6/21 遊ぶ、夜、MARU!

 6月21日、作業案のために勤しむ昼間。ふとハーブ入りのお茶あたり欲しくなるが、オーガニックの珈琲で過ごす。チェリーは午後からリハーサル、夜はギター・レッスンである。
 
 この晩は、去る5月23日には、私=桜井李早の著書『YES』の出版記念イベントを行わせていただいき、親愛なる私の編集者でもあられる三島悟氏がオーナーをお勤めになったMARUの最後の晩である。ライヴが行われているし、私たちも参上したいと思っていたのだが、私、食事をした後、ひどい胃痛に床の上で悶えた。こんなことは久しぶりで、さては、昨日の古い油のたぬき蕎麦がたたったのでは・・・と、思いながらも、胃薬を飲むために立ち上がる事もできない始末。・・・しばし、寝ちゃおう、そうして、目が覚めれば、落ち着いているだろう、と、静かにしていたら、案の定、少し眠れた。
 22時過ぎ、チェリーから電話があり、「MARUに向かう」という旨を伝えられたが、是非とも私も同行したい。「胃が痛くてね・・・よかったら、一度家に戻って、私を拾ってくださいな」と、言う。23時近く、吉祥寺から帰宅したチェリーである。その後、私の様子を見計らい、MARUへ。

 もうお開きかな? という時間帯だったが、どうしてどうして、ここに集う人々は、この夜が日曜ということも問題ではないらしく、宴の気配は続行されつつある・・・と、勝手に想像してしまったのだが・・・・・・

 案の定、24時近くでありながら、この店の終焉はほど遠く、語り、歌い、奏でる人多く。そして、三島氏の元気なお顔がぬっとチェリーを覗き、リクエストしてくださる。・・・ああ、何かplayすることになるのね・・・ギターはある。大活躍の岩崎君も、鍵盤の前に座っている。

 その時、ブルーズが始まった。

 チェリーはギターを持ち、もうお一人の若いギタリストさんの演奏をうかがっている。・・・俺、どこで、飛び込もうかな? ・・・そういう彼の、決して攻撃的ではないが、極めて狩猟民族的な魂が浮かぶのを、私は露に感じた。とにかく、桜井芳樹という男は、どんな場面であっても、片方において対するギタリストの表現を確かめないうちには、出しゃばらないのだね(これは、あの男の美徳と私が断言する・・・わ)。・・・そうか、そういうイメージで弾くんだね、それなら、俺、あんたにこんな風に合わせ、応えてみようかな・・・悪く思わないでくれよな、俺の弾き方を、というのも、俺は、あんたの音を聴いて、今、こんな風に弾いてみたくなっただけなのだから・・・
 チェリーの顔が緩む。酒のせいでは、ない、普段のライヴとはまた異なった、個人の彼の顔があり、遊んでいることが解る。sorry・・・身内贔屓すれば、流石! である。勿論、楽器は借り物だし、何の準備もないが、それさえ風流にしてしまい、その男が弾くフレーズは、ハッとする音だった。艶やかであり、それでも、誇りっぽく、昼間の労働を終えた後、仲間と集って脱日常になっている酒場、そのものである。
 ブルーズっていうのは、こういうもの。
 そのチェリー、演奏後、こんなことを言う、「何で、キーが"G"なんだよ(笑)?」


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 些か調子が悪い私であったが、「Imagine」など、歌わせてもらう。鍵盤は岩崎君、ギターはチェリー。

 その後、このお店が閉店する気配からどんどん遠ざかるような状態で、宴は続行。マイク無しで、「流しごっこ」まで、始まる。皆、声、デカいなぁ、静まり返った周囲の迷惑もどこ吹く風、雨上がりの夜の風に吹かれている。
 そう、流しは、「一番」で、終わり、「二番」へ向かわず、次の曲に移行するべし。最初の「流し」役は建築士でもあるN氏。彼の歌は素晴しい。お次はチェリー、ギター、離さない。しかし、考え方によっては、「一家にひとり、流しさん」という塩梅はいいものですわ。
 活発な昭和30年代後半生まれの族が歌い、演奏し始める、もう、時刻は25時も過ぎる。shit(笑)! な、歌声喫茶のようであり、どこまでお前ら、昭和なんだよ! という選曲で、皆、歌う歌う、走る走る、1960年前後~1964年生まれの世代、特に東京オリンピック開催までに生まれた世代は、今や皆、兄弟である。どこで生まれ育とうと、記憶が一緒なのである。この世代は目出たいことに、自分たちが生まれる前の昭和歌謡でさえ知っているし、当然まだオチビだった頃のGS、小学校時代、中ボー時代、高校へ・・・20世紀の日本が最も華やかだった時代を幼少から思春期に体験した世代は、共有することが多過ぎる。ひばり、ブルーコメッツ、サブちゃん、西田佐知子、いしだあゆみ、フォーククルセダーズ、フランシーヌの場合、津軽海峡冬景色、麻丘めぐみ青い三角定規由紀さおり・・・あげくに、譜面のカタログを無造作に開いて弾き、歌い合い・・・何度も「これでお終い」と言われながらも、それを無視して、次の曲に行く、高度成長期世代の流し組は、臆面も無くMARUの窓際に集まり、開けた窓も構わず、大声で歌い奏でつづけた。個人的に、私としては、「時計」と「生きがい」、「人形の家」、「高校三年生」を合唱できなかったのが残念だが・・・三島先生をだいぶ皆で困らせてしまったかもしれない・・・やんちゃ小僧の集まりだった(笑)。
 最後は、「翳り行く部屋」あたりで、(しぶしぶ・苦笑)〆たのだっただろうか? 時刻、26時を過ぎる頃。
 いずれにせよ、恐るべし、昭和30年代後半生まれ族の根強い記憶である。帽子仲間ハル氏と手をかざし合い、ハルちゃんの素晴しく響くテナーには負けてはいられず、と、私。写真家女史の歌声の麗しさに共感し・・・体調不良など、すっ飛んだRisaだった。
 何が驚いたって、この晩の席でひょこりお会いしたのは斜向いのご主人! ご近所ではあるが、まさか、このMARUにまで出入りしておられたとは・・・ご職業は建築士であるこの斜向いのご主人である。何だか、街というものの在り方と、そこに暮らす人々の引力のようなものを感じてしまった。ということで、斜向い様、これでもう、我が家の事情、バレてしまったのね、これからも、よろしくお願いいたします。


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   左:N氏 & 右:チェリー

 
 後から乱入し、さぞやMARUにご迷惑をおかけすることになったチェリーと私であったかもしれないが、オーナー三島氏のお元気なお姿には、頼もしさを感じた。本当に、病院に閉じ込められていた人とは思えない活き活きしたご様子である(まだ、還暦なのですもの、これからが、人生です!)。奥様も、さぞや、ご心配な日々を重ねられたこととお察しするが、この晩のお顔は笑顔だった。

 このMARUは、三島オーナーの後を引き継がれる方があるようで、幸い、お店は継続されるとのことです。
 諸々の催しが行われると思いますので、お楽しみに!

 そして、三島オーナーは、ご自宅内の離宮を『茫々亭』と名付け、8月から、金土日の営業を始められるとのこと。嬉しいことに、『茫々亭』は我が家からそれほど離れていないので、週末にひょいっと遊びに出かけやすいのだ。三島離宮のお庭で、「だるまさんがころんだ」とか、「缶蹴り」している大人が増えたら、さぞや、可笑しいだろう。皆、気取らずにな、そして、そういう所から、生まれてくるものも、ある。
 人とは、遊びによって、育てられるのだ。
 とにかく、隠れ家的『茫々亭』=『MARU茫』で繰り広げられる諸々のイベントの行方も、楽しみですよ!

 たまには、素顔で豪快に遊ぶのも、よい。お調子者の私は、こういうこと、大好き! 本当に、小学校時代の教室で開かれた年度末の「お別れ会」のシーンなど想い出し、それとダブる光景だが、人とは、幾つになっても、子供のように無邪気に楽しむことを忘れられないものなのだな。・・・小学校時代は、昼下がりのお楽しみだったが、今や、夜に楽しむという、時刻の違いと、そこには、お菓子とジュースではなく、必ずお酒がある、ということだけの異なり。

 おかげで、翌22日、私の顔色は良かったようである・・・楽しかった!


 三島さんと、MARUに集った人々に・・・XXXXX


 PEACE & LOVE


 ..* Risa *¨