7月1日、集団的自衛権への怒り - 或る人への手紙 - ありがとう



デモに行かれたのですね。私が書いた、デモは嫌いです、という言葉は、私がデモに反対していたり無用と考えている意味ではありません。そのようなものがない世の中を望むという願いです。何もしないわけでもありません。実に去る6/14に吉祥寺で私とPainter Kuroさんが行ったライヴは、或る意味、私たちがそれでもアーティストであるという立場から行った時代への抗議に似た企画でした。『仮構線』というタイトルをつけましたが、その読み方や意味さえ理解し辛いという意見もありましたが、それがあのイベントの意図でもあり、集ってくださった100人ものオーディエンスの方々の中には例えば、「資本主義に逆行して表現している人たちがいる」などという感想を持ってくださった方もあったようです。そのように感じてくださった方があったことを知り、私は行動して良かった、と心から思いました。そのライヴは音楽ファンの方々だけが観に来てくださったのとも異なりました。それはスタッフの方々のお力添えもあります。そういうスタッフの方々と手作りで、足で、心(heart)で編み上げたイベントでした。ゲストで参加してくださったカルメン・マキさんなど、常に時代をじっと見据えながら表現してこられました。その表現の強さ、個人の在り方、自覚、反骨、平和への願い...私は片隅の表現者ではありますが、それでも、気持ちを強く持ち、ステージに立ちました。それが私に今、日本で、東京で、出来うるアクションであると思い、やらせていただきました。私には子供はおりません。子供がいない女、人間には、我が子が戦争に行く事になるかもしれない過酷さを理解できないと思われるかもしれませんが、そうではありません。命の大切さは身内以外の人たちにも感じます。恐ろしい事は、憎しみであり、その憎しみを感じる必要のない者に向かって、あえて人間が武器を持って権力の支配下で殺し合わなければいけないという理不尽です。野蛮です。私は怒っています。特に311以降。人たちの中には私が余所の国に行ったりしながらヘラヘラと笑っているようにしか見えないかもしれない事は十分承知の助です。が、余所の国において、そこで伝えられている事を見ても、ニュースという意味ではこの国と変わらない部分もあります、つまりそれは、必ずしも正確な事がその国の民に知らされているとは限らないという事です。案配よく、スキャンダラスな事を報道しながら、肝腎な事柄がコントロールされている。そしてその国の民人には、自分たちの国家が他国より優れている、或は進歩しているように思えるような様子を必ず盛り込みながらも、時に自国に対する批判も少なからず意見する。どこも似たり寄ったりです、が、これは先進国を自負した国々の事を、私は申し上げておりますので、至らない点はお許しください。世界が日本を見ている、でしょう。しかし、日本もひとつの世界の国と考えると、私たちは日本の政治のみならず、他国が動く在り方にさえも厳しくあり、また今、この日本という国の在り方に嘆くと同時に、日本と同様に、他国にも、子供たちを、若い人たちを戦場に送り出す事がまかり通っている事に反対しなければなりません。あの法案が7月1日に通ってしまいましたが、私たちは、それでも、反対して行けます。行かなければなりません。そして国益を、または、人種的な差別問題をかかえながら、武器を売買したり利権支配を志す歴史の根拠を、これまで以上、考え、それを阻止する時となっていると私は感じます。


 私の怒りとは、文章として立てた時、伝わりにくいかもしれません。
 が、私は評論家ではありません。
 私は私のやり方で、表現という手段とこれからも向かい合いたいと思っています。


 拝


 Risa Sakurai / 桜井李早