仙川そしてコンポステラへ

 6月13日土曜日、仙川に向かう。せんがわ劇場で開催されているJAZZ ARTの2日目。酒井俊さんの歌をメインとして披露されるチェロ奏者、坂本弘道スペシャルのコーナー。出演は酒井俊坂本弘道、船戸博史、桜井芳樹(敬称略)。
 実はこの日、前日から腰を痛めていて、夜には発熱までしたチェリーであった。だから私は彼のdriverとしても同行した。
 私はステージ脇から拝聴していたが、俊さんの声は緩やかでありながらも表現豊かに表情を作る。そこに絡んでいく3名の楽器奏者の妙は、魅力的だった。
 船戸博史さんのベースの音、この日の私には大変甘く聴こえ、しかし踊るベーシスト(あのデュフィの絵のような!)ぶりは相変わらずだろう・・・彼は演奏するということを個人的なものとは考えていないのかもしれない、ひとりの人間として生活している時は船戸博史であっても、ベースを抱える彼になったとたん、彼は個人のマスクを外すわ・・・個人を外すということは、匿名になることではないの。博史さんが音楽と向かい合う状態になったということ、他の奏者の表現を敏感に受け入れ、溶け込み、ご自身の裡に貯蔵されているたくさんのエッセンスを振りまくわ・・・美味しいお出汁のようであり、魔法の隠し味を持っている。そして、どこか女性的と言ってもいいような細やかな感性を兼ね備えている人。
 坂本さん、ご存知の方も多い、あの刺激的な奏法によって、抜群のセンスを聴かせてくださった。
 そして、チェリーこと桜井は、腰を病んでの演奏であったが、いざステージに立てば、そんなことは微塵も感じさせなかった。
 終演後、博史さんは横浜へ、坂本さんはここでひきつづきパスカルズ、チェリーは綾瀬へと、それぞれ次のステージが待っていて、すかさず移動。久しぶりにお会いした船戸博史さんとあまりゆっくりお話もできず、私はちょっと残念(笑)。


 仙川を後にし、私たちは綾瀬に向かう。
 少し甲州街道を走る。この道は、若い頃、特に20代には、よく走った。仙川あたりから環八と交差するあたりの初夏の甲州街道は特に好きだ。並木の緑が鮮やかで、昔はこの季節、車の窓など開けていれば、樹々の葉の香りまでかぐことができたけれど、近頃はその香りをあまり味わうこともできない。
 環七に出る。渋滞もさしあたりなく、杉並に入り、練馬区。ハンドルを握る私は、豊玉陸橋辺りで、ふと、また昔の思い出がよぎる。環七の内側、江古田駅から伸びている栄町商店街が終わるのが、ここなのだが、この環七を渡った外側の地域に学生時代の友人が暮らしていた。18~9歳の頃、私は、しばしば彼女の部屋に遊びに行った。環七外回りを走る左手には小さな公園があり、彼女はその公園から程近いところに住んでいた。同じ大学、同じ声楽学科、レッスンの門下も一緒で、私たちは一度喧嘩に似た状態にこそなったが、その後はずっと仲良しだった。その後彼女はそこからそれほど遠くはない桜台に引っ越したのだが、学生時代の私はやはりその部屋も時々訪れた。忘れられないのは、確か1983年だったかしら・・・彼女が学校帰りに私にこんなことを言った・・・私は誰かにツケラレテいるみたい・・・と。それは今でいうストーカーではなく、興信所の男ではないかと、彼女が言うのである。だが彼女は別に世間から怪しまれるような人ではない、ましてや男性問題でもない。或る事情あってのことだと彼女はその時打ち明けてくれたが、その事情まで、今、ここには、書くまい。が、友人はひどく深刻で、大学からひとりで帰宅するのが嫌だと表情を暗くしていた。それは、その学年の前期がもうすぐ終わる季節、7月に入ってのこと・・・「ねえ、今日は車で私を送ってくれない?」と、おもむろに彼女に訊かれた私は、「いいよ」と返事をした。大学からなので、その時はまず青梅街道を走るのが普通だが、私はあえて五日市街道に出た。その後、青梅街道に入り、環七に。やがてと或る通りに入り、彼女のマンションの近くに車を停めた。周りを見回しながら、私も一緒に彼女の部屋に向かう。「ありがとう」と言う彼女である。少し彼女とおしゃべりをしてから、私はマンションを後にした。私の赤い車は安全運転で帰宅した。夜、彼女から電話があった。夏休みになり、彼女が帰省すれば、解決するのではないかと、感じた私だった。
 板橋区に入る。環七外回り右手のマンションに暮らしていた、これまた学生時代の女の先輩を思い出した。打楽器科の人で、大学時代一度だけ、私はその人の家を訪れたことがあった。私が特に親しかったというわけではないが、打楽器科の男友達とともに何か用事があって出かけたのだろう。それはもう暗くなってからのことで、何となく連れていかれた場所だったゆえ、この辺りのマンションだったという記憶しかないので、建物を確認することも今やできないが、ここを通ると時々思い出す。あの人は、今、どうしているかしら?
 この先から綾瀬まで、渋滞に出会う。昼下がりを過ぎ、私の血糖値が下がる時間帯である。チェリーは助手席のシートを倒し、横になっている。「空ばかり見えて、何処を走っているのかわからなくなるな」などと言いながらも、綾瀬が近づいてきたら道案内を手伝ってくれた。

 さて、到着したお店の名前は、『コンポステラ』、オーガニックの食材でもてなしてくださる暖かい雰囲気のお店である。開業3周年を迎えての記念ライヴということもあり、コンポステラの音楽を・・・という企画のイベントが立ち上がったらしい。
 到着したとたん、私はほんの少しふらっとしてしまい、駐車場に停めた車の中でしばらく休んでいた。が、窓を開けていてもやや暑い。落ち着いてお店の中に入ったのだが、今度は心地よく涼しいので、再び脱力感が襲う。糖質の入ったものを少々いただき、オーガニックのおにぎりも食べて、元気を取り戻す。
 小さなお店にいっぱいのお客さん。ドラムの久下さんはいらっしゃらなかったが、関島岳郎、中尾勘司、桜井芳樹(敬称略)で贈られる久々の「コンポステラ」&「ストラーダ」の演奏は新鮮であり、美しかった。中でも、「トルコのマーチ」は、絶品で、この曲はストラーダのライヴでも演奏されたことがあった作品だが、関島さんのリコーダーの魅力が引き立った。かつてはもっとハードなスタイルで奏でられた印象だったのだが、この晩のアレンジこそが、楽曲の持つ本来の力と土地の気配、風土を伝える在り方なのではないかとさえ、想像した。
 私は時々、眠りたくなった。「山道」など聴いていたら、本当に深い深い森の中に足を踏み入れているような光景を思い浮かべ、はっとして、我にかえるのであった・・・。

 この『コンポステラ』は、オーガニックの美味しいワインやビールもあり、私など、いただきたいのは山々だったが、driverは、我慢(苦笑)。チェリーの腰も労り、皆さんよりも早めにお店を後にしたのだが、この企画はステキであり、そのステキな演奏を聴く事ができた幸せを与えてくださった『コンポステラ』のスタッフの方々に感謝したい。

 夜の環七は空いている。22時半を過ぎた頃、まだそれほどタクシーも多くはなく、しかし、流れは速い環七道。青梅街道に入り、いつも通りのルートで我が家に向かう。
 チェリーは情けない程、元気を失っている。が、この一日、とてもよく演奏した。
 私の役割は、今、安全である。そのように実感しながら、アクセルの加減をしていたら・・・

 ・・・あら!
 右足先、ツッているじゃない!

 運転中に足がツルなんて、初めてのこと。
 指先が金縛り状態・・・厭だわ・・・有り難いことに、それほど痛くはないけれど、アクセルやブレーキを踏み直す時、不自由なのね・・・やがてふくらはぎまで緊張してくるのだけれど、止まりたくない・・・止まらず、安全に、戻りたい・・・こういう時は、何か考えればいいのだわ・・・そう、この間、倒れて冷たくなっていく状態を実感した時と同じように・・・でも、今、何を考えたらいいかしら?

 幸せな一日だったと、考えるわ・・・。

 そうして、帰り道は、こんなにも、スムーズよ、私は安全に帰ることができる。
 私は、足がちょっとツッたくらいで動揺しない。
 
 driveとは、愉しむもの、だからこそ、私は車が好きなのでしょう?

 蒼いモンデオは、梅雨時の空の下、蒼い豹のごとく、軽やかに走った。


 
 翌14日は、六本木、Tokyo Billboardへ・・・つづく。