「on the road」KURO個展@京橋K'sギャラリー



  


  




 ギャラリーの扉を開ければ、黒い十字架が私たちを迎えた。この度のPainter Kuro氏は、風化する景色を描く画家、と私なりに称そうか。その意味でまず、氏が綴った詩を以下にご紹介しよう。因に、私はその詩をはばかりながらここに英訳させていただいた。




 僕たちの道は、棘で、切り刻まれて、薄汚れて、
 仕様もない位に臆病で、夢遊し、歩いても歩いても辿り着かない。
 道の果てに、僕たちは苛立ちと欺瞞を覚える。
 若かりし頃は過ぎ、僕たちは相も変わらずの風景に驚く。
 安堵する。
 だって僕たちの路は相も変わらず、棘で、切り刻まれて、薄汚れてて、
 僕は白髪の顎髭を指でさすり、密やかに微笑むんだろう。
 僕たちは、いつだって路の上にいる! 


                 poem by Painter Kuro




 our road is damaged
 by thorns, dusts and dirty rainy days,
 seems to be too fragile, dreamlike, but floating,
 also unreached even though we walk and work
 as though trying to carry on it day after day.


 to the end of the road,
 we will recognize irritation and deceptions.
 unfortunately already younger days has gone,
 and still surprised but sometimes
 calmed by scenery never to be changed.


 because our road is still damaged
 by thorns, dusts and dirty rainy days,
 though smiling while passing my hands over my silver beard secretly,
 although things are going on the road
 anytime as long as living in our life!


                 translation by Risa Sakurai / 桜井李早 



 
 これが、今回Kuro氏が掲げたタイトルである「on the road」の精神だろう。氏のインスピレーションは勿論、ジャック・ケルアックの小説「路上」にあった。この小説への人々の好みはともかく、この作品の持つ性格は、"孤独な若者が辿る自分探しへの路"である。この言い方は大変おおまかだが、これは一種の冒険小説であり、今日的に言えば、第二次世界大戦後の"アメリカン・ロマンス"の姿である。この小説やウィリアム・バロウズアレン・ギンズバーグ、ゲイリー・シュナイダーなどの作品が読まれ、所謂ビートニク・ムーヴメントが1950年代に起こり、やがて1960年代のヒッピー・ムーヴメントへと引き継がれた。引き継がれた理由にはベトナム戦争があるだろう。私はこの作品を確か16歳の頃に読んだ記憶がある。それはベトナム戦が終わった後だったが、あの頃私は、音楽大学受験を志しながら、同様にロックを大変愛していて、目にしたデヴィッド・ボウイーの本のインタビューに、彼が10代の頃この「路上」を読み、影響され、サキソフォンを吹き、ロック・ミュージックに傾倒していった、という記事を読んだことがきっかけだった。当時高校生だった私は、私が夢中になったものが辿ったルーツを知る事は必要事項だった。ボウイーだけではない、ビートル・ジョンも、マッカも太宰もウォーホルも…ベートーヴェンもイタリアの古典の発祥、吟遊詩人…。しかし、酒もドラッグも無い日本の女子高校生の日常の中で、その放浪のシーンを我が物にはし難かった。そんな訳でJ.D.サリンジャーの作品群の方が私には相性が良かった事を思い出す。が、このサリンジャーについても同じように、彼も"アメリカン・ニュー・ロマンス"の小説家であり、そのことをうかがう精神として、1950年代の米国作家たちにおける、東洋の『禅』への心酔を観るからである。欧米でドラッグと禅が結びつけられたのは、この1950年代に始まるが、そのような精神の火付け役として貢献した日本の思想家に鈴木大拙の名を知る人は私の世代や更に上の世代にあるだろう。


 さて、とんでもなくKuro氏の個展の金曜日から離れてしまったな。ごめん、君ならこんな僕を許してくれるだろう? …そうさ、ここからは、今夜の僕は、この度の個展での君流に、ビートで行くか。
 Kuro、君は幾つになったかな? 多分君はもはや青年の年を過ぎただろう。が、君は今も裸足で歩き、君の誇りっぽく、ぬかるんだ道で出会う人たちと取っ組み合いをしながら、君の見る光景を描いているんだろう? 僕は君の頬にニキビがあった頃を知らない。が、君が部屋に引きこもり、こっそり煙草を吸いながら夢見た深い夜を理解する事ができる。君は君の暗い深い夜から脱出するために、君自身の世界を描き始めた。そうさ、若いとな、誰もが解放されたくなる。集団から、社会から、時には家族からだって、逃げたくなるんだな。でもこの国は狭く、規律があったりして、文字通り、起立して背筋を伸ばさなけりゃ、マトモと言ってもらえない。だけどさ、そういう世界だけが、僕らの未来を補償するわけじゃない。モラルという言葉が、僕たちの精神を圧迫することもある。僕はモラリストではないから言うが、君はそういう世界を打破したいと何度も思ったんだろう。そうして、今も君は生きている。君は『Howl』を知っている。君は『月に吠える』を知っているだろうか? 同じだよ。そのふたつは、同じような精神を持つ詩人が描いた言葉たちだ。かつて君は絵描きの道を歩み出した。僕は音楽家の道を歩み出した。そして今も僕らは、「吠えて」いる。餓えている。独りだ。仲間はいる。が、独りだ。そしてその孤独が僕らの快感を襲ってやまない、幾つになっても、やまないんだな。どうだい? 君は、一言、いや、一つの線を、一つの旋律さえ頭に描く事無く、眠れる晩は、あるかい? 僕には、そんな晩はない。恐らく君も同じだろう。ああ、いい話になったな。「線」。僕が君の絵を観る時に感じる「線」は、とても佳い。そこで「線」についての僕の意見を言わせてくれ。「線」それは、命なんだね。命の向かう方向だ。一瞬話を逸らすが、君の姿勢は時々猫背だ。猫背はやめろよ、線が鈍る。が、君が描く「線」は、潔い。君は矢を射るように、忙しい夜に、それを一瞬で描くんだろうな。矢を射る、と僕は言った。それは鈴木大拙が説く弓道のブレない集中にある。君はその時の君の目的に向けて矢を、線を射る。それが絵描きとしての君の他者に無い個性であり、それは君の抱える君の孤独の線の強さだ。線は強くなければいけない。その分、孤独も強くあって然り。ああ、皆、孤独であるなんて認めたくない世の中なんだろうね。だがね、僕は孤独だ。孤独である必要がある。何故か、それは、僕自身がそう在らなければ、闘えないからさ。解るだろう? そうして、その闘っている時間こそが、旅であり、夢であり、美の空間だ。これは、僕の理想だが、美は自己との闘いの渦中にこそ生まれる。結果、それは骸骨のように無駄が無く、しかも、本質を象るのだろう。そうして欲張りな芸術家は、その骸骨に肉付けする喜びを更に持とうとする。僕がその張本人だ。だが、君はもっと無駄無く生きる事ができる芸術家かもしれない。上に君が綴った詩/言葉には、無駄がない。だが、僕があえて翻訳させてもらったものは、より装飾的だ、すまない。僕はもっとそれを削ぎ落とすべきだ。そして、もっと確実にそれをやるべきだった。反省すべきは、僕が君の意思を外国の言葉で汲もうとすればする程、シラブルが増えそうになる。それを留まるのは僕には難しかった。麗しき日本語とは、多くのニュアンスを持ちかつ、複雑でありながら、その裡に多くの意味を持つ。どうだい、素晴らしいじゃないか日本語は。他の言語だと説明的にしなければいけないはずの思惑を、より短いセンテンスで綴り通すことができる。代表される俳句のように。僕らはタイトに生きる術を知っている。それは僕らは<主調>の価値を知っているという事なんだよ。君の描く線と、君の描き通すヴィジョンもそのような土台に成り立っているんだろう? その<主調>とは、或は、<土台>とは、僕らの<象徴>さ。
 僕らは<象徴>を表すために、描く。
 そして、それが、僕ら表現者の『路』なんだろう。




 黒い十字架を指し彼は言った、「これは、死です」。
 死に迎えられた私はこのギャラリーの扉の向こうに墨とその他の材料による風化した路を見た。
 彼、Kuro氏の2014年3月の表現は、流れるドライヴというより、ひとつひとつの点描という名が相応しく、それは過去ではなく、彼のイメージする未知が、あたかも死から始まるように仕組まれていた。
 そうよ、芸術家は常に死を想いながら(憶いながら)作品を描くのよ。
 …これが自分の最期かもしれない、と時に覚悟しつつ死神をおぼろに、或は、悪霊に魂を売りつつ表すのよ…面白いじゃない、そのような挑戦は…。


 それは孤独な魂が、大地=路上に持つことができる、最大限の生きるための武器でもある。
 そこに浮かび上がる促進力は、彼方(かなた)に向かう。
 何故なら、私たちは、まだまだ未熟だと、まだまだ足りないと、いつも感じながら生きる孤独な魂だからである。
 それは、私だけでなく、どなたも…この世を生きる全ての人々が感じる隙間であり、狭間であり、満たされ難い空間を担う現世において、耐え難い試練であるとともに、願う価値のある困難の『路』である。
 私は少し長く生きてきて、漸く『路』をたぐることも可能だと感じ始めた。
 それはあまり早くはない、が、遅くもないだろう。
 現実に21世紀の日本の現状を想えば尚更だ。特に2011年3月の東日本大震災後、私たち日本人は、『路』について、生半可でなく考える必要がある。
 そのことを胸に、私は今、もはや若くはない私の精神を持って、改めて姿勢を正したい。


 Kuroさん、佳い作品群をありがとう。
 あなたは一見、底抜けに明るく明瞭に誰にでも応対するが、その奥には、あなたの部屋で起る、あなた自身とのグロテスクな闘いを毎夜、行っているのでしょう。
 絵画は化学に似ている。画家が使う手法について、私はたいした知識はないが、絵画というものは見ていて匂う。そこに、色があるだけに、発生した不可思議な物質を嗅ぐわけである。
 そして音楽は建築や数学に似ている。そこに音があると共に、組み立てられ精確な立証が行われる反面、聴くものは色と景色を連想し、それは佳き耳を持つものにとっては、更にトリッキーな体験へと変貌する。
 トリッキーという意味では、文章(文学/詩作)も同様である。
 ステファヌ・マラルメはかつてこう言った。
「詩には謎がなければならない。詩を読む喜びとは、謎を解く事だ」。
 オスカー・ワイルドはこのように言った。
「象徴を読み取ろうとうする者は、危険を覚悟すべきである」


 どの分野に置いても、芸術(この言葉を好んで使いたくはないのだがあえて…)は、錬金術の路を辿るような果てしのない仕業だろう。



 
 個人的に、ビートニクについては思う事多々である今日だが、今宵はKuro氏の個展への感謝を我流に綴らせていただいた。
 この流れは、6月14日の『仮構線プロジェクト』に向かう。

 

 
 追記:
 この晩は『孤鄰亭』に向かうことは叶わなかったが、K'sギャラリーのオーナー、増田さんのご案内にて、美味しい夜を過ごさせていただいた。
 写真はKaori Elie Ohmiさんの撮影してくださったものをいただき、アップさせていただいた。

 


 長文にお赦し願いながら




 Risa Sakurai / 桜井李早