ある腫れた日に



 だいぶご無沙汰しております。
 こちらは6月のある日、梅雨の晴れ間が眩しかった午後、学生街の洋食屋さんでお昼ご飯をいただいた後、訪れたお気に入りの古書店前での一枚。





 昨年からちと、再び、先生稼業など行いながらの日々がつづいております。
 お仕事というもの、若い頃から、何でもやって過ごし暮らすと佳いものがありますね。
 わたしのような者は、どうも生身の人間を目の当たりにしながら、つらつら、だらだら、年のせいか、時に因業を交えながら仕事をすることが向いているようであります。


 snsではひっそりさせていただいて随分になるのやらなんやらではありますが、今年の猛暑、個人的に案配しながら、健やかにあります。


 桜井李早





『Die Sünde/罪』- 随分前、チョーサー(Geoffrey Chaucer/1343~1400)風に描いた作物 - 桜井李早©



 私の名は『罪』。いつ、誰が名付けたのか、そうして、一体何のためにこの言葉が生じ、私がそれに該当すると選ばれたのか、私は知りません。私の古くからの知人には、『愛』や『知恵』、『希望』、『憐れみ』…等がいますが、彼らは私よりも好かれているようです。
 そして私は人間がまだ"楽園"という場所に在った頃、その名を与えられたといわれています。書物によると、私が産まれたことにより、人間はその心地よい場所から追いやられ、現在の世界に生きるようになったそうです。私はずっと蛇の姿で表されてきました。そうして私の仮の姿は"女"という生き物とされているようですが、その"女"という種族は私のせいで愚かになったと定義され、長い間、"男"という生き物と同じ権利を与えられないまま生きなければならない状況に置かれてきたようです。


 私の友人のひとりに『嫉妬』がおります。この『嫉妬』も、自分の身の置き所に長く困惑してきたようです。私は『嫉妬』の言い分を聞きました。『嫉妬』はいわば、私の後輩のようなものです。それは泣きながら私に語りました。
「何故、私はこのようにいつも苦しまなければならないのでしょう? 私は一体、何のために産まれてきたのでしょうか? 私は災いは嫌いです。世界の片隅の小さな家を与えられており、本当に私はそれで十分だと思っているのです。それなのに、或る時、突然、命令が下るのです。命令者は私に言います。<そこを出て、大股で歩くのだ。お前のおかげで励まされる人間もいるだろう…>。私は出かけて行かなければなりません。厭な仕事です。私には解っているのです。私が訪問した人間は必ず苦しい気持ちに苛まれる。そしてそこに災いが起る…あなたならお分かりでしょう…」


 また、或る時、私は路上で『貧困』という灰色のマントを羽織ったものに会いました。それは私を見るなり捕まえてこう言いました。
「お前は『罪』だろう? こんにちは、私はお前の評判を知っている。お前の働きで得をするものもいれば損をするものもいるというではないか。一体お前の力とはどこから来るのだ? 私は『富』というギラギラと光り輝くものが排泄したものの中から産まれた。それでも更に『富』は私から全てを吸いつくし、放り投げる。一見美しい顔をした『富』は、禿鷹のように私をしゃぶりつくし、喜んでいる。だから私は次の土地に移らなければならない。私が『貧困』として生きるためには、私は私自身も禿鷹のようになり、私の『貧困』としての仕事が果てるまで、それを続けなければならない。もしもお前が私の言う事を信じないなら、お前は『欺瞞』に会いに行くといい。また、お前が自分の名に疑問を持つなら、『欺瞞』はお前に何か応えることができるかもしれない。しかし、気をつけなさい、『欺瞞』は手ごわい相手だ。ちょっとやそっとでは、本性を見せないはずだ。だから皆、騙されるのだ」


 そこで私は『欺瞞』に会いに行きました。『欺瞞』は広い敷地に暮らしていて、外から眺めるとそれは城のようにも見えました。私がそっと『欺瞞』の門をくぐり、建物の中に入れば、そこには高価なもの夢のような骨董品の数々、かと思えば最新の技術に値する品々が何不自由なく当然の如く備えられています。私がそれらに感心していると、私を呼び止める声がありました。
「何者だ?! ここへ入ることができたあなたは誰かの紹介状を持っているのか?」
 私は自分の名を名乗りました。
「私は『罪』と申します」
 するとその声は先程の尖った口調からほど遠い穏やかな声になって、私に応えました。
「あなたは、『罪』ですか…そうですか…今日は一体、何のご用でここにいらしたのですか?」
「私はあなたと話したいと思ってここに来ました。誰かがあなたなら私の存在の理由を教えてくれるかもしれないと言ったので」
 すると『欺瞞』は姿を現し私に言いました。
「誰がそんなことをあなたに言ったのですか?」
 私は応えて「それは『貧困』です」
「…『貧困』?…ああ、あの"怠け者"ですね。あなたはあんな怠惰なものの言葉に耳をかすのですか?」と、『欺瞞』はあざ笑います。
「私は『貧困』が怠惰かどうか知りません。しかし、私は私の由来を知りたいだけです」。
「あなたは『貧困』の言葉など信じてはいけません。あなたは我々の味方にあって初めて力を発揮する存在です。『貧困』は何ら得策を持たず、状況に甘んじ、時に寄生するしか能力を持ちません。私は進歩が好きなのです。そのために努力してきたのです。誰よりも迅速に手っ取り早く成す事、それを見せつけることによって、私は満たされます。いけませんか? そのような在り方が? それとも、あなたは私を裁きにきたのですか?」
 私はこの『欺瞞』の言葉に戸惑った。何故、私が『欺瞞』を裁くのか…?
「私があなたを裁く?」思わず私は訊きかえしました。
「そうです、だって、あなたの背後には必ず『悪』がいます。『悪』の行く手には裁きが発生し、争いが起ります。それを"戦争"と呼ぶのをあなただって聞いたことがあるでしょう。そして『悪』と争うのは『善』ということになっておりますが、あなたは『善』にお会いになったことがありますか? 私はありません。ただ、私は『偽善』とは親しくさせていただいております。『偽善』はこの世界に"アジト"を持っています。いかがですか、出かけてみては? 『偽善』はあなたを救ってくれるでしょう」
 そう言って、『欺瞞』は薄笑いを浮かべながら扉を閉めた。


 私は『偽善』を探しました。これは、と思う扉を叩き、訊ね歩きました。しかし、どの声も、「私は『偽善』などというものではありません」と言うが速いか、私を閉め出します。
 私は歩き疲れて地面に腰をおろしました。それは夕刻で、どこの家も帳を下ろす時刻でした。その時、私の後ろの窓が開き、誰かが私に話しかけます。
「あら、そんなところで何をなさっているのですか?」
 私が振り向くと、窓辺には小さな顔の"女"に似たものが微笑んでいます。
「疲れてどうにも動くことができなくなってしまったのです」私が立ち上がりながらそう言うと、窓辺のものは言います。
「中にお入りください。私たちはこれから慎ましい晩餐をいただきます。よろしかったら、あなたもご一緒しませんか?」
 私は嬉しくなって家の中に入りました。
 そこは整頓された清潔な家でした。温かい部屋の中で、私の冷たい身体は落ち着きました。見ると、もうひとり、そこには均整のとれた姿をしたものがいます。その存在は何故か私に恥じらいを与えるのです。私はとても場違いな印象を受けました。すると先程の"女"に似たものがこう言いました。
「私は『礼節』と申します。今夜は私の友人の『理性』と共に食事をしようと思っていたところです」
 私は逃げ出したくなるような気持ちになりましたが、我慢して与えられたテーブルに席をとりました。『理性』はじっと私を観察しています。やがて『礼節』が私の名を訊きました。私は応えるしかありません。
「はい、私の名は『罪』。私は私の役割の意味を追求しながら今日、ここに辿り着きました」
 一瞬、食卓に氷のような冷気が漂ったのを私は見逃しませんでした。息を殺すような緊張です。私は自分の名を偽ればよかったと、心底感じました、しかし、もう、遅い…。
 しばらくの沈黙の後で話し始めたのは『礼節』でした。
「私たちはいつかあなたにお会いする時がくると思っていました。それが、今だったのですね。それも丁度よく、『理性』がここを訪問してくださった晩に」と、『礼節』は場を取りなすように私に温かいスープを注いでくれます。『理性』はそれでも細長く整った鼻を正面に座った私に突き出すようにして冷静にしております。私は決して震えまいとして身を固めていましたが、『理性』と視線を合わせるのが苦痛でたまりません。
「さあ、スープを」と『礼節』が上品な声で言います。私は厚かましくも空腹だったのでスプーンを手にしてスープをすすりました。『礼節』もそれを見てスープを口にします。しかし『理性』はスプーンを手にせず、両手を合わせ、こう言いました。
「ここに来たものの心を幸いとさせよ」
 私ははっとして顔を上げました。『理性』はスープ皿に一粒の涙を落としていたのです。そうして『理性』は私に言いました。
「あなたと私は"姉妹"のような関係です。あなたが産まれなかったら、私は存在しなかったでしょう。ですが、あなたはいつの時代にも咎められ、私の仕事の一部はそれを補うことでした。私はあなたに会ってはいけないと言われてきました。それなのに、今日、あなたがここにいらっしゃるとは…私は驚きを隠せません。が、私は『理性』です、どんなことがあっても、揺らいではいけないのが私の努めです。ですからこの私の態度を気にせず、晩餐をご一緒しましょう」
 私は混乱しました。ひとりぼっちだと思っていた私には姉妹がいた。それは私とは正反対に見えるような気高いものだった…。
「あなたは今、姉妹と言いました。では、あなたも"女"なのですか?」私はつまらない質問を『理性』にしておりました。『理性』は私に話し始めます。
「さあ、私は姉妹と言いましたが、私は"性"を持っているかどうか考えたこともないのです。ただ、私が私の司る仕事を長く行ってきた範囲において、"兄弟"と名乗る『正義』もいますよ。ですが、あなたはお見受けしたところ、ほんの一匙分くらい、私『理性』に寄り添ってくれそうです。ですから私は"姉妹"という言葉をあなたに使いました。そしてそれが私がここ『礼節』の家を度々訪問する理由でもあります。あなたはさっき、ご自身の由来を知りたいとおっしゃっていましたね。私とて、同じです。私が何のために私の存在を与えられたか、そして何のためにその仕事をするのか…可笑しなもので、それはあたかも芝居のようです。誰かがシナリオを書いたのです。それは終わりなきシナリオとされ、人間に考える術を絶やさぬように仕組まれた道のりなのでしょう。ああ、私たちの名は、人間のために作られたのです。名は言葉であり、それは信仰と呼ばれるものの中で生き続けるようです。信仰とは、そもそも幾つものカテゴリーを要する可能性を秘めていたのですが、いつしか、それが差別への道にさえなろうとしています。私たちはそれらどの信仰にも存在するものとして多忙な日々を送っています。人間はただそれぞれが信じる道を歩めばよいですが、我々はあらゆる信仰の中に生き、常に目を行き届かせていなければなりません。それがルールのようになってから、どれだけの時間が過ぎたでしょう? そうして、あなたはもう、お気づきかもしれませんが、それは少し変だと思いませんか? 私たちに役割を与え、それをコントロールしているものが何者なのか、私たちは理解しているようでいて、理解していないのです。人間は、それを例えば"神"と名付けてきました。では、私たちは一体、その"神"にどこで出逢いましたか? 私たちはその存在を漠然と想像することはできます。"神"は、道に転がる石であるかもしれませんし、このスープの中にいるかもしれません。ええ、あなた同様、私もあの命令が送られる度に出かけて行き、仕事をします。このシステムが何故継続し、それがあたかも地上の暮らしであるように何世紀も何世紀も納得されてきたことは脅威です。この解決のない世界を、果たして、"神"という存在が作ったのでしょうか? 私は『理性』なので、仕事をしながら思索せずにいられません。ああ、あなたは私の話のために、温かいスープを逃してしまいそうですね。すいません。どうか、せっかくの『礼節』のお持てなしです、味わってください。私もいただきます。しかし、私の"姉妹"よ…あなたには『赦し』という、もうひとりの"姉妹"があることを忘れないでください」。


 その夜、私は眠れませんでした。『礼節』は清潔なベッドを私に与えてくれたが、これは私の眠る場所ではないと、私はさめざめと一晩泣き通しました。


 翌朝早く、私は『礼節』の家をこっそり抜け出しました。道を歩けば、昨夜遅くに降った雨が、水たまりを作っています。
 私はそっと、自分の姿をその水たまりの中に覗いてみました。
 ああ、それは"女"の姿にしては、あまりにも厳しい表情をしているではないか…私は昨夜会った『理性』の顔を思い浮かべました。
 そうして思ったのは、"彼女"は"私"によく似ているではないか、ということでした。


 では、『赦し』とは、どのような表情をしているのでしょう?
 私はそれを確かめるために、まだまだ歩かなくてはなりません。




 "罪によせて" by 桜井李早/Risa Sakurai©







 pic: "Die Sünde" by Franz von Stuck





- 裸足で散歩 - かな



 午前6時に目覚め、これが曇った朝なのかその後待っていれば照るのか解らない西の東京にあった。家人が出払っているここ数日、ひとりであることをよくして冷蔵庫の整理を兼ねた簡素な食事をしていたら肉不足か鉄分不足か何か、朝、掃除をしながら下を向いたら想像するに黄土色的苦いものを吐きそうになった。週末に向け仕事があるのでしっかりしなくてはと思いながらも鈍い空の下、実務をサボる口実か愉しみのためかしらず、誘われ、漱石を読む。わたしはクドい質なの仕方ない。で、氏の明治39年漱石の断片より–––


 昨日までは大臣がどんな我儘までも出来た世の中なり。故に今日も大臣なれば何でも出来る世と思へり。昨日までは岩崎の勢ならば何でも意の如くなりたるが故に今日も岩崎の勢ならば出来ぬことはあるまじと思へり。彼ら大臣たり岩崎たる者もまたしか思へり。彼らは自己の顔を鏡に照らして知らぬ間に容色の衰ふるを自覚せぬ愚人と同じく、先例を以て未来を計らんとす。愚もまた甚し。


 ~夏目漱石


 *


 人の世とは外的な状況により常に神経衰弱になるべく導かれる危機と背中合わせにありながらもいざ精神が栄養不良のサインを出せば、さっとい人々は朝の洗顔の鏡に浮き彫りになった自らの顔を見ることで背中を正し案配を知ることもできる。
 それを怠ると人の顔とは、人相とは、悪くなっていくものだろう。そういう人らは、いくら宝探しをしても爽やかな顔を朝の鏡に見る事はなかなかできないだろう。
 わたしは例え太れずとも、そのような顔にはなりたくはないと徘徊するドン・ジュアンのふりをして裸足でペタペタ歩くつもりで過ごす心持ちでいるのだが、今日、ふと、こんなことを思い出した。


 以前、或る人が、或る人のことを「あの人は悪い顔をしているねぇ」
 と言っていた、ということを聞いたのだ。
 それは恐らく、呑んだ席でのことだったのだろうが、人によっては、その年齢による表情の変化だけでは済まされない、何だろう…頭や胸の中に付着していく輪郭を増やしていくことにより、本物の自分を遠くへ追いやってしまい、ただ余計なものを背負うことで、それを自分の体験としてしまう人もあるのかもしれない。
 人の目というものは、鏡に似ているのね。


 こんな気侭なことを書くのも数日ひとりで暮らしている変なゆとりが故なのだろう。
 ひとりでない時、このごろのわたしは日常の中、snsに辿り着く余裕もない。
 それは決して忙しぶっているのではない。
 それほど、人の暮らしというものは個人的なものであり、実はわたしたちそれぞれがその個人を守るためにも、ときどきに、世間の中で顔を合わせ合って生きていく必要もある、ということを感じる、というまでのことだ。


「その笑顔を忘れない」


 と、記憶にある人々が人生の中で多くあることこそ、宝なのだろう。


『裸足で散歩』という映画があったが、あれは実に愉快であったが。

 


 桜井李早の枕草子 ©





 

- ガブリエーレ・ダンヌンツィオ噺 -



 ガブリエーレ・ダンヌンツィオ、この人のことをわたしは好んでいるわけではないが、このような噺を今日は記しておこう。それは彼が或る招待を受けた会合での出来事だったという–––


 –––そこではダヌンツィオは文学者としてその場に集う凡ての人々から多大の尊敬と愛嬌を以て偉人の如く取扱われた。彼が満堂の注意を集めながら人々の間を徘徊していると、どういう機会か自分のハンカチーフを足下へ落とした。すると年若い美しい女性が彼のハンカチーフを床から取り上げ、ダヌンツィオに「これはあなたのものでしょう」と言って、彼に渡そうとした。ダヌンツィオは「ありがとう」と彼女に応えながらも、こういうケースにおいてはやはり愛嬌が必要と気を利かせたつもりで、「このハンカチーフをあなたのものにしなさい、進上しますから」と、彼女が喜ぶことを期待して言った。すると彼女は一言の応対もせず、黙ってそのハンカチーフを摘んだまま、いきなりストーヴの火にくべてしまった。その様子を見ていた人々は皆、微笑した。





 自惚れた人に対しての、人間の誇り。
 彼女はダヌンツィオの卑俗に屈することなく、ただ無言で行為した。


 それは、「あなたって、いやらしい、がっかりしました」という意思表明だろう。


 いいじゃない…


 この女性は少なくともフランチェスカ・ダ・リミニのように騙されはしなかったのだから。



 
 桜井李早の枕草子 ©





- 密林にみる光景とまたしてもオフィーリア云々 -



 特に買うつもりはなくとも、気になった書籍など検索しているとご存知のようにアマゾンのページが上の方に出てくるのでヒョイと覗いてみると、書籍へに向かう興味よりもそこにあげられている読者の書評の数々の方が面白い。書いた人々の文章というよりそれは、それらを書いた人々の関心が書物によっては311以前とその後では異なるからだ。
 それほど、2011年3月の東日本大震災は、多くの日本人の考え方や見方を変えた出来事だったと実感する。


 人の声は黙らせられない。
 だから表現者たちはどんな場を借りてでも、何か言おうとする。
 それは当然のことだろう。
 窮屈な世の中になればなるほど、主張したくなるのは過去が表している。
 だが、歴史はそれを書いた者、或いは勝った者による都合で真実とは別の表現が為されてきたケースが多い。
 それは、男が髭をはやすようなもの。
 それは、女がよく化粧をするようなもの。
 と、力や美徳を外に表すための、少し手をかければすむ器量よし、ふふ、マメさと思えば愛らしくもあるが、どうだろう…
 だがその髭の手入れが未熟だったり、化粧の技術が器用でなかったとしたら、歴史を始末するための大きなポイントを失いかねないだろう。
 そこで昔ながらの箒や雑巾がけでスッキリできるような、塩辛い汗を流すこれからの季節をおもう。
 何せ、家というもの、風通しの良いに限るだろう、して、家というもの、冬の寒さも辛かろうが、実は、夏の時期に過ごしやすく建てられたものは、有り難い。


 この季節、家人がわたしに向けてからかう言葉にあるひとつ、「あなたは言うよね、あたしだけ寒いって」。


 このごろ時間のある時に寄ってみることにしている水の精を祀った神社がある。
 太く大きな松の根元にはスポンジ状の海綿に似たものが固まっている。
 ここは熱帯でもない、だが、古代、ここが水の豊かな土地だったとしたら、この、一本の古く巨大な松が海からの恵を根元に産んでも、不思議はないだろう。
 水宮/水寓、か。
 わたしはこの社と松に最近祈るのが好きだ。









 祈る時、わたしは、皆のよく知るジョン・エヴァレット・ミレイの描いた『オフィーリア』のように、車の運転席のシートを倒し、横たわるようにして、できるだけ樹の天辺をみあげられるようにしながら背を伸ばすのだが…


 それは –––


 そこは画家が描いたように、けっして深すぎず、誰かに見つけられるような川、ということになる。
 そうなると、表現者とは、<見つけられるもの>という結末になり、それは髭をはやしたり、化粧をしたりする現世のナルシスと、そう、変わらないものなのね。


 ポーズ。


 だが、それをあしらってもつまらないのだろう。


 オフィーリアは半開きの口、涎だってたらしていい、それでも何か言いたそうにしているこの描写が、わたしたちの目を潤し、それは、オリの溜まったような世界より大分純粋のように見えてきてしまうわけだが、その哀れがいとおしいのだとして、それを咎める必要があると思ってみても、この作品の良さにはかなわない。









 冷たい浴槽に浸かったまま、画家のために我慢したあのオフィーリアのモデルは、英国の寒い19世紀の世を暮らすために必死に、余計なことは考えず、それで病になるなど思いもせず、ただ、生きたのだろうから。

 

 
 ~ 桜井李早の枕草子 ©









-「葬式無用、戒名不用」 /『傷だらけの天使』考 -



 ここ半年、あっちやこっちで慌ただしくしているのだが、再放送の『傷だらけの天使』を観るのは懐かしく、愉しみだった。最終回、オサムは死んだアキラの遺体をドラム缶に入れリヤカーで夢の島に運ぶ。高度経済成長を遂げた日本、しかし都会の闇を生きる若者(ショーケン)が友(水谷豊)の死を悼みながらゴミの地を、背を曲げて歩む姿はひどく悲しい。彼を葬る人は世界でだだひとりの人であり、その死んだ若者はおそらく女を知ることもなく去ったように描写される物語の哀れさにわたしは痛む。アキラはオサムに惚れることで同性愛に近い青春を生きたのだろう。
 そう考えるとこれは失恋のドラマでもあるが、このドラマは日本が戦勝国に常に失恋している姿を描こうとした当時の作家たちのアイロニックな姿勢でもあったと感じる。


 死者を葬るこのような光景は、古の京都、鳥野辺などにもあった姿なのではないかと想像したくなる。金がなければ庶民は供養もできず墓も作れず、産まれ、果て、そこに悲壮感を持ってみても、やりきれない、そういう情景だ。


 一見浮かれていた日本の'60年代もこの『傷だらけの天使』が放送された'70年代になると先の戦争後、殺伐とした一面を預かる(政治的/国際的)ことが拭いきれない状況となった。ベトナムの無駄に長引いた戦争で失われた多くの命も忘れがたくこの時代は専ら世界に<ショック>が蔓延した。
 そこで例えばロッキード事件、色々あるが結局、先の戦争に負けた国は飛行機を作ってはいけないこととされたわけで、だからドイツも日本もイタリアもその技術力を自動車に向けてきた。だがそれで頑張れば、別の角度から因縁をつけられ、常に、だ、金、という穏やかでない物があっちこっち飛び交う。
 白州次郎田中角栄をとても評価していたらしいが、田中角栄は政治家になるには家が貧しすぎたということも言及していたようだ。
 そう考えると角栄ゴジラのようなもので、敗戦と放射能が極端な型となって現われた象徴 ––- 金や血筋にまみれた日本から出た特異なものが大きな顔をし運動会のような足並みで進められた日本の明治維新後の影の部分から現われた異端児として ––– 角栄とは、満足な暮らしを営めないまま生の機会を追うオサムやアキラとあまり変わらぬ具合に登場したアウトローだったのかもしれない。
 夢の島行き、という切符を持つことを恐れてみても、ああ、わたしも、粗大ゴミのクチだろうから、ドラム缶でけっこう。
 今のうちに自ら、「葬式無用、戒名不用」というくらいの遺言をしたためておこうと思う。


 バブル時代如何にも戦後最高に日本が金の力を掲げた風を装い我も我もとノコノコ諸国に出かけた(企業だけでなく若い日本人もたくさんあった)が景気の良さ故チヤホヤされはしても後にあれは素敵な幻想と捨て難い思い出として胸にしまい込みここでやはりジッと我慢する、耐え難いことは忘れるに限る姿勢…。
 …だが忘れる者ばかりとは言えない。『泣いてたまるか』…という渥美清が様々な人物を演じるドラマが'60年代放送された。これも時にシュールな作風で脚本家たちが腕をふるい戦後日本の市井を綴ったドラマであった。このドラマが後の渥美清の『男はつらいよ/寅さん』シリーズへと成っていく。


 桜の季節、わたしはこの樹の下で酒など飲む気になれない。
 若い人たちの希望をいかすもころすも、これは個人的なことだが、わたしにとっての4月は、"残酷な月"なので…。


 ともあれ残念ながら価値の低い順に割を食う。
 これ極道が世界ということなのだろうか。


 そういう歴史は藻のようにこの世界に纏わりつき何かにつけ穏便に済まない状態になる毎に「あの時こうだっただろう」と過去の強者は弱者を脅し刄を突きつける(これは強姦に似ているわね...)、一方を手なずけられたなら余計なことを言わせないために計らうよう手配し ––– それを最近、よく聞く言葉でいうところの<忖度>とでもいうような ––– 他者の気持ちや行為を慮ることが気のきいたことであるかのように雑草のようにはびこんであっちやこっちの野を荒らしている。
 そんな慣習限りなく、人の世が果てるまで連鎖していくような心地の良くない世界にわたしたちは暮らしているのだとしたら、そう、わたしたちは確かに、夢の島行きだろう。


 『傷だらけの天使』は学歴も名もなく社会からはみ出した若者の日々と金持ちが操る世界とその金持ちの案配が悪くなれば無名戦士同様葬られていくだろう彼らの未来を想定しているが、どんなに汚れていたって人情なら持っているんだぜ、と都会の片隅に生きるその日暮らしの若者の情念をうたった物語ね…。


 このドラマの数年前、『ルパン三世』のファーストシリーズが放送されたが、この最終回も夢の島、ドラム缶でドカーン。だが、皆、太平洋を泳ぐ。これをリアルタイムで観ていたわたしはほんの小学生だったが、確か、「アメリカさんへでも、行きましょうかね」というようなルパンの科白に皮肉な意味を受け、ブラウン管のこちらから微笑みを浮かべたことは憶えている。


 昔、日本人は念仏を唱えることであの世にて成仏することを尊んだ。
 最終回の『傷だらけの天使』、オサムはアキラのために、つぶやくように何か歌っていたね。


 そうしてわたしは、明日の朝、早起きしなければならないにもかかわらず、ゴドーあたりを待ちながら、『…天使』のショーケンみたいに、魚肉ソーセージなど野蛮に齧っているところ、なのである。




 追記:
 上記は少し前に或るところに綴ったものであり、今再び、『傷だらけの天使』はBSチャンネルで毎週日曜の夜に放送されているようで幸いかな。




 ~ 桜井李早の枕草子 ©





 
  

- 能『松風』を思いながら -



 人間が、少し道草するくらいの魂胆をもって生きることはかわいげがある。が、あわよくばと狙いながらもいかにも行き当たりばったりのようなふりをして自分をかわいがるのは始末がわるい気がする。
 何故なら後者は他者の心を踏みにじる場合があるからだろう。


 などと言いながら、わたし個人は近頃、とても充実している、と今、明らかに書いておくのだ。
 何故ならわたしは緩やかな疲労を感じているからだ。
「ああ、疲れた」と日々をふりかえり、温々とベッドに横たわる時、わたしはこのごろ、「今日もやった」と思って不可解な夢の中に潜んでいけるからだ。


 気がつけば、ここ半年あまり、snsやblogに記事をあげることが少なくなっている。それはわたしの生き方や日常に今までとは異なったものが入り込んできたことが理由だが、そのおかげでわたしの人生は少し幅を持つ事ができたのだろう、疲労は心地よく、自分のまた自分を取りまく小さな世界/コスモスが以前より増してわたしを導くのだが、その疲労感のおかげで先月は20数年ぶりにインフルエンザにかかってみたり、いよいよわたしも人間の世界とぶつかり合っているような気がし、身にしみる。


 だいぶ遅れた<近況>となるが、写真は昨年夏に、能『松風』と狂言因幡堂』を鑑賞した日のもの。
 それは水にご縁のあった夏だった。移ろいでいく外のことに気が散るのに飽いて、何か実家のことを思う夏だった。
 またとりわけ器など、わたしは眺めることが好きなので、静かに眠らせておいたわたしの野生を、それらの中に盛っては愉しんでいた夏だった。今日の魂、今日の一膳、という具合に。
 そんなころにお誘いがあって楽しんだ能狂言の舞台–––『松風』は、在原行平を慕った海女と僧の物語。亡霊となった海女姉妹と僧との幻想的な一夜話である。わたしはこの物語について大学時代に学んだが、この日までこの作品を舞台で観ることことがないままに過ぎてきていた。実に破ノ舞には圧倒させられる、舞いの美しさは息をこらしたくなるほどで、しかしながらそのビート感、日本の音楽のリズム、その呼び声は久遠ともいえると感じた。西洋の音楽やバレエにずっと親しんできたわたしではあるが、思わず、その西洋カブレの脳を切り分けるように、「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる 待つとし聞かば いま帰り来ん」という在原行平の歌が駆け、頭の髪を逆立てた。
因幡堂』は呑んだくれ妻に痛い目に合う男の滑稽物語、この日、男を演じたのは野村萬斎氏であった。氏の髪は夏らしく短くされてあった。





 幽玄な演目を真夏の夕べに堪能したのだが、この公演にわたしと同行された御夫人は85歳、開演前に一緒に食事などとったのだが、ステーキとワインをいただいておられた。夫人はご主人を亡くしお一人でお暮らしゆえ、ご自宅でお肉を独りでいただくことが少なくなったので外出の際は必ずお肉料理を召し上がるらしい。食べっぷりも確かで、お酒もお好きだ。
 わたしたちは車で会場へ向かったのだが、運転はわたしがした。
 公演の後、帰りながら、その御夫人をご自宅前までお送りしたのだが、彼女が車を降りてふと後部座席を見れば小さな包が置いてあった。
「お忘れ物ですよ」と、私が車内から彼女に声をかければ、
「それは今日、運転してくださったあなたへのほんの贈り物です」
 と、おっしゃる。
「ありがとうございます」とわたしが言うと、彼女は微笑み、ご自宅の門を開け、その細い身体を滑り込ませるように暗闇に消えた。


 後でその包を開ければ、それは小箱で、品のよいお菓子が入っていた。
 これを食べたら浦島太郎になるかしら、それとも、あたかも人魚の肉を喰ったおかげで永遠の命を持つはめになった平安のあやかしのごとく、いつまでも世の移り変りを眺めながら、時々、毒を吐きながら生きていくのだろうか…
 などと、幽玄な想いに浸った真夏の夜の夢


 しかし季節は移り変り、今は春、春といえば、「春はあけぼの… 」

 
 そして、人の日常が、やがて、今は昔…と語られていくことに思いを馳せてみたくなる。


 だが、さしあたり、わたしはわたしの歓ぶべき<近況>をお伝えしなければならない。


 それは次回にあげさせていただく記事となりましょう。




  桜井李早 ©