夕空
12月1日、午後、出かけた先から見た夕空。
少しの時が過ぎる間に、それは表情を変える。
私は先週と違う気持ちで今週を生きている。
一分、一秒さえ、同じ顔を持たない空の下。
ところで、ずっと私の住居の照明は全て白熱灯とキャンドルなのだ。
それが許されなくなったらさぞや私の人生も生き辛くなるだろう。
私は建築士やデザイナー、ハウス農業を営む者ではなくただ自らの好む"灯り"のもとに暮らしたいだけだが、蛍光灯も禁じられたら困惑する人も多かろう。
縄は要らんよ政府。
その、"灯り"の下でないと、成り立たないとされる仕事もあるのだ。
長く日本政府の下(元)となる暗い"灯り"があるだろうが、今やそのような体制のもとでは暮らしていけないと考える人がどれほどか。
国政は民に"灯り"を与えることによって民も応える。
それを見誤ったら、灯火さえ、消えるだろう。
歌を作る時、少女の頃から白熱灯の灯りの下でそれはされつづけてきた。
夜に文章を綴る時、それも音楽をする時同様、私は白熱灯の明りに温められて創作してきた。
それらは"利益"を得るためばかりの作業ではなく恐らく、私の"愛する行為"として今に至る。
それが日本政府と私個人の違いなのだ。
桜井李早