6/20 試聴室その2

 チェリーの腰の具合も大分よくなり、車の運転もできるようになった。
 この日は横浜、黄金町の『試聴室その2』にて、ロンサムストリングスのライヴである。もうひとつ、ご一緒なさるのは3人の小粋なおじさまたちのグループ、ハーモニカ・ライナーズ。


 朝から陽射しもあり、久しぶりの太陽が嬉しい。横浜へ向かう運転はチェリー。私はといえば、前日、あまり体調がよろしくなかったので、帰り道の運転を担当。
 多摩川沿いの道を走っていれば、前を行くのはグレーのホンダS2000、FR、オープンカー、良い車である。乗っているのはどうも父娘らしく、助手席の娘さんはまだせいぜい中学生といったところだろうか? ほっそりした腕を頭に持っていっては、華奢な手で髪を撫でつけている。サラサラとした真っすぐな黒髪は肩より少し上のラインで揃っているらしく、その髪の色と艶で、後ろ姿だけで、彼女がまだまだ若い女性、少女と言っていい年齢であることがこちらにも解る。父親は車が止まるたびに横にいる少女に話しかけたり笑ったりしている。オープンカーというのは、このように明け透けに後ろからでもどこからでも乗っている人たちの姿を見せる。
 少女の無邪気な様子に、やはり助手席に座っている私もそのような気分になりたくなる。空を眺める。
 と、何だかそこにある空の様子は海のようで、私たちは目線より上にある水平線に向かって走っているような気がする。しかも、そこに浮かぶたくさんの白い雲はそれぞれ可笑しな形をしているのね・・・先頭は、こたつ。その後ろに、まるで座椅子の格好をした雲。次にさかな・・・列をなして並んでいる。そうして、更に遠くに浮かぶのは、フェリーに似た客船が・・・山は見当たらない。
 その後、第3京浜をほんの10分ばかり走ればもう、三ツ沢。三ツ沢を降りたところはいつも渋滞している。月に一、二度くらいの割合で横浜を訪れるチェリーは渋滞にも慣れてはいるのだろう。もうすぐ黄金町に入るという頃になると、チェリーは「ここが、ドルフィー」とか、「ここがあのグッピーだね」と私に話してくれるが、それらのお店の名を聞いていて、何となく横浜的、と感じる。


 大通りを曲がり、小さな路地に入る。ここは京急の高架下界隈。ディープな通りである。かつてこの地域を飾ったであろう<赤>い線の空気漂う初黄音商工会という名の通りに立ち並ぶ店は午後4時、ドアを開け、商売の準備を始める頃らしい。このような一画を私も幾つか知ってはいるが、これだけ広がってしまった(長く立ち並んでいる)場所というのは始めてだった。私が懐かしむのは開発が始まる前の昔の立川の駅周辺だが、ここは、その比ではない・・・しかし、興味深い。もうひとつの通りには立ち飲みの店などもあるが、当然、この時刻、もう飲んでいる人はいる。が、気になるのはもっと別の店から漂ってくる気配、「入ってみたい・・・カウンターに座って、瓶ビールなど注文したら、マダム・・・は、私に何を話すだろう・・・それとも、無言だろうか・・・そんなことはないだろう・・・」。近頃はこのような場所がどんどん都市の中から消えているようだが、それも何となく寂しい気がするのは、せめて私が昭和30年代生まれだからだろうか? 街が快適になり、美しく生まれ変わることは良いことであり、安全のためには必要なことだが、昔から、都市づくりというものには、ひとつのルール、或いは免罪的なものがあり、それは、<ただ歩くだけではない場所>という区域が設けらてきた。日本でも西洋でも同様のことがいえて、城は小高い丘か山の上などにそびえ、そのすそ野に城下の街があり、家が、商店または市場が、そして酒場が・・・と分けられるようになり、その街の外れに墓地や処刑場がある。普通に暮らす人々も或る目的により、移動する。移動の目的は子供や一般の女人は禁制である場所もあったりする。黄金町のこの区画は特殊な場所だが、言ってみれば、アジール・・・いや、聖域という言葉が相応しいかどうか、それは個人の方々の判断なので一概に私は決めつけないが、それでも、私など、これらの場所が一種のサンクチュアリとも考えたくなる。・・・あの高架下の小部屋でガタゴトと電車の走る音を聞きながら揺れた男と女がどれくらいいたか・・・そこに愛などというものを求めたかどうかなど、知らない、知らないが、そういう夢が咲き、枯れ、くり返されてきた場所・・・気高くハミ出さない事だけが人生の美徳ではない・・・汚れなき生活が人間的とも思わない・・・この地域には、この地域の掟やリズム、流れ、そして規則正しさがある。ただ、何となく在る訳ではない。ここで商売をし、生活する人々の時間割があるのだ。日々、しっかりと、或る時刻になればマカナイが作られ、その後、座る人、立つ人・・・がいた。それを思えば、規律ある暮らしなのではないか? 社会のルールを重んじるかどうかは別としても、である・・・車寅子になった時のRisaはね、そんなこと、思うわけよ。


 『試聴室その2』は、その通りに面した高架下にある。このスペースは、周囲の雰囲気と打って変わって「おや?」という佇まいで突然現れる。ガラス張り、清潔感溢れる木材の香り、『その2』以外の幾つかの部屋は、多目的に利用出来るアトリエのように設えてあり、絵を描いている人、展示の準備をしている人もいた。現代的な小さな小さな学校のように見えなくもない。


 さて、リハーサルが終わり、本番までの間、少し付近をブラッとする。チェリーはお腹が空いていないと言っていたが、私は血糖値が下がってフラフラしたくないので、何か食べておきたかった。「この辺のお店に入ってみる?」と、彼に訊ねてみたのだけれど、「俺が今日、バンマスでなければ入ってもいいけど、ねぇ(笑)」
 というわけで大通りに出て、麺類でもいただこうとお店を探すが、これが、なかなか見つからない。交差点のところに一軒のラーメン屋さんがあり、初老の女主人がお店の前に立っているのだが、暖簾は出していない。まだ準備中かと思うが、もう18時を過ぎている。私たちが横断歩道を渡っていたら、その女主人も後ろから歩いてくる。交差点の向こう側にお蕎麦屋さんがあったので、手っ取り早く、そこに入る。すると例の後方の女主人もつづいてお蕎麦屋に入ってくる。どうやらラーメン屋と蕎麦屋は親しいらしく、何かをお互い手渡したりなどし合っている。チェリーと私はたぬき蕎麦を注文する。私はお蕎麦屋でゆっくりすることを決め込むつもりのない時、暖かいお蕎麦なら大抵たぬき蕎麦を頼む。が、しかし、こんなに優れないお味のお蕎麦を店でいただのは生まれて初めてであった(一生忘れないだろうな)。それとも体調不良で私の味覚がちと変なのかしら? いや、違うわ、油が古いのね、きっと。とは感じても、何も外で必ずしも美味しい物ばかりを食べることが人生ではないだろうと思い、完食した。こういう優れないものにもかかわらず完食するというのも、また、人生だろう。『試聴室その2』に戻りながら、あの角のラーメン屋さんの前を再び通ったが、まだ暖簾が出ていない。しかし、入り口は開いていて、中のカウンターには男がふたり座っているが、食べてはいない、飲んでもいない。何をしているのだろう? 面白い街。



 ライヴが始まった。ハーモニカ・ライナーズは、'62年に結成されたハーモニカのトリオである。活動休止後40年を経て再結成されたそうだが、素晴しい演奏力だった。年を重ねるということを考えさせられる。ちなみに、クロマティック・ハーモニカ担当の方と、バス・ハーモニカ担当の方は、私の母よりも少し年上である。生き生きした演奏に目を見張りながらも、老いてなお音楽をつづけ、披露するという直面がロンサムを含む私の知る多くの同世代の音楽家の将来を想像した・・・マッカやストーンズを見れば、それはそういうもの、とは思うが、長く活動するということには、色々な状況や条件も迫ってくるだろう、そして、若さというものを過去にした時、人の生き様がバレる。このハーモニカ・ライナーズの方々の休止中のことは勿論私は知り得ぬことだが、きっと豊かな人生を送られてきたのだろう。そういう印象の音楽だった。
 ロンサムは・・・私はチェリーのコンデションを多少気にしながら聴いていたが、スペースが透明感溢れる分、音楽も透明に響いた、と、感じた。4曲でほぼ1時間弱が終了するというセット・リストだ。これは素直な持ち味を出しただろう。そう、素直な持ち味で、いいのよ。ハーモニカ・ライナーズとのセッションが最後にあってもいいのでは、という印象も無くはないが、しかし、こういう場合、お互いがお互いを遣る、という潔さは大事だと、私は感じる。人が何かを表現する時、その場において相互関係にある者同士が、必ずしも、一体化することが喜ばしいとも思えない私なのである、要するに、個人、個の存在が、今、自分が遣るべきことを遣る、それで、十分だと、思う。常に、個、が、どの角度からも潔く平然と生きる時間が大切なの。
 
 長く表現をつづけるためには、そのようなクールな感覚が必要で、結局、個人なのである。
 その個人が寄り集まった時、何ができるか、は、その時にできることであり、普段の個人が生きてさえいれば、どこで、だれと、なにを、しても、ちょくめん、しても、平然と生きられる。

 私は個人主義をウンチクできるような優れた者ではないが、個人として表現することが、好きであり、その痛いような感覚に攻撃されることも、快感である。
 しかし、この日に食べたお蕎麦屋の味よりも、優れた味を出せたら幸いだと、感じた。

 人に味わってもらう、最小限の責任は、持つべきだろう。

 だが、それでも商売が成り立ち、お客が来る、という現実があるのだ、あのお蕎麦屋が商いをつづけていられるようにね。
 お蕎麦屋の老夫婦は、間違っても悪い印象はない、普通のお蕎麦屋の構えであり、よく在る一般的なお蕎麦屋である。
 ただ、油が古く、意欲がないだけだろう・・・つづけていければ、いいのだ、ふたりにとっては、このお蕎麦屋を。


 この『試聴室その2』は、ここを訪れた人たちが読むことができる書籍を置いていらっしゃる。非売品である。

 にもかかわらず、ここの責任者の方は、特別に私の著書『YES』を販売品として、こちらに置いてくださるとおっしゃってくださった。

 many thanks!

 そのRisaの著書『YES』とは、このような本です。

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 今後、『試聴室その2』のライヴに訪れて、興味を持たれた方、是非、お手にとってみてくださいね。お問い合わせは、スタッフの方に、お願いいたします。
 


 そして、この 著書『YES』の通販のお知らせです。
 お値段は1500円+送料手数料200円です。
 御注文はこちらまで。

 御注文くださった方のプライバシーは、当然、厳守させていただきます。


 横浜からの帰り道は、私が運転。
 どの道も流れ、第3京浜のほんの僅かな道のりに、若い頃の思い出を重ね合わせる。
 お腹が空いたチェリー、国分寺駅北口からちょっと離れた場所にあるラーメン屋さん、『麺屋がらーじ』に寄って行こうと提案する。
 一見ラーメン屋さんというよりも、バーの佇まい(各種お酒も置いてある)のこのお店、だが、こちらのラーメンは、美味しいのだ。他では味わえないお味、普通盛りの量は深夜に食べるのに丁度良い量。私は味噌ラーメンを。8種類のお味噌を使って仕上げられたスープはコクがあり、元気になる。


 小舟のようにフワフワと、よい一日だった。

 
 ダイアリーは、翌21日の晩へと、つづく。


 LOVE & LIGHT


 ..* Risa *¨