- 平和と愛という言葉がそんなに悪いかね -
Aは何故それをしたのか、Bは何故そうしたのか、Cは何故AとBとを関係させるのか。そしてDの企み。世界には、恋人たちならば出かけないような悲劇の場所がある。何割かの人々にとってそれが野外劇の如く在り得るのはいつまでだろう。まさに禁じられた遊びである。その庭を作ってきたのは誰か。
ところで"平和と愛"という言葉を揶揄するような文句を私は最近いただいた事があったのだが、それの何が悪い?
少なくとも(それは遠い昔の事ではあるが)私のように親族を殺人によって失った経験があったり、その事で親族が報道陣により悩まされた事を知る者であればその言葉は命の重さと同様に身近なのだ。
それを言った人はどうやら私の文章の意味を場当たり的に解釈したのだろうが。
それはともかくこの国には、より国語を習得する技量が必要だろう。
よくある、英語を利用した妙な言葉使い、IT用語の在り方も含め、日本人であると実感しているならまず母国語できちんと自分の心を述べる術を大切にしてほしい。
これは首相にも求める事だが。
おい、そこの、あなた、聞いているかい?
で、屑篭はどこだね?
しかし人々の念うその美しい庭には、屑篭ひとつ、無いのである。
そこには毎日のように、不法侵入者も訪れるのだが、誰も何も、捨ててはいかないのだ。
それが、"平和と愛"の庭なのだ。
pic: "How I Won the War" …この映画を最初に観たのは14歳くらいだっただろうか…惨めな映画であるが、私はこの映画では、LennonよりMichael Crawfordが好きだった。
殺人の理由には、利益、恐れ、そして、愛情…その他にも精神疾患などあるが、洗脳についてはそこに理不尽さが伴う場合があるだけに、暗澹としていると思う。
桜井李早