十月二十日が来る度に



 今日、それは私というささやかな者にとって三十年という年月を迎える或るひとつの記念日なのである。記念日という名付け方を好む事ができない私は仕方なく、だから、おはよう、と言う前に...

「あなたが何日ずっとどんな仕事があるかは了解してきました。が、どうかせめてあなたの時間の帯を私にお知らせください。あなたにスケジュールがあるように、私にもそれはあるのです。宅での食事が必要なのかどうか、食事をして出かけるのか、それとも帰宅後なのか。私はこの事を気遣いながら今年で三十年になります。私は笑われているかもしれませんね。でも、そんな事は私にとって、関係ない。それでいいのです、ですが私は案外気配りをしている事もあるのです、あなたがどんなに、私という人間が人の話を聞かない、と言おうとも、私はあなたの言った事、した事、を憶えています。三十年、それはまだ短くもあり、しかし私はその三十年前に着ていた服を、未だ持っております。あの薔薇模様の.....」


 ***


 そして二十八年前の今頃、心は鬱になりながらも薄笑いを浮かべ、毎日、日比谷に通勤した日々。今朝の空気はその頃を憶い出させる。朝ドラなど観ている時間はない。じっと箱詰めの林檎のように、或は軍隊のように地下鉄の駅を通過し、おっとりと上品に取り澄ました日比谷界隈の朝に立った私であった。
 それは私が子供時代から送ってきた音楽と共にある生活とはまるで異なる社会であり、私にはそこで働く人々の暮らしと、私が二重生活のように秘めて暮らしている営みとの違いに、戸惑いながらの日々だった。私はあの頃、会話というものが不愉快でたまらなかった。
 確かに、私は話すべき人たち以外と話さずともよかった。というのも、私は当時、午前4時に起き、創作し、洗濯をし、自分のための小さなお弁当を作り、出勤していた。お昼も一人で日比谷公園で過ごした。ベンチに座り、薔薇園を歩く、雨の日も風の日も。


 すると人々は「彼女は日比谷図書館に恋人がいる」と勝手に詮索した。

 
 私は世間とは、そんなものなのだと、思った。


 若き学生時代の半ばに始まり、私は今も、あなたと共に、在る。


 そうして昨日、私はバーゲンで季節外れの夏服を一着購入した。
「夏のドレスを買ったのだから、来年の夏まで生きていなくてはね」
 と、言う私に、あなたは、
「あなたが死んでしまったら、このドレスを見てどれだけ泣くだろう」
 と言った。


 ありがとう。
 私たち、生きてなくてはね。



  
  




 桜井李早