払沢の滝へ、そして - 滝噺あれこれ -








 10月30日は、東京は西の奥、桧原村の払沢の滝へ。その前の週から目にアレルギーがあり、赤く腫れたりかゆみがあったり、また微熱の日々がつづいていて沈みがちだった私だったのだが、ドライヴしようと言われるとゲンキンなもので、ふわっと気分が華やぐ。
 青梅街道を16号まで下り、そこから五日市街道に入る。途中、武蔵五日市のあたりでお肉屋さんを見つけ、コロッケなどほうばりながら、ちょっとした旅である。その後、車は秋川渓谷に沿って上って行く。
 檜原界隈には、『都民の森』というブナの繁った森があり、そこはハイキングコースもあるが、この日は滝のみを目指した。以前、そのブナの森を歩いたのは20年以上前になるだろうか。その時も季節は秋で、私は薄いグレーがかったシャツとコットンパンツを履いていた事を憶えている。
 払沢の滝の入り口の車を停め、そこからおよそ15分くらい歩いていくと、高さ26メートルの滝がある。案内には10分とあるようだが、足の痛い人のためにゆっくり歩いた。そういう私も、この滝を何度か訪れているくせに、ハイキングには相応しくないブーツを履いているものゆえ、滝壺近くの岩が剥き出しになっているあたりを歩くには不自由極まりないのだが、それでも、勢いよく流れ落ちる水を眺め、良い<気>が漂う場所にしばし居ると、心も身体も文字通り洗われる気分になる。深呼吸をし、自分の肺がいかにも小さいような気がして、もっと大きくならなければ、などと思いながらも、それほど深そうに見えない滝壺に飛び込んでみたくなる。私は水を見ると、"入ってみたく"なる性質らしい。


 話しは変わるが、10数年前、東北を旅した際、奥入瀬川沿いを歩いた時にはちょっと異なった。季節は夏の終わりで、そこを歩いたのはまだ陽の高い時刻なのだが、うっそうとした濃い緑とうねるような奥入瀬渓谷の水の量に恐れを感じたとでも言おうか…「ここは自殺をするのに格好の場所だとも言われている」などという、父の悪戯な言葉のせいか、それとも、歩いていたら自分の脇に突然、牙を剥いたように現れた真っ白な水の力だろうか、それは言ってみれば渓流の流れに出来た低い滝のようなものなのだが、その流れの強さに私はびっくりし、怯えた。「…確かに、これでは流されてしまう…」と思った。水に"入ってみたく"なる私ではあるが、ここにはまったら、まさにオンディーヌ…精霊となり、夜な夜な、水底から細き腕を出し、誰かをひきつれようと企むかもしれない…あな、おそろしや…何故か、この奥入瀬には、何か、女の霊の匂いがした。


 だが、吹割りの滝を訪れた時はその比ではなかった。この滝は何層にもなる豪快な滝たちが争うように水をうねらせながら流れている様で有名だが、その豪快な水の力だけでなく、滝の周囲の岩肌が何とも巨大な人間の顔のようで、また恐ろしい。その時は9月の終わりの頃で、台風の去った後だったため、水かさも増していただろう、水辺に立ちながら、「どうか、誰も後ろから押さないで…」と思いながらも恐いもの見たさの子供のように足を震わせて佇んだものであった。あの吹割りの滝に、夜、訪れたなら、私は確実にさらわれるだろう。もう、この世に戻る事など、出来ないだろう…そんな気がした。それは男性的な力だった。キッと牙をむき出すのではなく、覆いかぶされ、八つ裂きにされるような、粉々にされるような水の力である。が、この吹割りの滝の入り口には土産物屋さんがあり、その店構えたるや、数十年、何ら変わりなく商いをしているようにみえるのだが、それというのも、それが10年前の事であっても、「一体、誰がこのような品物を今時買うのだろう?」と思われるような品々を店先に並べ、店主は何のためらいもなく、商いを愉しんでいるように見えるのである。今風に言えば、「昭和だ」と、言って、喜ぶような懐かしむようなコメントがありそうな、それは土産物屋なのだが、店主にとっては昭和も平成もただ時間が流れているだけで、自分はこの吹割りの滝に最も近い場所に店を構えて暮らしているという誇りがあるように感じられ、私には、人間の営みとは、そういうものなのだろう、と、教えられたような気がした。


 豪快な滝といえば、日光の華厳の滝を最初に見たのは幼い少女時代の事だった。その後、ユリ・ゲラーのスプーン曲げの超能力ブームとやらと同じく進行するように、日本で心霊写真ブームが興ったが、当時小学生だった私は、華厳の滝における心霊写真の数々をドキドキしながら眺めながら、「死んだ人の魂がこんなにたくさんの生きた人間たちが居る昼間をウロウロするかしら? 踏みつけられそうじゃない、ね? 怪談を読んでも、物語のそれは夜…亡くなった人の魂は、ひっそりした場所や時刻にこそ、現れるのではないかしら…そう思った方が、厳かだし、ミステリアスじゃない…」…心霊写真の中には昼間に観光で訪れた人々の足元や肩、そして滝の流れに模様のように示されたものであり、それらはほとんど明るい時刻に撮影されたものだったのである。私は興味を持ってそれらの写真を見たが、明らかに人間の顔をしている霊という有様に、子供心に偽りを感じた。その意味として、あからさまにありすぎると、恐さもなくなる。本物の恐怖とは、目に見えないものだからと、これは私の第六感のようなものが伝える術だったのかもしれない。


 払沢の滝を訪れた事で、滝噺を長々としてしまったが、私が世界で最も好きな滝は、軽井沢の白糸の滝である。ここは何度も訪れた滝故、長年の思い出も込められての事だが、この白糸の滝は湧き水により、何列もの水が絶え間なく、ひとつひとつは細い線ではあるが、弧を描きたがるように流れ落ち、夏に訪れればその水蒸気の群れに慰められ、そこは涼しい軽井沢の土地ではあっても、集う人々の輪を作るように優しく流れる。あれは、沖縄が返還された後の夏だったが、沖縄から来た親族を連れ、家族で軽井沢に行き、この白糸の滝を訪れた際、私は虫に刺された。「痛い!」と、言った私に、父が、「ブヨに刺されたね」と言った。蚊や蜂に刺される事は知っていても、その時、ブヨ(ブユとも呼ばれる)という名を初めて知った。腕を刺されて少し腫れたが、幸いたいしたこともなかったし、気にもとめず、いつの間にか、治っていた。


 自然が作ったものは、人間の手がおう必要は、ないのである。




 "ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは"


   ~ 在原業平朝臣  




 また、明日。




 桜井李早