乙女の純情...或は..."斜陽"と"クレーヴの奥方/La Princesse de Clèves" *

 昨年の今日、3月17日、私は成田からフランスへ飛んだ。電車のダイヤは乱れ、フライトも危ぶまれたが、私の乗った飛行機は遅れはしたものの成田を発った(その1年前の思い出については昨年4月のblog http://d.hatena.ne.jp/fairy-risa/20110401/1301674910 に綴ってございます)。この日のフライトは、過去何度も西洋に向かった私が経験した初めての想定外の出来事...それでも私は背中に翼でも貼付けたように、または流れ者ででもあるかのように渡航の味を苦くも甘くも感じたものである。


 ところで先日、母が押し入れの奥から出してきた衣類をひとつひとつしみじみ眺めながら、「これ、もう、着ないかしらね?」と、傍らにいた私と弟に訊くのであった。それらは赤いウィンド・ブレーカーであり、鈍い橙色のスキー・ウェアーであり、しっかり編み込まれたベストであり...どれも1970年代の母の物である。「着ないかしらね?」 とは、誰に問いかけているのか? 母自身か、それとも、私か。すると気さくな弟がすかさず赤いヤッケを羽織うと、「これを着て歩くの?」と歌舞いて見せた。母はそれでもスキー・パンツを未練がましく見つめながら、「でも、これ、憶えているでしょう? 私はこれを履いていたのね...」と、心は70年代を追う狩人である。
 私は母が何か静かにもの思いに耽っている様子を見るといつも、太宰治の小説『斜陽』を思い出すのである。とはいえ、私の母は、火のような性格を見せる時もあり、あの小説の主人公かず子の母のごとき儚い人ではないが、ただ、母親が失われた時代を守り続けているような気配を見る度に、私は小説『斜陽』を思うのである。
 そして更に始末が悪いのは、この『斜陽』を私が初めて読んだ14歳の晩、私は一気にこれを読み終え、眠れなかった記憶があるのだが、私の弟も、かつて同じような気持ちになったらしい。彼がいつだったか私と『斜陽』の話をしていた時、「僕はあの主人公の弟の直治の事を、これは僕だ! って思ったものだったな」と、言い、私は全くもって、我らは馬鹿姉弟だと感じたものである。『愛と美について』の太宰の書き出しではないが、どうやら、姉弟、ロマンスが好きらしい。そして、それを煽動したのは、主、父であったかもしれない。
 そういうわけで、私は『斜陽』という小説を今まで何度も読み直しているが、或る時期からこれをひどく"恥ずかしい"小説と思うようになった。


 “恥ずかしい"小説というカテゴリーを設けると、もうひとつ、ドラッグしてみたくなる小説がある。それは、ラファイエット夫人による『クレーヴの奥方/La Princesse de Clèves』である。だが、私はこの物語が好きなのである...読みながら私は何度も...何とまぁ、恥ずかしい事どもを書き綴って...と、頭を掻きながら苦笑したものだが、これが好きなのである。時は16世紀(著作は17世紀の作品であるが)、乙女は厳格な一家に育てられたがその後、仮面をつけるが如き生き方を受け止めざるをえなくなる...生活のゆとりとは別の、思う当てもなかった人生である。恥ずかしい人生である。深い悲しみか、鉄面皮か。だが、女は、どうしても、ひとりの人間として生きて行くしかない。愚かと言われようが、失敗と言われようが、自ら形を整えて、生きようと努力するのである。


 ...『斜陽』も『クレーヴの奥方』も、ひとり、女がすっきり生きる道を選んで終わる。
 そして、それらを私がいくら"恥ずかしい"小説、と言ってはみても、両者が実話に基づいているところが、憎たらしいのである。
 "恥ずかしい"理由は、それにあるのだろう。
 書かなければ、誰にも知られないような人生の秘密である。
 それを大きく広げ出す事とは、それなりの覚悟もあり、だが、どうでもいい事でもある。
 その、埋もれたままなら誰にも気づかれない物語を書き出すところに、人間の恥を美徳として曝け出す勇気もあるわけで、それは、時々、甘え、と一蹴される懸念も覚悟の事。
 物語とは、ええ、広げてみない事には始まらない。
 それが、何か、何のためか、などという疑問を与えないような、目眩ませも、ふまえて。
 が、今年の春が再び訪れ、図らずも、私の人生はまだ、終わらない。


 陽の当たる畳の上で母が広げた懐かしい衣類たち...


 その日、弟は、母に言った。


「いくら思い出があっても、今、この瞬間にときめかない物は、捨てていいんだよ」


 ...いい事言うね...我が弟...


 あっぱれだと、思った。

 


 St.Patricks


 Risa :*)