恋は宇宙的の活力である

 先週の土曜の晩、変死していたら、今頃漸く、葬儀の手配に慌ただしい頃だろう。
 が、私は有り難いことに、こうして生きている。
 ここ数日はこれも休息と思い、地味に充電するつもりで暮らしていたのだけれど、恨めしいことに、肉体がひ弱な時というものは、精神も断片的であり、何事においても筋道を立ててものを考えることが難しい。
 それでも、プルーストはベッドの中であの長い物語を綴り通したし、漱石は胃病に悩まされながらも、死の直前まで筋道を立てていた。
 
 そこで、私の愛すべき漱石先生の言葉など、断片的に取り上げて、浪漫に浸ってみようか。
「浪漫」か・・・そうなると、次には「恋」と描きたくなる。
 ではその「恋」についての漱石先生の有名な表現からはじめよう。



「そもそも恋は宇宙的の活力である」

 これは『我輩は猫である』からの引用だが、季節は今、まさに6月。ジュノーの神の思し召しがあらんと願うのも、悪くはあるまい。『猫』がこの言葉を語るのは春である。習性としての「恋」を猫は言っているつもりで描かれているが、描いているのは苦沙弥先生=漱石その人であり、漱石は生涯、この「恋」には、色々と言い分のあった人でもある。この『猫』などは、作品として「恋」の物語である印象はないが、他の作品の中には漱石が抱えた男女間(感)が暗く寝そべっている。

 しかしながら、「恋」とは良いもので、私など、いつも、「恋」しているようなところがある。
 何故なら、「恋」とは、人の心が産むものなのですもの・・・まず、それは、欲望として、他の種類とは異なるわ・・・空腹とか、睡眠とか・・・それらの心地よさは、産む、という感覚とはちょっと違う、少なくとも、私にとっては、違う。美味しいものを食べても、ええ、それは勿論、美味しいものを食べることは幸せだし、ぐっすり眠ればそれも幸せ、でも、その満足と「恋」がもたらす満足は別で、そう、「恋」とは、質量や特定の時間では無いからなのね。
 だからこそ「恋」は、美しいもので、「美」を好む。
 だけど、「美」とは、我が儘で、時には贅沢なものでもあるわ。
 美味しい食べ物よりも、人を癒す眠りよりも、我が儘で贅沢なもの、それが「恋」。
 その「恋」を美しいと信じられるならば、それは妄想でも幻想でもなく、「恋」は命を授かった現実のものとして育ち、心の中に立つ。
 立っている「恋」は・・・恋人は、私が生きている限り、私と共に居る。
 そして「恋」とは、自由な存在。
 だって、女だけでなく、男であっても、産むことができる不思議なもの。


 ここで、漱石先生の先の言葉に戻りましょう。
「そもそも恋は宇宙的の活力である」
 どうかしら? この言葉は人間の理性を越えた大きなもの、という解釈が多くの理解かもしれないけれど、私は、微妙に違う受けとめ方をしたい、つまり・・・宇宙のごとく、不思議、と。
 その不思議なものから目を背けることもできず、日常を暮らした明治の男は、傷つきながらも自分自身を偽らず、告白するかのように表現した男(ひと)だった。

 そこで、気分のせいでたった今、正直者として私が申し上げたいのは、己の恋を隠し、閉め出し、撥ね除けるような者の創造物は、どんなに苦心してみても、恐らくは面白くないだろう、ということ。
 無駄に描き飛ばすようなことを続けても、尽きるもの・・・そのようなこと、漱石も芥川に忠告していたという話だが、人生と作品が導き合うような創造物に、私は関心を持ち、できるならば、自分もそう在りたいと願う。 
 そうして、浅はかな繕いをしなければならないようなものになりたくない。表現者は正直であるべきであり、いくら偏屈であっても、自作についての責任を持つ人を私は敬愛する・・・言わせていただくと、私の鼻は、それに敏感だと信じているから。


 ・・・少し元気になってきたな・・・それでは、もう、ひとつ、ふたつ、漱石先生のお言葉を。



「インディペンデントの精神というものは非常に強烈でなければならぬ。のみならずその強烈なうえにもってきて、その背後にはたいへん深い背景を背負った思想なり感情なりがなければならぬ」(『模倣と独立』より引用)

 そのものズバリである。怠けていてはいけない。
 見通す者には、バレるのである。
 それが厭なら、完璧で取り組むこと、時間勝負では、ないわ・・・人に牛と呼ばれても。
 では私たちひとりひとりが牛飼いか羊飼いだったとして・・・その生活にひと時の『牧神の午後』なくして、夢のような世界は無いわ。
 私というひ弱な肉体はそれを頼みにするが・・・。
 が、その牧神は、必ずしも安眠の神ではないということが、情けを容赦しないところね。
 "independent"とは、独立した精神のことを示すもの・・・ひとり眠る私は、そこに、たったひとりだけの孤独に視る独立を目指したいものだが、そこに安らぎは求められそうにない。


 で、三つ目の言葉は・・・


「愛とは、personalなもの」(『日記』より引用)

 音楽学士ではあっても、文学学士ではない私だが、文学楽士的と手前をして、この言葉については、全ての平和な人々の心に育まれた不思議な世界と位置づけたい。



 それでは、久しぶりに、この「宇宙的の活力」を抱いて、この雨の夜、ひ弱な妖精'Corinna'は、飛び立ってみようか?
「君は兵士のシンボルだ」と私を称し、小粋に私をなだめる'Robin good fellow'の庭に。

 そうね、「恋」とは、甘い友情とでも、申し上げましょうか、今宵は。


 PEACE & LOVE



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