく、深夜になる。
 午前0時を過ぎた瞬間、「あけましておめでとうございます」という携帯メールを着信する。
 嬉しくなる。私は、こういうシンプルなことにスッと反応するタイプである。
 自分の本を発表するなどという出来事に関して、喜びながらもどこか客観的になっているにももかかわらず、携帯メールのような直球のご挨拶などには、ホームランで即、応えたくなるのである。


 さて、新年。
 とはいえ、このような時刻に綴っているようでは、普段とさして変わりはない。 
 変わりはないが、今年の1月は、あっという間に過ぎてしまうのだろうな。
 
 
 上記のような理由で、2008年の年末、その1年を振り返る余裕すらなかった私である。
 が、こうして、時は、無事、継続されている。
 時間というものが変化しながらも、ただ継続されることを、今、愛でていたい。
 

 no time to spend loosening time for me now.
 so i can not look back 2008.
 because one thing i should be given continues.


 hope every blessing to attend your 2009.