カルメン・マキ45周年ライヴ@ザムザ阿佐ヶ谷








 2月8日、ザムザ阿佐ヶ谷でのカルメン・マキさんの45周年記念ライヴを拝見した。
 ミュージシャンたちは様々な活動歴をお持ちの魅力的な方々(敬称を略させていただきます)、太田恵資(Vn)、桜井芳樹(Gt)、佐藤正治(Dr,Per)、清水一登(Pf,etc)、西嶋徹(Ba)、ゲストに春日博文(Gt)、Dr.kyOn(Key, etc)。


 その晩の会場は、カルメン・マキさんの居間–––いつものマキさんのステージのように紅い薔薇が一輪、置かれているが–––それは今の、マキさんの寛いだ居間であった。マキさんは、ゆっくりと、オーディエンスの皆さんに音楽を聴いてほしいと願っていらしたのだろう。というのも、ライヴとは、ステージに立つ側が一方的な世界を差し出す行為ではなく、その場に集う全ての人々との共有によって成り立つはずのものだからである。
 人たちはよく、音楽をBGM(Back Ground Music)として作業をされたりするだろう。私は(これでも自分が音楽に携わっている故に思う事であるが)、それを決して否定はしない者であるが、音楽とは人の話す言葉と同じように伝わる事に手間はとらず、視覚のごとく空間的であり、だがその一瞬いっしゅんの時間というものとの接触が実に複雑な表現方法のひとつの分野なのである。だから音楽家は、それをする時に、同時に複数の種類の作業/表現をする行為にあまり興味を持たないかもしれない…それは、音楽家自身が、まず、音に集中する必要があるからなのですね。そして演奏する立場において、テンポ、リズムという時間の縦の軸を的確に察知する…つまり音楽とは、時間芸術でありながら空間芸術でもあるわけだ。その空間を共にした人々は、皆、思いおもいの想像を働かせ、音楽を聴きながら、心の裡の光景を描く。
 私はそのような力が、音楽が与える他と異なる独特な要素であると思っている。だからといって、じっとしている必要もないが、私が好ましくないと感じるのは、音楽に雰囲気を求めて、それを利用しようとする姿勢だ。
 ええ、音楽とは、それを行う人の辿った時に修行のような暗澹たる時間の旅、或は、生まれ育ち生活する中から生じる喜びや悲しみ、苦悩…というような実際から表されるが、それが完成する瞬間には、その時間軸が一気に飛ぶ。舞い上がる。あたかも向こう側とこちら側の距離が無くなるように。


 ステージに登場したマキさんは、『時には母のない子のように』を最初に歌った。この曲をリアルタイムで聴いていた私は当時、「何て悲しい歌だろう…」と幼心に思い、「私には母があってよかった…」と思ったものだったが、しかし、少女はそこで教えられる–––いつかは誰もが母のない子になる時が来る–––と。それでも人は生きていかなければならず、その恐れが、『時には母のない子のように』という歌を呼び、ひとりぼっちで海を眺めようとさせ、その立場は、あくまで、"時には"という言葉にあるように、詩の裡では想像の域ではあっても実際に在る世界でもある–––。実に私の父は産みの母を8歳の時に亡くしていたので、この歌を聴く時にはしっとりとした目をしていた。父は彼の"たらちめ"を想ったのであろう。
 それは第二次大戦が終わって25年程が経った頃だった。
 思えば、あの頃は、日本には、風土という質が、あえて残そうと努力せずともまだまだ残されている時代であったと記憶するが、この国の進歩の策として、その風土を霞ませようとし始めた時代でもあったかもしれない。一方で、日本の人々が好んだ歌の中には、土地の名をタイトルに含める楽曲も多々あったが、反面、どこかエキゾティックであり無国籍ともいえる華やぎ、深夜の街に咲くような印象、といおうか…それらは敗戦国日本が急速に復興し戦勝国の仲間入りをする現のようであった。
 そんな60年代から70年代、豪華な衣装で歌う日本の女性歌手たちの中に在って、マキさんがジーンズ姿で歌う事はアンチとして私に映り、それは一人の闘う若い女性の姿勢の自然な様として素敵だった。
 そうして、2015年2月のカルメン・マキさんの存在は、ここに、在り!


 そう、自然。


 しかし、物事は変化する。
 世界の方は、動いていて、変化はするが、堂々巡りをする。
 変わらないのは自然の摂理であるが、その自然とは、人間の力に及ぶ相手ではない。
 だが人間は、ここに生きて、彼/彼女を取り囲むより大きな世界よりも敏捷に、物事の移行を察知する事はできる。
 私がほんの小さな子供であったにもかかわらず、マキさんが歌った歌の言葉に動かされたように、そうして、その後、どのような路を日本が歩んだかということは今や明かされている。


 それでも、人は、忘れる…ああ、私はヒトとは忘れる生き物だと信じたくないが… 


 ここに誰もいなくなれば、やがてここは消えてしまうのだろう。自然がそれを継承しようとも、自然は自ら管理しようと働くものではない。自由に生きるだけだ。全てを自然のままに保つ事は、それを管理する事よりずっと難しい。人間の愛とは、そのような事にこそ知恵として自然に働きかけようとするのではないだろうか。
 また、遺す事とは、そこに平和な時があったと伝えるために、人間が表そうとした真実ではないだろうか。


 このようにして音楽を愉しんでいられるのは、いつまでだろう…


 素晴らしい音楽を堪能したはずなのだが、そんな事を、ヒョイと思った2月の夜であった。
 が、マキさんの45年を想うと、そのような不安はかき消されるべきであろう。
 また、このような記事を表すのであれば、もっと2月8日の楽曲紹介や演奏の様子についてなどお話しなければ成りが立たないのかもしれないが、そのあたりは私などが書かずとも、あの晩、マキさんの45周年を祝福するライヴを鑑賞された方々は十分、各々の感動をお持ちのはずであろう。僭越ながら、私の音楽への関心と接触の在り方、聴き方、感じ方、表し方とはこのようなものにあり、人と異なっているように思われても致し方ない事はすでに、自ら承知している。
 個人的に、私としてはその晩に演奏された『ペルソナ』を聴きながら、気を失いそうになった。この曲は私が度肝を抜かされるほどの美曲であるが、恐らく、後にも先にも、このように麗しい『ペルソナ』をマキさんの歌で聴く事ができる日が将来、くるのかどうか、疑問とさえ思った。
『リリー・ワズ・ゴーン・ウィズ・ウィンドウ・ペーン』では、今、白痴になる事は極みだと思った。私はロックがそれほど好きなのである。


 私たちは私たち個人の庭をよく耕す事で、恵みに合う。
 少し前に、どこかに書いたかもしれない言葉だが、今日も記しておこう。


 「何時の世、何処の空の下においても、そこに暮らす個人個人の日々の生活が、命の連なりが、世の中を作り上げてきた」


 この世界を作ってきたのは、自然と共に生きる全てものたちよ。
 神、という言葉は、人間が作ったものでしょう。
 そして言葉とは、人間が、世界に存在するものにたいして<名>を与える役割を発端として進化した。


 「自己は客観世界の反影である」~西田幾多郎 


 私は、マキさんが寺山修司氏の詩を朗読するされている時間に、この西田幾多郎の言葉を連想した。


 マキさん、本当に、お疲れさまでした!
 ミュージシャンの皆様、素晴らしい演奏を、ありがとうございました。














 桜井李早 / Risa Sakurai




 追伸:
 pic1: カルメン・マキさんと<アングラSIDE>の出演ミュージシャンたち。
 pic2: 二次会ともいえる阿佐ヶ谷soul玉tokyoでのギタリスト春日博文氏と桜井芳樹氏の気紛れデュオ、最高でした。
 pic3: 真夜中過ぎ、"くつろいだ"マキさんと私、「夢のまた夢…」状態です… :*)