良質な鬱

 毎日毎日、曇りと雨、エルニーニョの影響で、ここへきて今年の夏は関東から北は冷夏か、などという記事を読んだが、そうなると夏の過ごし方も、少し変化させようか、と、こちらも思ったりする。
 どうせ、目醒めれば、どんより、なのだ。
 そのつもりになればいい。

 良質な鬱、を過ごすのである。

 
 ところで何か近頃は、自分の生き方を方向変換する時期のような気がしてしまう。
 前回の皆既日食から先日の皆既日食までの時間と、私の生きた時間は同じ距離なのだ。
 私がチェリーと出会ったのは、10代最後の年齢だったが、その後、彼と恋をし、おつき合いを始め、結婚して、ちょうど今年で25年の時間が経つ。この時の長さは、結婚の契約の中の節として考えると「銀婚式」の位置なのである。
 そして私は、自分の寿命など知らないが、「天からのお迎え」というのが来るまでの期間、この世界で「明日という日をまだ迎える」ことをくり返すことができるとして、今は、第3期あたりに差しかかっているのではないかと曇り空と雨と湿気に鬱陶しさを感じながら自覚しようとしてみる。
 母の胎内にいた時から20代前半までが第1期、1986年あたりから今日あたりまでが第2期、これは昭和が終わりに近づき、平成となり、今の21世紀に突入していくわけである。
 チェリーと私のキャリアは「銀婚式」であるが、私個人の人生のこれまでのキャリアを二分すると、23年周期という括りで計算してみようじゃないかなんて、自分を言いくるめるようにしてみる。
 そうなると、今は新生を待つ時期なのである。
 生まれる喜びというのもあるが、苦しみもあるだろう。オギャアと叫ぶまでの窒息しそうな悶え。思えば23年くらい前も、はて? と、道に迷いそうであり、更に言えば、1963年の或る日に生まれる時でさえ、呼吸をしていなかった私である。
 死に損なって生まれてきた人生さ。

 良質な鬱である。

 
 例えば、こんなことを想像する。
 私は可愛い子供を抱く、シングル・マザーだと。
 私の愛するものは、思春期のごとく放浪する熱烈な魂であり、無骨ではあっても邪心はなく、向上心を持ち、道草をしたがり、人情に厚く、クールで溶けやすく、色気があり、純粋な子供である。
 その子供が悲しい顔を少しでも見せるようなことがあったら、私は楯になり、矢になろう。

 これが私の人生の第3期の仕事なのではないかと、思うの。

 良質な鬱、それは、メランコリーである。


 外は雨、窓ガラスに打ち付けた水は、闇の中で銀色の雫となって光り、銀河のよう。

 曇りでも雨でも、24日、明るくなって、家事以外に私が遣る事、ひとつ、ふたつ。

 地球の年齢を考慮すれば、短き時間であるが、私という物がひとつの世界であるとして、その時間の流れの中の私は今、人生の中世と思い、暮らそうか・・・などと、今年の夏、目論むことにする。


 LOVE & LIGHT


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