一年の計/刑は元旦にあり?
元日の朝はお雑煮でお餅をひとつ、砂糖醤油で海苔を巻いてもうひとつ。
午後はここ数年訪れるいつもの神社へ初詣。 家族の健康と世界平和をお祈りした。
帰宅して晩餐はビールをいただきながら、チキンと蕪、人参、馬鈴薯、ブロッコリーのクリームシチューを煮込む静かな夕べだったのだが、未明より発熱し初夢さえみていない。
そのようなわけで今年も寝正月となってしまった。
そういえば昨年のお正月は、年末にいただいた感冒のため初詣にも行けなかった。
それで今年の元日は佳いな、と気を緩めていると、こういうことになる。
私は悉く、気を緩めてはいけないと神様に指差されている者なのだろう。
少女の頃、年末や年始にスキーに出かけている時以外はほぼ家にてブラブラしていた私だった。羽子板をしたくとも、弟は小さすぎて相手にならず、近所の同級に近い子供たちは何故か男子が多く、乙女の夢など太陽系の外ときている。
すると元日の朝、母が「ピアノ、弾かないの? 一年の計は元旦にあり、っていうでしょ」と、脅しをかけてくるわけだ。
元旦の日には親族も集まり大人はお酒をのんだり食べたりしているので、自分も「ええじゃないか」ということにして小生意気な私は大人の話に参加して、当時はお酒も煙草も嗜めないが、それらの香りを吸いながら一族の"破落戸/ゴロツキ"となるべく切磋琢磨していたわけだが、母の一言は"蜂の一刺し"となり私に襲いかかってくるので、"ハチのムサシは死んだのさ"と歌う気分(いや、歌ってなどいない)でピアノを弾いた。
弾けば気持ちがスーッとする。
それは1時間でもいいのだ、自分の役割を絶やさない、という意識を確かめるだけで、いい。
それ以来、私は駄目な者として生きてはいても、"一年の計は元旦にあり"という事実かどうか解らない毛利の言い伝えを頭の片隅に置いて生きては、いる。
そうしてもはや50年を過ぎて生きつづけているわけだが、依然として私の"一年の計"はあやふやで、それはむしろ、"一年の刑"とさえなりつつあるのかもしれない。
人生は難しく考える必要はないとはいえ、むず痒く、生まれるはずのものがひっくり返ったり、逆に甦ったりするのだが、熱が出て例え悪夢だったとしても、夢さえみることのない"一日"より、健康に在り平気で"悪夢"をみて、それをすぐに忘れるような生き方が私の理想だ。
そんなことを思いきや、2日の晩の夢にビートルズが現われた。
それは50年前の彼らの姿、"Help"の頃で夢の中、彼らは私の生家を訪問し、こんな具合に庭で寛いでいる。
ここにあげさせていただいたのは、Bob Gomel による'60年代半ばのビートルズの写真。
私はジョンとよく話しているという幸せな初夢。
迎春
桜井李早