10月26日、六本木Aubadeにて - 福岡史朗レコ発ライヴ -
夕刻、六本木の街を歩けばそこにはハロウィーンの集会に参加したたくさんのゴーストたちに遭遇した。ここが六本木であると思えば、つまりそれはこの街は東京において観光目当てだけでない外国人がいるという意味で、違和感をももはや持とうとは思わないが、必ずしもクリスチャンとは限らないだろう日本人が、子供も含め仮装し、南瓜の風船がフワフワ浮いている様子は縁日を思わせる。が、日本の縁日と異なるのは、六本木の通りの交通量と幅、そして仮装している人々がはるばるとは言わないが別の場所からここを訪れているという事だろう。何故なら、地下鉄の駅では「左側に一列になってください」と、エスカレーター脇でアナウンスがあるのだ、普段、このようなアナウンスは特には無い。
前置きが長くなったが、これは私の2014年の10月26日の記録であるので、「お前、自分を解ってもらいと思って書いているだろう」などという野暮はやめてくれよな。
さて、福岡史朗氏の新譜『ロードスター』の発売記念ライヴである。もう、幾つ寝ると、と待ち遠しくこの日を待った。バンドはレコーディング・メンバーとは異なる奏者たちもあるが、それは珠玉のメンバーでもある。私に舞い降りたゴーストたちは極上の音楽を贈り物としてランタンの灯りをスパークするようにして立ちはだかった。
コンサートは史朗さんと松平賢一氏のふたりの演奏に始まり、その後、休憩もなく、ギター&アコーディオン&コーラスなどのハバナムーンの店主=木下聡之氏、ドラムのつの犬さん、ベースにロンサムストリングスのギタリスト=桜井芳樹が登場し、『ロードスター』の全編をかっ飛ばす。ここで楽曲解説など、私はしない。福岡史朗という人の音楽を知る人も知らぬ人も、このアルバムを買って、聴いてみれば、それでいい。私の言葉には嘘はない。楽曲全て、歌詞全て、そしてこの晩のメンバー全員の出す音と姿勢の魅力にシビレた。客も全て、いい。良い音楽には、佳い客が集うというものだ。
せめてふざけた事を言わせてもらうなら、まっちゃん(松平君)と木下君のおふたりがステージ上で時に<寄って>みてくれたりしたらいいなぁ、なんて思ったり。
そして茶系のスーツで現れた普段はギタリストの桜井氏のベースは素敵だった。何分、ギタリストの弾くベースなのであるが、しかし、この人はロックを知りつくしている。つの犬さんとの相性が素晴らしく、「そこの右側にいる人たち、何よ、そのファンクぶりは!」と、申したくなるボトムのアイデアあった。
存分に、と反芻したくなる程に惚れ直す、とは、幾つになっても、善いものだ、そうやって人は"折々の…"自らを確かめる事があるからな(笑)。
凄く心動かされ私の人生の中で稀な程感慨深い晩だった。
私はロードスターとキメたのだ。時々慎重に欠け、浅はかなれど、余計なものは風と共に去り、景色ごとドライヴする。道の駅で一服する。解ったつもりでいても、いつも未知の駅に降りたつ気持ちになる。その時こそ、個が開け、辛抱強くなれる。願うが失礼もし、反省し、実は惨めでもそれが自分ですかから…
時が過ぎ、それは28日の早朝の事である。
朝の空気の中で、私は今、死んだらどんなに幸せだろう、とまた感じた。
それは居間で、だが、ヴァージニア・ウルフのように飛び降りたくなる程であり、飛び降りるくらいでは死なないと勇気づけられ、洗濯し、二階のベランダから見上げた青い空である。
「下を見るなよ」
これはイヴリン・ウォーの小説の中に出てくる、これだけ読めば一見、何と言う事もない科白だが、この「下を見るなよ」という言葉が、空にとても近い場所で話されるシーンは印象的なのだ。
言葉も、音楽も、よく読み、聴いた者でなければ気づかないサインがある。
それこそ、ゴーストの落とし物なのだ。
それは、精神(Soul)と繋がる事だ。
精神とは、どんなものにも宿り、気をつけてみようとしない者には決して見えない物なのだ。
私は、そのように、精神の働きかけに細やかな表現者たちに救われ、学ばされ、自分もそれを少しは試してきたつもりである。
史朗さん…26日の私のゴーストたちへ…
感謝をこめて!
ライヴの写真たちは粋なお友達の方からいただき、アップさせていただきました。
ありがとうございます。
追記:
史朗さんはこの晩と同じメンバーで再び近いうちにライヴを行われるそうです。
とても、楽しみです。
桜井李早 / Risa Sakurai