”詩穂音”の『YES』



 





 詩穂音での画家Painter Kuro氏による「21世紀騎手とvoix du soir〜桜井李早との共有」第2日目、たくさんの人々が鑑賞してくださっているようです。
 そして、この写真をご覧になってください。『YES』がこのように美しく飾られています。
 これは、私の窓辺です。
 窓辺に座り、綴る事が、私を解放した…。
 ですが、それは多く、遅い夜であったり、時には夕暮れの時間でした。
 夕刻が夜になり、その夜が更に深まるにつれ、私の魂は静まるどころか、時に燃えることすらありました。燃焼して、眠りたい。
 しかしながら、私が綴る場面において、そこには、沈黙があります。武満徹氏の著書のタイトルにあるような、『音、沈黙と測りあえるほどに』…そこに…沈黙の中に、私の声が浮かぶのです。
 それは声でありながら、唖のように黙そうとします。
 私は音楽を作る者でもあるのですが、私が文章を書く場合においては、それらは音楽のように奏でられる詩(うた)でありながら、孤独な魂に寄りそう沈黙の声になるのです。
 私は暮れていく一日、一日に、景色を見、確かに、その漆黒の闇に色を想いました。
 光も見ました。
 しかし、それは私の想像の世界が作る光であり、その光とは、いつも、遠い…。
 だから、求めたくなるのでしょう。その想像の世界にある光を。


 しかし、どうでしょう。
 昨日から、私が残した著書は、窓辺に置かれ、そこで、明るい朝の、午後の太陽の光を浴びながら、詩穂音を訪れる人々の声を聴きながら過ごしているのです。
 私の本は、幸せです。

 
 かつて私は、その日々の声たちを、"voix du soir/夕べの声"と名付けたのでした。
 この名は、ギュスターヴ・モロー/Gustave Moreauの描いた作品のタイトルからいただきました。
 が、この声たちは、今、冬が訪れる窓の外の寒さと向かい合いながら、やはり窓辺に在り、微笑んでいるようです。
 Kuroさんの描かれた数々の絵画と対面して、そうして詩穂音を訪れる人たちに出会って、喜んでいるようです。


 絵画も文章も、沈黙にあります。語りかけ、歌いかけますが、それは沈黙です。
 でも、それらの沈黙の中に、音やリズムを感じていただければ有り難い…。
 それは、心臓なのです。
 作家という<物>が心の裡から響かせた、心臓の<音楽>なのです。
 …<物>なんていう言い方をしてごめんなさいね、というのも、私は音楽を作る時には<人間/者>なのですが、文章を書く時は自らを<物>と称しているのです。
 まるで、"物怪"のごとく。




 画家Kuroさん、詩穂音のオーナーであり画家である小峰力さん、あたかも私の部屋をご存知であったかのように、この『YES』を見事に詩穂音の窓辺にお邪魔させてくださったことが不思議なくらいです。
 今回の、<共有>というタイトルのとおり、それは私が何も言わずとも、察してくださったのですね。
 そして、美術家として、表現者である方たちの素晴らしい感性に、私は今、本当に打たれています。

 
 ありがとうございます。




 この展覧会が行われている"詩穂音"は美味しいシフォンケーキとアートを堪能できる素敵なお店です。
 http://www.ootaka-kaorudo.co.jp/cafe/index.html



 Risa Sakurai/桜井李早 :*)