小峰力-展覧会 @K'sギャラリーにて



 10月9日夕刻、小峰力氏の展覧会へPinter Kuro氏にエスコートされながら京橋、K'sギャラリーへ向かった。風は強く、だが心地よく、そして東京という街は、相変わらず慌ただしく。
 しかしギャラリーのドアを開けた私は、小峰氏の描く静謐の世界へと迷い込んだ。
 そこには小峰氏の心の裡に潜み、彼の手によって紡がれる美しい沈黙と光の世界がある。
 私は彼が砂を使って…それは日立の海辺の砂たちだが…描く作品群の中にリンドバーグ夫人が独り、孤独の海辺で過ごした時を綴った『海からの贈り物』を思った。
 物をじっくり見つめる力とは、執念に近い訓練なのだが、作家はそのような時間を必要とする。小峰氏が表現する世界には、誰がどのように眺めても自由であり、が、自由なだけでなく、それら作品たちの奥には、氏の限りない彷徨があり、それであって、整えられている。
 そう、抽象というカテゴリーにありながら、整えられているのだ。
 整えられているという私の考えは、氏の描く色彩や凹み、一種の歪の美が、氏の心の優しさと共に表現されているからで、その優しさは、彼が好む<円>によって、表されているのだが、その正確な<円>は、潔く起立した<円>なのである。<円>が起立するとはおかしな表現かもしれないが、それは、立体的なという意味ではない。「そこに私が見る目の前に月のような…」と言えば如何にもありふれた言い方になってしまい、つまらなくなってしまう。丸い<円>は何事にも動ぜず、正確な姿で絵画の中に立っている。
 その<円>の中は空間である場合もあり、何やら描かれている場合もある。彼の心が<空>である時と、何かに占拠されている時があることを彼の<円>が伝える。
 そして、彼が海を眺めながら、そこに<壁>というモチーフを置く事が面白い。
 その<壁>とは、彼が感じる、他者とのコミュニケーションかもしれないし、自然、或は地球の歴史をイメージした、小峰氏からのメッセージなのかもしれない。
 アーティストとは、時に、伝道者のような心持ちになる時があるだろう。
 そういう意味で、小峰氏は、沈黙を唱える画家であり、それであって、この展覧会のタイトルにある『散りゆくその日まで』というタイトルの名のとおり、突き抜ける天空の明るさを夢見、かつ、火の鳥の視線のごとき広く大きな視野を目指す画家なのだと感じた。


 私は心から、佳い絵を見たと、思った。
 抽象とは、迎え撃つ力量を持たずして描けず、して、その懐は深い。
 私は絵の中に飛び込む。
 子供のように好き勝手に飛び込む。
 それが好きだ。
 そうして、小峰氏の描く色たちは、やはり日本人の魂の色をしていた。
 そこに、時に、縄が扱われているところなど、氏の表現の在り方に潜む謎をこめながら。


 今日は本当に、色々、学ばせていただいた。
 だから表現することはやめられない。




 鑑賞の後は、Kuro氏と共に今後のスケジュールについての練り/煉り込み作戦をすべく、日本的酒場にて打ち合わせ。
 来月からはKuro氏と私のコラボを小峰さんの"詩穂音"にて行うことにより、この、今日、私が感じた喜びを噛み締めながら、私、もっともっと、しっかりしなければいけない。
 小峰さん、ありがとうございます。

 
 この小峰力氏のK'sギャラリーでの展覧会は10月12日(土曜日)まで開催されています。
 多くの方々が小峰さんの美しい世界を訪れることでしょう。




 感謝をこめて













 Risa :*)