- 能『松風』を思いながら -



 人間が、少し道草するくらいの魂胆をもって生きることはかわいげがある。が、あわよくばと狙いながらもいかにも行き当たりばったりのようなふりをして自分をかわいがるのは始末がわるい気がする。
 何故なら後者は他者の心を踏みにじる場合があるからだろう。


 などと言いながら、わたし個人は近頃、とても充実している、と今、明らかに書いておくのだ。
 何故ならわたしは緩やかな疲労を感じているからだ。
「ああ、疲れた」と日々をふりかえり、温々とベッドに横たわる時、わたしはこのごろ、「今日もやった」と思って不可解な夢の中に潜んでいけるからだ。


 気がつけば、ここ半年あまり、snsやblogに記事をあげることが少なくなっている。それはわたしの生き方や日常に今までとは異なったものが入り込んできたことが理由だが、そのおかげでわたしの人生は少し幅を持つ事ができたのだろう、疲労は心地よく、自分のまた自分を取りまく小さな世界/コスモスが以前より増してわたしを導くのだが、その疲労感のおかげで先月は20数年ぶりにインフルエンザにかかってみたり、いよいよわたしも人間の世界とぶつかり合っているような気がし、身にしみる。


 だいぶ遅れた<近況>となるが、写真は昨年夏に、能『松風』と狂言因幡堂』を鑑賞した日のもの。
 それは水にご縁のあった夏だった。移ろいでいく外のことに気が散るのに飽いて、何か実家のことを思う夏だった。
 またとりわけ器など、わたしは眺めることが好きなので、静かに眠らせておいたわたしの野生を、それらの中に盛っては愉しんでいた夏だった。今日の魂、今日の一膳、という具合に。
 そんなころにお誘いがあって楽しんだ能狂言の舞台–––『松風』は、在原行平を慕った海女と僧の物語。亡霊となった海女姉妹と僧との幻想的な一夜話である。わたしはこの物語について大学時代に学んだが、この日までこの作品を舞台で観ることことがないままに過ぎてきていた。実に破ノ舞には圧倒させられる、舞いの美しさは息をこらしたくなるほどで、しかしながらそのビート感、日本の音楽のリズム、その呼び声は久遠ともいえると感じた。西洋の音楽やバレエにずっと親しんできたわたしではあるが、思わず、その西洋カブレの脳を切り分けるように、「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる 待つとし聞かば いま帰り来ん」という在原行平の歌が駆け、頭の髪を逆立てた。
因幡堂』は呑んだくれ妻に痛い目に合う男の滑稽物語、この日、男を演じたのは野村萬斎氏であった。氏の髪は夏らしく短くされてあった。





 幽玄な演目を真夏の夕べに堪能したのだが、この公演にわたしと同行された御夫人は85歳、開演前に一緒に食事などとったのだが、ステーキとワインをいただいておられた。夫人はご主人を亡くしお一人でお暮らしゆえ、ご自宅でお肉を独りでいただくことが少なくなったので外出の際は必ずお肉料理を召し上がるらしい。食べっぷりも確かで、お酒もお好きだ。
 わたしたちは車で会場へ向かったのだが、運転はわたしがした。
 公演の後、帰りながら、その御夫人をご自宅前までお送りしたのだが、彼女が車を降りてふと後部座席を見れば小さな包が置いてあった。
「お忘れ物ですよ」と、私が車内から彼女に声をかければ、
「それは今日、運転してくださったあなたへのほんの贈り物です」
 と、おっしゃる。
「ありがとうございます」とわたしが言うと、彼女は微笑み、ご自宅の門を開け、その細い身体を滑り込ませるように暗闇に消えた。


 後でその包を開ければ、それは小箱で、品のよいお菓子が入っていた。
 これを食べたら浦島太郎になるかしら、それとも、あたかも人魚の肉を喰ったおかげで永遠の命を持つはめになった平安のあやかしのごとく、いつまでも世の移り変りを眺めながら、時々、毒を吐きながら生きていくのだろうか…
 などと、幽玄な想いに浸った真夏の夜の夢


 しかし季節は移り変り、今は春、春といえば、「春はあけぼの… 」

 
 そして、人の日常が、やがて、今は昔…と語られていくことに思いを馳せてみたくなる。


 だが、さしあたり、わたしはわたしの歓ぶべき<近況>をお伝えしなければならない。


 それは次回にあげさせていただく記事となりましょう。




  桜井李早 ©