ロ短調ミサに捧ぐ



 午後、車を少し走らせればスピーカーからBach、"h-moll Messe/ロ短調ミサ"が流れ出した。この壮大な作品の合唱を歌ったのは大学時代、NHK交響楽団の演奏と共にだったが、あれはオットマール・スウィトナーによる指揮だったかウォルフガング・サヴァリッシュだったかふと考えた。

 いや、ウォルフガング・サヴァリッシュの指揮のもと歌ったのは"第九"だったと思うが、とにかく、この"ロ短調ミサ"が好きだ。思えばラテン語を歌う佳い機会であり気持ちが空へ向く、特に"Sanctus"では翼を得た心地になったものだった。
 バッハはこの作品を25年の歳月をかけて作った。


 若いとは案外なもので二十歳頃にしてサヴァリッシュスウィトナーのような指揮者とリハをし本番を迎えるのだが、私たち学生は平然とそれをしていた。大学の声楽科に在籍していれば当然と思っていたのだ。それ位のレッスンをしていると自覚していたとも言えるが何故かすぐに言葉も旋律も入ってくる。


 だから私は若い人の行動力や実行力、陽気さや、時に大人が眉をひそめるような能天気さが今も好きだ。私たち学生はそれらのコンサートのためのリハで偉大な指揮者サヴァリッシュがボソボソと注文をつける様やスウィトナーの割と速い判断など、若僧ながら観察していた。そこで、学んでいたのだ。


 音楽大学は一般教養の数々の授業も数々あり、語学(私の学校の声楽学科の場合は第一外国語がドイツ語、更に第二外国語も取得しなければならない)は勿論、音楽史や理論のみならず音声生理学、教職を選べば心理学や心理や実習もあり、演奏だけしていれば卒業できるわけではない。


 文系がソデにされていると言われる昨今だがでは芸術系など、この日本にとって何にあたるのだ? 実に音楽もそうだが美術も技術系専門の族は"椅子に腰掛けて"勉強したり仕事をするように仕込まれていないのだ。スッキリしたオフィスというより芸/技術家の現場とは肉体勝負、動きだ。


 こちらが作用する、例えば歌うとしよう、その肉体から発散されるエネルギーはPCの熱よりも熱いのだ。それが人間の力だ。気温36℃、人の体温がそれと同等である場合しかし、皆が謳えばその環境温度は高まり例えば今年の若い人々の訴える勢いは、そのような熱伝導の顕れだ。大事にしたいと思った。




 転がる小さな顔、石にもなれず、それが私だな。


 椅子に座り、書いてはいるが。




 https://www.youtube.com/watch?v=V0a6IrSmRqg 




 李早