イグドラシルの樹と、この夏

 今、私には、大事なことが幾つかある。
 私は、夢心地で生きている者のように見られがちであり、例えば、この世の中の個人が縁日の出店だったとして、人々は私の店の前で足を止め、中を覗き込んでも、「ああ、これは夢商店だから、只でいいだろう」と、少なからず関心を持ちはしても、まともな出店とは思わず、通り過ぎてしまうような、路上商店だったに違いない。
 りんご飴を買う人も、綿菓子を買う人もいるが、私の出店において、人々は多少関心を持ちはしても、行き交う人混みの中で、幻のように商いしているように見えるだけだろう。

 そんな私が最近心に留めておきたいと感じた、シンプルな言葉がある。
 19世紀のフランス人の言葉であるからして、「ほら、また頭が夢商人」と、お笑いになるやもしれないが、真面目である。何といっても、妖精のような者が人並みになるには、時間もかかる。


「世界の未来は、民衆、特に労働者階級にあります。・・・・・・民衆が、個々の利益を唯一の利益に一致させることを、身をもって示す時・・・民衆こそが主、文明の指導者、新たなる救世主となるのです」


 いきなり何を言い出すか? と言われるかも知れないが、民衆が未来を担っているということを、より強く思いたいのだ。
 漠然と、この国の民衆は、今、弱っているかもしれない、「未来に希望が持てない」という声を、報道でよく聞くが、ここに生きる人たちは皆、希望を持つ資格があるのだ。だから、「持てない」などという弱さを、今、あえて、国家に遣えていると自負している立場の者たちに見せてはいけないわ。見せれば、足許を見られる。足許を見て、つけ込む。彼らにとっては、民衆が弱っているということは、好都合なのよね、いつの時代も。「何とかしてあげる」という文句で寄ってくる。とはいえ、話の上手い者と、下手な者がいるが・・・(微笑)。
 で、私は話を聴く。
 聴くと、気持ちが悪くなる。最後には膨大な赤い数字の列を差し出してきては、考えていると言う。
 
 幸せなどという甘ったるい言葉など、帰宅していちいち噛みしめることの無い人間に、民衆の家の中の赤ん坊の泣き声の愛おしさや、夫婦のひと時の晩酌の愉しみや、老人を囲みながら昔話を懐かしむ柔らかな光景など、視えるだろうか。
 

 表さなければいけないわ。
 それは私などが言葉に出来るのは、些細な言葉にしかならないが。
 それでも、自らの吐き気を予防できるなら、「阿呆」と言われても役に立ちたい。


 :私たちは未来に希望を持っているので、あなた方のやり方には厳しい判断で向かいたい。

 :私たちは大事な子供がいるので、あなた方の意見を安易に受けとめることができない。

 :私たちはどうにか生きる必要があるので、要らないものを捨てていく必要がある。

 :私たちは正直なので、私利私欲の者を拒絶する。

 :私たちは人生を素晴しいと思うので、平和を願う。

 :私たちには愛するものがあるので、ただそのために生きるのである。

  
 ユグドラシル(Yggdrasill)の樹を想う。


 私は「快適」という味を、知り過ぎた。
 馬鹿者が何かに気づくのは、大変、遅い。
 でも、私は愛するものにより近づいた。


 この夏、私は私の課題に心を向けよう。

 
 LOVE & LIGHT


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